アラブ
2018年3月2日 岩永尚子

[教えて! 尚子先生]
エルサレム問題とは何ですか
~2017年のトランプ大統領の首都認定宣言から~

【中東・イスラム初級講座・第45回】

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昨年(2017年)12月、エルサレムをイスラエルの首都と認定する宣言したトランプ米大統領。その背景にはなにがあるのか。日本では珍しい女性の中東研究家として活躍する岩永尚子先生がわかりやすく説明します。

 2017年12月6日に、トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都と認めると宣言しました。この宣言はアメリカの中東政策の方針転換を意味する重要な宣言で、今後の中東和平に対して多大な影響を与えるのは明らかです。

 今回はこの宣言が発せられた背景と、その問題点について説明していきます。そして、現段階ではこの宣言が与えた影響について語るには時期尚早ですが、これまでの各方面からの反応についてまとめてみたいと思います。

エルサレムの歴史的変遷

 エルサレムの問題はわかりにくいため、まず簡単にエルサレムの歴史的変遷について触れてみましょう。
 
 エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地があるとされています。十字軍のように、キリスト教徒とイスラム教徒がエルサレムをめぐって戦ったこともありましたが、13世紀以降、エルサレムはふたたびイスラム教徒の支配下に置かれました。
 
 イスラム教徒の支配下に置かれてはいたものの、エルサレムがイスラム教徒だけの街になったわけではありません。16世紀以降のオスマン帝国の支配下では、キリスト教徒には高い税金が課されていたものの、異教徒であることを理由に追放されることはなく、共存していました。
 
 第一次世界大戦においてドイツとともに戦ったオスマン帝国が敗北すると、エルサレムを含むパレスチナは、イギリスの管理下に置かれました。第一次世界大戦中にイギリスがユダヤ人に対して、パレスチナに民族的郷土の設立を承認したために、ユダヤ人の入植者たちが流入しました。その結果、以前からこの土地に住んでいたアラブ系の人々(のちにパレスチナ人と呼ばれる)と対立するようになっていきました。
 
 ドイツにヒットラー政権が成立し、ユダヤ人の迫害が始まると、ユダヤ人の流入が急増しました。第二次世界大戦後、イギリスは両者の対立を抑えこめず、パレスチナの地に留まることを断念し、国際連合に対立の解決を委ねます。

 国連はパレスチナにアラブとイスラエルの2国を建設し、エルサレムは国際管理下に置くべきと決定しました。この提案をアラブ側は拒否、イスラエル側は1948年5月のイギリス軍の撤退にあわせて「独立」を宣言します。

 この独立宣言に対して、近隣のアラブ諸国はイスラエル建国を阻止し、パレスチナの同朋を救うという目的のもとに軍を送ります。これが第一次中東戦争(パレスチナ戦争)です。

 アラブ側は最終的には、大半のパレスチナの土地をイスラエル軍にわたして敗走しました。ヨルダン軍だけはヨルダン川の西岸の一部と、3つの宗教の聖地が集まった旧市街を含むエルサレムの東側に留まりました(ヨルダンの当時の名称はトランス・ヨルダン)。
 
 ヨルダンは1949年にイスラエルとの停戦協定を結び、翌年、西岸と東エルサレムを併合しました。1967年の戦争によってイスラエルに「占領」されるまで、東エルサレムはヨルダン領でした。そのため、現在でも旧市街のイスラム教の聖地であるアル・アクサ・モスクの管理は、ヨルダンが行なっています(1988年ヨルダンは西岸の統治権を放棄)。
 
 アル・アクサ・モスクに隣接する、ユダヤ教徒が聖地とする嘆きの壁はヨルダン領で、ヨルダンとイスラエルは国交がないため、ユダヤ人たちは嘆きの壁を訪れることができず、そこで祈ることもできませんでした(正確には、アル・アクサ・モスクは破壊されたユダヤ教の神殿の上に建設されており、その神殿の城壁の一部が嘆きの壁となっています)。そのため、東エルサレムの奪還、つまり「占領」は、イスラエルにとって、政治的にも宗教的にも重要な意味を持っていました。
 
 実は、イスラエルがエルサレムを首都とするという宣言は、東エルサレムを「占領」する以前の、建国直後の1950年に一度行なわれています。ですが、1950年の宣言でのエルサレムとは、西エルサレムだけを指していました。そのため、イスラエルは東エルサレムを「占領」したのちの1980年に、再度、エルサレレムが「完全で統一された」首都であると宣言しました。

 この宣言後、イスラエルの首相や閣僚たちがエルサレムの問題について語る際には、かならずといっていいほど、エルサレムという街の名前の前に「統一された」や「不可分の」とか「永属的な」という形容詞をつけています。この形容詞には、エルサレムが分断されていたという歴史を終わらせ、「これからは分割させないぞ」という強い意志が表れているのでしょう。
 
   一方、東エルサレムはイスラエルに「占領」されていますが、そこには約25万人といわれるパレスチナ人が居住しつづけています。そして、彼らは東エルサレムを将来のパレスチナ国家の首都とすることを希望しています。東エルサレムは国際法ではイスラエルに違法に「占領」された状態のままです。
   
 エルサレムの処遇については、これまでの和平交渉において、他の問題が解決したのちの最終地位交渉において協議されるべき問題であるとされてきました。つまり、エルサレムは、問題が「山積み」で「棚上げ」されたままの街なのです。

高台から見たエルサレム市街地(Photo:©Alt Invest Com)