ヨーロッパで十字軍とイスラム勢力が激突した12世紀から13世紀。アジアの中央にあるモンゴル高原では、歴史を塗り替える1人のリーダーと史上最大の帝国が出現する。歴史上、類を見ないほど強い組織はどのようにして生まれたのか?好評発売中の『戦略は歴史から学べ』の著者が、新たに書き下ろす「番外編」シリーズ第3回。

プレスター・ジョン王の伝説と、モンゴル来襲

 11世紀はじめに、東ローマはトルコ系遊牧民のセルジューク朝と戦争を続け、一時は領土が半減するほどの敗北を重ねます。苦境の東ローマが教皇ウルバヌス2世に救援を求め、これが十字軍の発端になります。イスラムの英雄サラディンの出現もあり、十字軍は激しい戦いを続けますが、1220年頃にまったく予期しない出来事のため、イスラム世界も大混乱に陥ります。モンゴル軍の来襲です。

 1218年にホラズム・シャー朝がチンギス・ハンの派遣した商業使節を虐殺し、所持品を奪うと、チンギス・ハンは自ら遠征軍を率いて侵略を開始。軍団を複数にして分進して、ホラズム朝の防衛線を一隊が攻撃して、相手が防戦するあいだに別働隊が背後に回るなどの巧みな攻撃でつぎつぎと撃破。第7代のスルタンは、モンゴル軍から逃れるため西方に移動し、1220年の末にカスピ海西岸の小島で死去。

 ヨーロッパには、12世紀頃から「プレスター・ジョン王の伝説」があったことが多くの歴史書に残されています。イスラム勢力の背後、インド周辺にキリスト教を信奉する王の巨大帝国があると信じられていたのです。由来は、アレクサンダー大王の東方遠征など様々でしたが、モンゴル軍のイスラム勢力への進軍は、一時期は伝説のジョン王の孫である新たな王による、十字軍への援軍だと考えられていました。

 しかし現実のモンゴル軍は、ホラズム朝を打倒したあと、1223年には南ロシアまで侵略。1237年の再度の侵略と併せて、ヨーロッパ諸国を恐怖のどん底に陥れました。

20世紀最高の軍事評論家も驚いた、モンゴル軍の巧みさ

 20世紀の著名な軍事評論家、リデル・ハート(英国)は、書籍『世界史の名将たち』の中で、チンギス・ハンと2人の将軍について分析しています。

 リデル・ハートは先のホラズム朝を滅ぼした戦いを、極めて緻密な軍事計画による成果、特に「背後攻撃」を完璧な形で実施したことよる勝利としています。

 チンギス・ハンは、チェペの1隊、ジュチとチャガタイの2隊、そして主力のチンギス軍の3つに分けます。チェペの軍が正面攻撃をしているあいだに、ジュチとチャガタイの軍は北のアククーム砂漠を越え、敵の防衛線の一番左に奇襲攻撃をかけます。

 ジュチとチャガタイの軍を迎え撃つために、ホラズム側が予備兵力を出したあと、チンギスの主力はさらに北を迂回して、ホラズム朝の大都市ブハラの背後に突如出現、敵を大混乱に陥れます。モンゴル軍は、猪突猛進の軍隊ではなく、知略に富む侵略軍だったのです。

 中国側の王朝である金との戦いで攻城技術を学び、強力な騎兵と弓を雨のように降らせる射撃力、抜群の機動力を持つモンゴル軍は、知略でも敵を圧倒していたのです。

「モンゴル軍の実施した数々の戦いは、われわれに対して、アジアもまた、その戦略的才能において歴史上に覇を競う完成した軍事的指揮者たちを生み出したことを明らかにした」(書籍『世界史の名将たち』より)

 しかし、チンギス・ハンとモンゴル軍は、なぜこれほど戦略・戦術に優れた軍隊となれたのでしょうか。突出した強さの秘密は、何から導かれたのでしょうか。