橘玲の世界投資見聞録
2018年3月29日 橘玲

懲罰的な意味合いの強い日本と違う
幸福度世界第3位のデンマークの「自己責任」論
[橘玲の世界投資見聞録]

北欧の国では「自己責任」が移民排斥の正当化に使われている

 デンマークでは「自立Self-governance」「自由Freedom」「能力Competency」を重視する教育が1960年代にはじまり、90年代には「(自律して自制心をもった)有能な子どもThe competent child」という概念が成立した。「有能な子ども」は自らの行動に責任をもち、自らの望みや利益・関心、気分について筋の通った説明ができる。また社会の要請を敏感に察し、自己洞察を身につけ、周囲から期待されているものを内在化する。

 それとともに、これまで親の責任とされてきた「子育て」が、行政と子ども自身で責任を分け合うものへと変貌した。移民のなかには子どもを保育所に入れたがらない親もいるが、「公共保育を通じて言語能力や社会性が培われる」との理由から「親の無責任」は許されず、90年代にはほぼ100%の子どもが保育所に通うようになった。子どもの権利条約が採択されると、「子どもの成長に責任の一端を握るのは子ども自身」という教育論が確立した。

 このようにして育てられた「有能な子ども」たちが「自立した市民」になっていくのだが、誰もが社会の要請を理解し、期待に応えていくほど強くいられるわけではない。「国家が規範として求める自立・自律のスタンダード」を満たすことができず、孤独やストレスからアルコール、薬物、過食・偏食などにつかの間の安らぎを見出す者も出てくるのは、ある意味自然なことだ。

 こうした反省から、政府は「過剰な個人の自由」を再定義し、新保守主義的な道徳観への転換を試みているという。これがデンマークにおける「ネオリベ化」だ。

「有能な子ども」から「自立した市民」に成長するのは国民の義務なのだから、「デンマーク人以外の民族的背景をもつ」国民、すなわち移民2世・3世にも適用される(ちなみにこれは、デンマークにおける「移民」の政治的に正しい表現だ)。この国では、「自己責任のとれる自律した個人」でなければ居場所はないのだ。

 その結果、移民の若者が中等教育をドロップアウトすることが社会問題になると、教育大臣は「子どもに無断欠席を許すのは親の管理が行き届いていないからだ」として、親に罰金を科すことを提案した。18歳未満の子どもをもつ親には「子ども小切手」が支給されるが、子どもが長期欠席している場合はこれを減額あるいは停止するというのだ。「極右」のデンマーク国民党からは、1週間の不当欠席で2000クローナ(約3万2000円)の罰金という提案も出された。「態度が悪かったり、物を壊したり、学校に通わなかったりする生徒やその親に対しては、さらなる措置を検討したい」との教育大臣の発言もあった。

 こうしてみると、北欧の国では「自己責任」が移民排斥の正当化に使われていることがわかる。デンマーク社会が寛容なのは、移民の子どもたちが自らの意思で「有能な子ども」になろうとする場合だけなのだ。

それでもデンマークは幸福度ランキング世界第3位

 ここで強調しておかなくてはならないのは、デンマークが「個人の自由と自己責任」を過剰に強要する社会だからといって、それが国民を不幸にしているわけではないことだ。

 デンマークはOECDで3番目に抗うつ剤の消費量が多い国(1番はアイスランド)で、自殺率も高い。ただしこれは冬の日照時間が短い影響が大きく、自殺件数は1980年頃のピークから4割程度まで下がった。

 それにもかかわらず、2006年に発表されたイギリス・レスター大学の心理学研究者エイドリアン・ホワイトの「世界の幸福度調査」でデンマークは1位になり、2008年にミシガン大学のロナルド・イングルハードらの世界幸福度調査でも「1981年から2007年でもっとも幸福な国」に選ばれたことで一躍注目を集めた。最新の国連「世界幸福度ランキング」(2018年3月14日発表)でも、デンマークはフィンランド、ノルウェーに次いで第3位になっている(日本は54位)。

 これは、自己責任の社会でも自由な選択が認められているのなら、ひとびとの幸福度は高いということなのだろう。ネオリベ適性の高いひとにとっては、「福祉が充実した自己責任の社会」は居心地がいいのだ。

 デンマークで暮らす鈴木優美氏は、日本語の「自己責任」には「自業自得」「因果応報」というニュアンスが込められているが、デンマーク語では「他人/公への必要以上に拡大した依存心を減らして、自分でできることは自らの力でかなえるべき」という「強い者の(援助なしでの)自立」を謳っているように感じられるという。

「大きな政府がなんでも面倒を見てくれるために、自分で何ができるかを考えてみることもせずに、公にサポートを要求するような無責任な国民を生み出している」という自己責任論の高まりを受けて、政府は“ネオリベ”的な小さな政府を目指し、2008年に「私の責任」という会議を開催した。

 ここで興味深いのは、「高齢者を大切にして、家族の温かさを取り戻そう」という政府の「道徳キャンペーン」に対してアンケートに答えた75%の国民が、「家族が高齢者の面倒を見ることを法律で義務付けるのは反対」とこたえていることだ。デンマークの息子や娘たちは、親の面倒を見ることで自分たちの「自由」が侵害されることを理不尽だとして、高齢者の面倒はこれまでどおり国・自治体がみるべきだと考えているようだ。

 ただしその際には、あくまでも高齢者の意思を尊重して、本人が望まない過剰な世話を焼く必要はいっさいない。このようにして、福祉社会と自己責任は折り合いがつくのだろう。
 

橘 玲(たちばな あきら)

橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)など。最新刊は『80's エイティーズ ある80年代の物語』(太田出版)が好評発売中。

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