橘玲の日々刻々
2019年2月14日 橘玲

自販機で小銭を集める老女に
1万円を渡すことは効果的な慈善と言えるのか?
[橘玲の日々刻々]

橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン 配信中

 昨年の暮れ、いろいろ用事が立て込んで深夜3時過ぎに仕事場を出て、徒歩で15分ほどの自宅に向かって歩いているときのことだ。私の前を、分厚いオーバーの下に重ね着した小柄な老女がビニールバッグを抱えて歩いていた。自販機があるたびに立ち止まり、釣銭の返却口を一つひとつ調べている。 

 昼間だと人目が気になるから、誰もいないこの時間を選んで、わずかな小銭を手に入れようとしているのだろう。そう思って、見てはならないものと遭遇したときにように目を伏せて老女を追い越したあと、ふと考えた。財布から1万円札を取り出し、いまから引き返してあの老女に渡すべきではないだろうか。

 こうした行動は、経済学的にはじゅうぶん正当化できるように思える。老女が朝までかけて近隣の自販機をすべて回ったとしても、手に入るのはせいぜい100円か200円だろう。それに対して、財布から1万円札が1枚減ったとしても、私がそれを気にする理由はほとんどない。

 お金の効用を考えれば、1万円は老女にとってものすごく大きく、私にとってはそうでもない。だとすれば、お金の価値が小さな側から大きな側に移転することで全体の効用は大きくなるだろう。

 誤解のないようにいっておくと、これは政府による所得の再分配について述べているのではない。私のお金をどのように使おうと私の自由なのだから、1万円札を財布に入れたまま何カ月も持ち歩くより(キャッシュレス化が進んだ東京では現金を使うことはほとんどなくなった)、ずっと有効に活用する機会が目の前にあるのなら、経済合理的な個人はそちらを選択すべきではないのか、という話だ。

 もちろん、老女に現金を渡さなくてもいい理由はいくらでもあるだろう。

 困っているひとは世の中にたくさんいるのだから、誰にお金を渡して誰に渡さないかの基準をどうやって決めるのか。その老女が見知らぬ人間から(それも午前3時に)いきなり1万円札を渡されて、喜ぶかどうかなどわからない。そもそも、そんなことで人助けができると思うことが傲慢で、たんなる自己満足だ……。

 私もこうした理屈をあれこれ思いつき、「まあいいか」と思って家に向かった。

 こんなささいな出来事を思い出したのは、ウィリアム・マッカスキルの『〈効果的な利他主義〉宣言! 慈善活動への科学的アプローチ』(みすず書房)を読んだからだ。原題は“Doing Good Better(よりよく「よいこと」をする)”で、功利主義の立場から、まさにここで述べた問いに答えようとしている。――マッカスキルはオックスフォード大学准教授で、NPO団体のGiving What We Canや80000hoursを運営している。

それでも慈善は正当化できる

 慈善(フィランソロピー)をどう考えるかは、現代の倫理学にとってきわめて重要な課題だ。すこしでも現実を理解している者にとって、「かわいそうなひとがいるから寄付すべきだ」という安易な感情論が成立しないことは当然の前提になっている。

 これまで何度か慈善(よいこと)について書いたことがあるが、どれもよく読まれていることから、読者の関心が高いことがわかる。

「”悲惨な現場”を求めるNGOの活動がアフリカで招いた不都合な真実」では、欧米のひとびとの“善意”によって、アフリカで「両手切り落とし団(カット・ハンド・ギャングズ)」というおぞましい集団が誕生した経緯を述べた。

「”フェアトレード”の不公正な取引が貧しい国の農家をより貧しくしていく」では、「公正(フェア)」の名の下に市場原理を否定することで利権が生まれ、貧しいひとたちがより苦しむことを指摘した。

「2015年までに世界の「絶対的貧困」を半減させるという野心的なプロジェクトはその後どうなったのか?」では、経済学者ジェフリー・サックスがロックグループU2のボノや女優アンジェリーナ・ジョリーを巻き込んで、鳴り物入りではじめた「ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクト」が“貧困ポルノ(poverty porn)”と総括されたことを書いた。

 こうした実情を知れば知るほど、「寄付なんてしたってしょうがない」とか、さらに「寄付をしないほうが世界はよくなる」などと考えるのも理解できる。――じつは私もそう思っていた。

 それに対してマッカスキルは、こうした批判を受け入れたうえで、それでも慈善は正当化できるという。

 バングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌスは、マイクロクレジット(グラミン銀行)によって途上国の貧困を大きく改善したとしてノーベル平和賞を受賞した。私も、マイクロクレジットにはさまざまな批判はあるものの、一定の成果を出していると考えていた。

 だがマッカスキルはこれを、「証拠の信憑性が低いもっとも痛烈な例のひとつ」だという。「質の高い調査を行なうと、マイクロクレジット・プログラムは所得、消費、健康、教育にほとんど(またはまったく)効果を及ぼしていないことが証明された」のだ。

「マイクロローンは起業ではなく食品や医療といった追加の消費活動にあてられることが多く、ローンの利息は非常に高いのがふつうだ。さらには、長期的な財務の安定を犠牲にして短期的な増収をはかろうという誘惑を生み出し、返済不能な債務に陥ってしまう場合があるのだ。最新の調査によると、マイクロクレジットは平均的には人々の生活をやや向上させるようだが、決してさまざまな成功談が描いているような万能薬とはいえない」

 こうした悲観論を前提として、それでもなお慈善に楽観的になれる理由があると主張するのが、マッカスキルが凡百の「いいひと」とちがうところだ。なぜなら慈善には、ときにものすごい「大当たり」があるから。