橘玲の世界投資見聞録
2019年1月17日 橘玲

アメリカのもっとも著名なリベラル知識人が唱える
「テクノロジーのスーパーノバ」時代に対する答えがバカげている
[橘玲の世界投資見聞録]

「やってもできない」人間は自己責任で社会の最底辺に突き落とされる

『LIFE SHIFTライフ・シフト 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)のリンダ・グラットンも、「技術が進化すれば、人間も変わらなければいけません。技術についていくために、また人間にしかできない仕事をするために、学び続けるのです」と述べている(朝日新聞2018年12月19日)。フリードマンだけでなく、すべてのリベラルな知識人が、「AIの時代に生き延びるために機械を超える能力を獲得しろ」と私たちを叱咤する。

 しかし、こんなことがほんとうに可能なのだろうか。

 人生100年時代に「生涯教育」しようと思えば、1世紀にわたって最新知識を学びつづけなくてはならない。私のプログラミングの知識はExcelのVisual Basicを使って簡単なトレーディングソフトを自作したことがあるだけだが(それも20年ちかく前)、そんな人間がこれからコーディングを勉強してIT企業でデジタルネイティブの若者たちと机を並べてエンジニアの仕事ができるようになるだろうか。

 これが可能だとほんとうに信じているのなら、工場が閉鎖されたラストベルトに吹きだまり、フェイクニュースを信じてトランプに投票し、アルコールやドラッグで「絶望死」している白人たち(プアホワイトとか、ホワイトトラッシュ/白いゴミと呼ばれているひとびと)にIA(知的支援)をほどこして、リベラルしかいないシリコンバレーのIT企業で働けるようにすればいい。アメリカのリベラルは反トランプのデモなどやる必要はなく、さっさとトランプ支持者を「教育」すべきだろう。

 これがいかにバカバカしいかはちょっと考えれば誰でもわかるだろうが、リベラルには「教育」を聖杯として掲げなければならない理由がある。それは、知能やスキルが教育=環境によって向上させられないとすると、それが遺伝によって決まることを認めるほかないからだ。

 拙著『言ってはいけない』や新刊『もっと言ってはいけない』(新潮新書)で指摘したように、認知科学の領域では、知能は(かなりの程度)遺伝するという膨大な知見が積み上がっている。だが原理主義的なリベラルは、「肌の色以外は人間はすべて平等であるべきだ」というPC(政治的正しさ)に固執しているためこの事実を受け入れることができない。とはいえ、現実に「加速する時代」が要求する職業スキルを獲得できないひとたちがいることも否定できない。

 生得的な知能の差を無視してこれを説明しようとすると、残された理由はひとつしかない。「やる気がない」だ。なぜなら、すべてのことは「やればできる」はずだから。

 これは私の「リベラル」に対する偏見ではない。論理的にこうなるほかないことは、大手企業(AT&T)で社内教育を担当するリベラルな経営幹部(最高戦略責任者)がフリードマンに語った次の言葉からも明らかだ。

「生涯学習をやる覚悟があれば、生涯社員になれます。私たちは社員に(教育)プラットフォームを与えますが、参加を決めるのは本人です」

「会社には、社員が目標に到達するためのツールとプラットフォームを用意する責任があります。選択とモチベーションは、個人の役割です。私たちがプラットフォームを提供しなかったために、[そうせずに]会社を辞めるようなことが、あってはなりません――モチベーションがなかったからそうなるのだということを、はっきりさせる必要があります」

 ひとを知能によって差別してはならないとするリベラルの理想世界では、すべてのひとがモチベーション(やる気)によって差別されることになる。デジタル・デバイドが解消されれば、次にやってくるのはモチベーション・デバイドだ。――ついでに、「教育」の重要性を説くリベラルな知識人の大半が教育者であることも指摘しておこう。この(生得的に)知能の高いひとたちは、「教育」の価値が高まることで直接的な利益を得る立場にある。

 強大なテクノロジーを手にしたリベラルが理想を追求すれば、「やってもできない」人間は生涯学習の「社会契約」に違反したと見なされ、自己責任で社会の最底辺に突き落とされるグロテスクな未来が到来することになるだろう。

「加速する時代2.0」に必要なのは自分が生まれ育った「古きよきミネソタ」!?

 現代アメリカでもっとも著名で良心的なジャーナリストが世界最高の知性を取材して得た結論が、「生涯学習できない人間が落ちこぼれるのは自己責任」というのは衝撃的だ。さらに、邦訳で上下巻合わせて800ページを超えるこの本の後半3分の1で、フリードマンは生まれ故郷ミネソタの話をえんえんと始める。

 ミネソタ州ミネアポリス郊外のセントルイスパークはユダヤ系にも寛容な土地で、そのゆたかなコミュニティこそが「アメリカ」の本質だとフリードマンはいう。「白熱教室」で知られるコミュニタリアン(共同体主義者)の哲学者マイケル・サンデル(『これからの「正義」の話をしよう』)が同郷の友人で、その強い思想的影響もあって、「よきコミュニティこそがよき政治とよきひとびとを生み出す」と強く信じているのだ。こうして、「加速する時代2.0」に必要なのは自分が生まれ育った1950年代の「古きよきミネソタ」だというなんとも奇妙な話になっていく。

 日本でも「田舎」や「故郷」が無条件に素晴らしいというひとはたくさんいるから、アメリカに同じような知識人がいても驚くことはないのだが、それでもこの力作を読み終えて不思議に思ったのは、どのようにしたらトランプの時代に「ミネソタ」が復活するのかまったく書かれていないことだ。これでは、「強く願えば夢はかなう」と説くあやしげな自己啓発本とたいして変わらない。

 そう考えれば、(フリードマンの意に反して)『遅刻してくれて、ありがとう』という奇妙なタイトルに別の含意があることに気づくだろう。1953年生まれのフリードマンは、時代がとてつもない勢いで加速する現実を目の当たりにして驚愕し、「スーパーノバ(テクノロジー爆発)」に対して「遅刻してくれて、ありがとう」といっているのだ。なぜなら、すでに功成り名を遂げ、じゅうぶんな資産を築き、高みから「スーパーノバ」が引き起こす阿鼻叫喚を眺めることができるのだから――というのは、やはり皮肉が過ぎるだろうか。