タイ
2016年9月13日 沼舘幹夫

女、33歳、独身。バンコク移住物語【前編】

いちどは海外で働いてみたい! そんな夢をかなえたマイさん。バンコク発ビジネス・生活情報誌『DACO』編集部で編集スタッフとして働きだした33歳・独身女性の移住記録です。

 はじめまして。『DACO』編集スタッフのマイです。約7カ月前、就職するためにここバンコクへやってきました。今回は、そんな私の「移住」にまつわるお話です。

 女、33歳、独身。まさに人生の岐路ともいえるような時期に、なぜ単身バンコクにやってきたのか? ドタバタで日本を去り、手探りで海外生活を始めた一人の日本人の記録です。

 バンコクだけでなく、海外に住んでみたい、海外で仕事をしてみたいなど、海外移住に興味のある方々のお役に立てたら幸いです。

PROFILE:マイ(33歳)『DACO』編集部の新人編集者。東京でも雑誌編集の仕事をしていた。これまでの海外経験は旅行程度。タイ語はもちろん英語もほぼ話せない。

 

 

 

 

 

 

 

私はそもそもなぜバンコクへ?

 私には悪いクセがある。パンッと大きく手を鳴らして、人生を仕切り直したくなる瞬間が定期的に訪れるのだ。きっかけは、携わっていた雑誌がリニューアルになったこと。先輩社員はみんな散り散りに異動になり、フリーランスの編集者だった私は、そのまま残るかどうかの決断を迫られたのだ。

 それなのに「今ならどこにでも行ける」と最初に思ってしまった。お世話になった人がいる職場は辞めにくいが、このタイミングなら後腐れもない。まわりの変化に振り回されるよりも、自分が変わったほうが絶対に楽しい。仕事を失う危機にもかかわらず、劇的に日常が変わる匂いにワクワクしていた。

 家に帰ってすぐ、パソコンを開いた。東京に住み続ける理由もないし、海の近くにでも引っ越そうかなと思ったのだ。でも……待てよ。もはや日本にいる必要もないのか。仕事とか、生活の問題は置いといて、今一番行きたい街を思い浮かべた。猥雑な中に、生きるパワーがギュッと詰まった街、バンコクがすぐに浮かんだ。悪いクセが出始めていた。

 バンコクはちょうど1年前に、雑誌の取材で訪れた街だ。キレイなものも汚いものも一緒くたになったごちゃごちゃの風景、あふれる人と車。何に惹かれたのかは分からないけど、とにかく滞在中はずっと楽しかった。「ここに住みたい」と連呼していた。

 試しに、見るだけ……、と「バンコク 求人 編集者」と入力する。バンコクに住む日本人向けのフリーペーパーの制作会社のホームページ、そこには「規格外の女性編集スタッフ募集」の文字が躍っていた。速攻で履歴書と企画書を書き上げ送信。たぶん1時間もかからなかったと思う。パンッ! 頭の中で大きく手の鳴る音がした。

決意の日から現在までをプレイバック!

【2015年11月】Skype面接は国際派のはじまり

 入社試験はSkype面接だった。カメラチェックしたところ、生活感しかない汚部屋が丸映しに。これはまずい。荷物を押しやり、なるべくカメラを上に向け面接に臨んだ。「タイ語できますか?」「できません」「じゃあ英語は?」「……」。手応えのないまま終了。と思ったら翌日まさかの内定メールが! まじか! 私、バンコクで働けるの!?

入社試験はSkype面接【撮影/『DACO』編集部】

【12月】職場見学でセンチメンタル

「一度職場を見に来ますか?」と会社からお声がけをいただき、単身バンコクへ。アパートや保険など、気になることをひと通り相談してひと安心。しかしその帰り道、移住する実感が沸いてきて急におセンチな気分に。

 どうせなら浸ってやろうとアジアティーク(※)の観覧車に乗り込むも、あまりの回転速度に度肝を抜かれ、寂しさも消え去った。恐るべしバンコク。暑い夜の街のクリスマスツリーが笑っているように見えた。

(※)「アジアティーク・ザ・リバー・フロント」:バンコクのチャオプラヤー川沿いの倉庫を利用してできた商業施設&娯楽施設。2014年リニューアルオープン。 観覧車の回転速度が日本のものと違い、高速。

会社の人とアパートを2軒ほど下見。【撮影/『DACO』編集部】

【2016年1月】「お父さん、お母さん。話があります」

 ウソをついていた。面接では「両親は海外勤務を応援してくれています!」と答えたが、実はまったく相談していなかった。この歳(33歳)での移住。言い出せないまま新年を迎えた。

移住の話を両親に言い出せないまま新年を迎えたが、なんとか許可を経て……。