橘玲の世界投資見聞録
2017年6月22日 橘玲

インド・アーグラのカフェで知った
極度に閉鎖的な共同体が生み出したあまりにも残酷な慣習
[橘玲の世界投資見聞録]

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 ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建てたタージ・マハルで知られる北インドの古都アーグラに、Sheroes Hangoutという小さなカフェがある。

 Hangout(ハングアウト)は「たまり場」のことだが、Sheroes(シェローズ)という見慣れない単語はなんのことだろう。これはsheとheroを組み合わせた造語で、文字どおり「女性のヒーロー」のことだという。ヒーローの女性形はヒロインだが、この言葉は「ヒーロー(男性主人公/英雄)に付き従うかよわい(そして若く美しい)女性」という含意を強くもっているため、それを嫌って1990年代後半からフェミニズム界隈で使われるようになったらしい。

 Sheroes Hangoutは「女性ヒーローのたまり場」になるが、Sheroesとはいった誰なのか。それは、アシッド・アタックの被害者たちだ。

 アシッド・アタックはインドをはじめとして南アジアで頻発する、若い女性の顔に硫酸・塩酸などの酸(アシッド)をかける犯罪行為のことだ。Sheroes Hangoutで働いているのは、アシッド・アタックによって顔に重大な損傷を被った女性たちなのだ。

北インド、アーグラのCafe Sheroes Hangout    (Photo:©Alt Invest Com) 

 

インドではありえない女性従業員の店

 私がSheroes Hangoutのことを知ったのは、Trip Advisorでアーグラのレストランを調べていたときだ。圧倒的に高い評価を受けているカフェがあったのでページを開いてみると、店の紹介写真に女性の従業員が写っていた。当たり前と思うかもしれないが、これはインドのカフェやレストランではおよそありえないことだ。

 インドでは女性は“不浄”とされており、高カーストのひとたちは見知らぬ女性がつくったり、運んできた料理に口をつけることを極端に嫌う。そのためインドでは、ウエイトレスはもちろん女性の料理人もいないのだ(高級レストランに美しいサリー姿の女性がいることはあるが、彼女たちは客をテーブルまで案内するだけだ)。

[参考記事]
●「インドのカースト制度は「人種差別」。カースト廃止を望まない被差別層もいる現実」

 

 次に奇異に感じたのは、ふつうは笑顔の写真を載せるはずなのに、その女性従業員の顔が歪んでいるように見えたことだ。「なんでこんな写真を使うんだろう」と思ってレビューを読み、ここがNGOによって設立されたインドで最初の、アシッド・アタックの被害者のための施設であることを知った(パキスタンに同様のコンセプトの美容院があるらしい)。レビューの多くは欧米の観光客のものだったが、中国や韓国、ベトナムのひとたちのものもあり、みな口々に「素晴らしい体験」と書いていたので、タージ・マハルを観光する機会を利用して行ってみることにしたのだ。

 Sheroes Hangoutは幹線道路に面した小さな一戸建てを改築したカフェで、中庭のテラス席では若い白人女性が一人で本を読んでいた。1階にはテーブル席が6つか7つあり、左手の大テーブルはスタッフが使っていた。壁の書棚に自由に読める本が並べられ、部屋の奥には試着室があって、これも若い白人女性がサリーの着付けをしてもらっていた。それを手伝っている女性の顔にはたしかに傷があるが、凝視しないとわからない程度だ。

カフェの店内。奥でサリーの着付けをしてもらっている    (Photo:©Alt Invest Com) 

 

 窓際の席に座って、カレーとビリヤニ、カフェオレを頼んだ。注文を取りに来るのはNGOのスタッフの女性だったが、これはアシッド・アタックの被害者の多くが地方の出身で、満足な初等教育を受けることもできなかったため英語を話せないからのようだ。

 あらかじめわかっていても、やはり驚きはあった。だがそれは顔の傷というより、女性が料理を運んでくることだった。北インドだけでなく、南インドやスリランカでも「ウエイトレス」に出会ったことはないから、これはまさに初体験だった。

 カフェの2階が調理場になっていて、そこではアシッド・アタックの被害者の女性が料理をつくっている。インドでは、浄と不浄のタブーがきわめて強い。入口に大きな女性のイラストを掲げているのは、一般のインド人がなにも知らずに入ってきてトラブルになるのを防ぐためもあるのだろう。

カフェのメニュー。アシッド・アタックの被害を受けた女性がコック (Photo:©Alt Invest Com) 
カレーとビリヤニ、カフェオレ。料理はベジタリアン    (Photo:©Alt Invest Com) 

 

 Sheroes Hangoutがオープンしたのは2014年末で、それ以来『ウォール・ストリート・ジャーナル』などさまざまなメディアで紹介されている。

 アシッド・アタックの被害者は傷つけられた顔を恥じて外出もままならず、実家で邪魔者扱いされながら老いていくほかはない。NGOの創設者であるアロク・ディキシットAlok Dixitは、彼女たちの仕事の場をつくると同時に、理不尽な暴力とたたかう「ファイター」として、傷つけられた顔をさらして生きていく勇気を与えることを目的としているのだと述べている。

 店の壁には、各国語でカフェの説明がある。日本語は「シエロたむろう、酸攻撃戦闘機でうまく走っているカフェ」という意味不明のものになっているが、これはインターネットの翻訳を使っているからで、英語は「A Cafe Successfully Running by Acid Attack Fighters」だから、「アシッド・アタックへのファイターたちによって成功裏に運営されているカフェ」ということになる。

 2016年10月には映画『ハリー・ポッター』シリーズで死喰い人のリーダー、ルシウス・マルフォイを演じたイギリスの俳優ジェイソン・アイザックスが訪問したことがニュースになった。その影響もあって、客のほとんどは店の趣旨に賛同した欧米の旅行者のようだ。

カフェの壁に掲げられた店の説明。残念ながら日本語は意味不明  (Photo:©Alt Invest Com) 


 
 Sheroes Hangoutはカフェだけでなくワークショップも兼ねており、サリーやアクサリーなどを自分たちでつくっている。試着していた女性は、サリーからサンダル、腕と足首のブレスレットまで一式を購入すると、その格好のまま表で待たせていた車に乗り込んでいった。

 料理はどれも美味しかったが、もうひとつ驚いたのは、支払いをしようとすると「いくら払うかあなたが決めてください」といわれたことだ(そういえば、メニューにも値段が書いてなかった)。“ノン・プロフィット”の事業だからというが、こういうところでいくら出せばいいか見当もつかないので、似たようなカフェの相場の1.5倍くらいを払い、それとは別に『Priya’s Mirror(プリヤの鏡)』という絵本を購入した。

 その絵本は、虎に乗ったプリヤという若い女性(彼女はかつてレイプされた経験があった)が、口から酸を吐く男(彼はかつて、恋人の兄たちに酸を飲まされ怪物に変身した)に囚われている、アシッド・アタックの被害者の女性たちを救出する、という物語だった。プリヤは、「わたしたちはたんなる“Victim(被害者)”ではなく、それ以上の強さを身につけることができる」と説き、女性たちは怪物の城を出て、法律家や芸術家など、それぞれの夢を実現するのだ。――これが、Sheroes Hangoutの理念なのだろう。

アシッド・アタックの被害者に、強く生きることを説く『Priya’s Mirror(プリヤの鏡)』   (Photo:©Alt Invest Com)