橘玲の日々刻々
2019年7月18日 橘玲

いじめの解決には、教育に「科学」を導入し、いじめの温床に
なっている「学校風土」を実践的に変えていく方途を探ることが必要
【橘玲の日々刻々】

 

学級内で「いじられキャラ」をつくることがいじめを生み出す

 欧米ではいじめの実態がさまざまな視点から研究されている。

 いじめの加害者については、多くの研究で「生まれながらの気質、保護者の養育態度」などが大きな影響を与えていると指摘されている。

 6~16歳のときにいじめの加害者だった子どもは、19~26歳のときに反社会性パーソナリティになるリスクが4倍程度になる。加害と被害の両方を体験した子どもは、成長してからのうつ、不安障害、パニック障害、自殺企図などのリスクが、そうした経験をしていない者より高かった。より衝撃的なのは、このリスクが被害経験のみの者よりも高かったことだ。

 いじめの被害体験は不安、抑うつ、社会的機能不全、さまざまな身体症状に関連し、長期的な影響を与えることもわかっている。いじめと自殺が関連するのは日本だけではなく、いじめ被害者はそうでない者に比べて、自殺念慮のリスクが2.4倍、自殺企図(実際に計画する)が2.5倍との研究もある。ここでも、もっとも自殺念慮を示すリスクが高いのは、いじめの被害と加害の両方を体験した者だとされる。

 だがこうした研究では、相関関係はわかっても因果関係までは確定できない。いじめによってうつ病になったのかもしれないし、抑うつ傾向にある子どもがいじめを受けやすいのかもしれない。

「いじめの被害者にも問題がある」との暗黙の常識は、加害者を免責しいじめの構造を温存することにしかならない。だからこそ、いじめ問題を考えるときには「被害者に責任はない」を前提としなければならないのだが、これは「すべての子どもにいじめ被害者になるリスクがある」という一般論を繰り返せばいいということではない。

 欧米では、いじめ被害と自己責任を切り離したうえで、被害にあいやすい類型(タイプ)が研究されている。

1 誘発型被害者:「理屈っぽい」「怒りやすい」「パニックになる」「反応がよい」ことから加害者を刺激しやすい
2 受け身(孤立)型被害者:「受動的」「静か」「友だちが少ない(もしくはいない)」「社会性に欠ける」ことから、加害者が何をしても(いじめても)影響がないと思われる。
3 捌け口型被害者:「弱く、失敗をしやすい」「いじめを怖がっている」と思われることから、集団のなかでスケープゴート的に(集団の結束のために)いじめられてしまう。

 このうち「孤立(友だちがいない)」はいじめ被害のリスクを1.42~1.89倍にし、学業成績が悪いことはいじめ被害のリスクを2.08倍高めるが、逆に学業成績がよいこともリスクを1.27倍に高めるとされる。また、保護者が教育に無関心であることはいじめ被害を1.65倍高めるが、同時に加害者になるリスクも1.66倍にしてしまうという。

 日本の学校においては、「いじめ」と「いじり」の区別がしばしば問題になる。これについて和久田氏は、「子どもの住んでいる世界は、仲間の評価が人生のすべてだと考える時期」だとして、「みずからの自尊心を差し出すことで仲間に入ろうとする」子どもがいるのではないかとする。「無視されるよりは、いじめられたほうが、相手にされるだけマシだと考える。同じことをされるのであれば、笑いがあったほうがまだ救われる。だったら仕方がない、いじられキャラとして生きていこう。そういう悲しい決断が彼のなかにあったはずだ」というのだ。

 これについて私は、テレビのバラエティ番組の影響が大きいと考えている。子どもたちは「コミュ力」を、テレビに出てくるひな壇芸人のやり取りから学ぶ。そこでは司会者の突っ込みに対して当意即妙な受け答えをするだけでなく、その場の空気を読んで「いじられ」、笑いを引き出すことも重要な役割だとされる。そして実際に、「いじられキャラ」の芸人はきわめて高い人気を獲得している。

 バラエティ番組に日常的にさらされている子どもたちは、「正しくいじられること」がコミュ力の高さを示し、成功への道だと考える。だとしたら、「いじり」を教育(説教)によってやめさせるのはきわめて困難だろう。学級内で「いじられキャラ」をつくることがいじめを生み出すとするならば、まずはテレビのバラエティ番組を禁止する必要があるのではないだろうか。

 

いじめは「教室全体が劇場空間」であり、「観衆(傍観者)の反応によって進行するドラマ」

「加害と被害の非対称性(100倍の法則)」がある以上、いじめを加害者と被害者の両者への指導だけで解決するには限界がある。そこで重要になるのが「傍観者」だ。

 いじめは「教室全体が劇場空間」であり、「観衆(傍観者)の反応によって進行するドラマ」だとされる。

 欧米の実態調査では、いじめ状況のうち74%で傍観者は加害者側に立ち、被害者側に立ったのは23%、被害者を助けようとしたのは13%だった(同じ調査で教師が介入したのはいじめ状況の4%だった)。これは、「傍観者が加害者側に立っているときにいじめが起きる」と読み替えることもできる。

 小学1年から中学2年までの児童生徒を対象とした欧米の調査では、83%の傍観者がいじめ状況を不愉快だと感じていた。傍観者がいじめを止めようとした場合、「まったく効果がなかった」が26%、「効果があったかどうか判断できなかった」が17%に対し、「効果があった(数秒以内にいじめが止まった)」のは57%だった

 いじめが「教室を舞台としたドラマ(演劇)」であるなら、演じる者(加害者)は観衆(傍観者)が反発するようなことはできないのだ。――これはいじめを考えるうえできわめて重要な視点だ。

 ではなぜ、観衆(一般生徒)はいじめをやめさせることに積極的にかかわらないのか。これは社会心理学が「傍観者効果」で説明している。

 私たちがしばしば目の前の犯罪(面倒な出来事)を見て見ぬふりをするのは、「多元的無知(他のひとが行動しないなら緊急性がないのだろう)」「責任分散(他のひとがやらないなら必要ないのだろう)」「評価懸念(このくらいのことで騒ぐのは恥ずかしい)」の効果に支配されているからだ。

 学校でも、この傍観者効果によって一般生徒は級友のいじめにかかわることを躊躇している。しかし同時に、彼ら/彼女たちはいじめの被害者と同様に心理的苦痛を受けている(いじめを不愉快だと思っている)。

 だとしたら、この一般生徒たち(傍観者)がいじめに対して「NO」といえるような教室=劇場空間の雰囲気をつくっていくことはできないだろうか。こうして欧米ではさまざまないじめ予防プログラム(グループワーク)が導入され、その効果が確認されているものもあるという。

 日本とは制度や環境が異なるのでそのまま使うのは難しいとしても、効果の判然としない「対策」をいたずらに積み重ねるより、こうした「科学」を採り入れたほうが、教師ばかりでなく保護者もずっと納得感が高いのではないだろうか(具体的なプログラムについては和久田氏の本をお読みいただきたい)。