本日より、「人々の意見をいかにまとめるか」を研究する「社会的選択理論」の専門家である坂井豊貴氏による新連載がスタート。近日発売される『「決め方」の経済学』では、「みんなの意見のまとめ方」について、経済学のツールを使って解説。選挙をはじめ、あらゆるところで使われている「多数決」というしくみが、いかに危ういものかを説明する。

記念すべき第1回のテーマは、イギリスのEU離脱。6月24日、イギリスで行われたEU離脱をめぐる国民投票では、「離脱」が「残留」を上回り、世界中で動揺が起きている。報道のなかには「国民投票という制度が危険だ」という論調さえ見られる。これは正しいのだろうか。

イギリスのEU離脱
有識者はどう見る?

「国民投票」は危険?選挙前に知りたい<br />イギリスEU離脱から見る「投票の意味」

 イギリスでEUからの離脱をめぐる国民投票が実施され、6月24日に開票された。とくに根拠があったわけではないが、騒動はあれども、イギリスは最終的にはEUに残留すると予想していた。開票前には「離脱騒動でポンドが下落したからイギリスの出版社への支払いが少なくて済む」という知人の冗談を聞いて笑っていた。

 だがその支払額はさらに下がることになる。しばらくしてスマートフォンの待ち受け画面を見ると、新聞記者から電話の着信履歴があることに気づいた。ああ、これは、離脱が賛成多数になったのだと直感した。ニュースサイトで結果を見ると、EUからの離脱が51.9%、EUに残留するのが48.1%であり、「離脱」が僅差で多数決を制していた

 結果に法的拘束力はないという。だがこれは国制の根幹事項についての国民投票であり、民主的正統性はこの上なく高い。人民の意志が発現してしまったもので、その強制力は法的拘束力を凌ぐものだろう。

 私に電話をくれたのは毎日新聞の記者で、私は折り返し電話をかけコメントした。主に述べたことは「イギリスの民主主義が、国家を超えた共同体を構築しようとするEUの試みを否定した」である。

 翌日の紙面を見てみると、私を含む3人の論者がみな、結果に当惑しつつも、国民投票という手続きじたいは肯定する・否定しないといったものであった。

民主主義が大事だというなら
投票結果も大事にしなければならない

 民主制の範型を『社会契約論』で描いた18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーは、議会政治を行っていたイギリスの国制を非難した。「イギリス人民が自由だと思うのは間違いだ。彼らが自由なのは選挙の期間だけであって、選挙のあとイギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」という句はよく知られている。

「自分たちのことを自分たちで決める」直接民主制だから自由といえるのであって、「自分たちのことを決める議員を決める」間接民主制はそうではない、というのがルソーの主旨だ。

 EUからの離脱のように、国制の根本的なことがらを国民たち自身が決めるのは、被治者と統治者の同一性を軸とする民主主義の理念には適っている。『社会契約論』では定期的に人民集会が開かれて、いまの国制を継続するか否かが問われるのであった。民主主義の価値を認めるなら、いかに結果が自分には気に入らなくとも、その国民投票は尊重せざるをえない

 イギリスでの国民投票の結果を受け、国民投票が危険だという論説をよく見かける。たしかにその威力は強いので、自分の力を強めたい為政者が、威信を獲得しようと仕掛ける国民投票「プレビシット」は歴史上にも散見される。

 たとえば、絶対王制を倒したフランス革命の動乱ののち、ナポレオン(およびその甥であるナポレオン三世)が奇妙にも皇帝の座に就くときには、国民投票が用いられた。ヒトラーは自分の行いを正当化するために、総統への就任や、侵略の承認などで、何度も国民投票を実施した。