橘玲の世界投資見聞録
2019年10月10日 橘玲

ヨーロッパの極右や排外主義者は
リベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」だ
【橘玲の世界投資見聞録】

オンラインでは、「極右」と「アンチファ」のプロフィールはとてもよく似ている

 ジャーナリストのジェイミー・バートレットは『闇ネットの住人たち』で、ポールと名乗るイングランド防衛同盟(EDL)の元メンバーについて書いている。

 はじめて出会ったときのポールの印象は「若々しく、顔はハンサム、髪は黒の短髪」で、首筋からは刺青が覗いていて、「礼儀正しく、気配りができ、よく笑う」いい飲み相手だった。

 ポールはドラッグやパーティに溺れる放埓な生活を送っていたが、友人の一人がFacebook上でEDLのページを「いいね!」したことでこの団体の存在を知ることになった。「その名前に何かひっかかった」ポールが、もっと知りたくなって「いいね!」をクリックすると、EDLの最新情報がニュースフィードされてくるようになった。

 ポールはすぐに他のメンバーたちと交流し、積極的にコメントを投稿しはじめた。それが主要メンバーの目にとまって秘密のFacebookグループに招待され、モデレータ(管理者)になることを求められた。

 EDLのFacebook管理者は8人いて、それぞれが関連する記事の発見と投稿、次回のデモに関するアドバイス、不適切なコメントの削除、受信したDM(ダイレクトメッセージ)への返信、荒らし(トロール)対策などを担当している。Twitter管理者はベッキーという礼儀正しい16歳の少女で、起きてから寝るまで、友だちと外出している最中ですらTweetをつづけている。「他の仕事なんて想像もつきません。私はこの仕事を愛しているんです」とベッキーは語る。

 2012年前半には、ポールの管理するグループのメンバーは1000人を超えた。オンライン上のさまざまな管理業務はポールの時間を奪うようになり、やがて1日の90%をネット上で過ごすまでになった。

 ポールはグループのメンバーと話題を共有し、仮想の友人ネットワークを構築し、「共通の敵」とたたかっていた。「敵」はSNS上にいる過激なムスリムであり、「アンチファ(アンチファシスト)」の活動家だった。

 彼らと議論するたびにポールの意思は固くなり、語調は強くなり、攻撃の回数も増えていった。敵も存分に反撃してきたため、オンラインバトルはエスカレートするばかりだった。

「エコーチェンバー」は、自分にとって快い主張だけをインターネットで収集し、増幅・強化することだが、それは多様な意見(敵の主張)に触れ、"議論"することによってますますグロテスクなものになっていくのだ。

 アンチファは新種の市民運動家のたまり場で、極右の通信内容やプロパガンダのスクリーンショットを撮って保存し、警察に送りつけたりするために、やはり長い時間をオンライン上で過ごしている。

 こうした「孤独な自警団」の一人は、別の話題(公共投資削減の是非)のTwitter上の論敵がEDLに関係していることを知って、アンチファの活動にのめりこんだという。すくなくともオンラインでは、「極右」と「アンチファ」のプロフィールはとてもよく似ている。

 バートレットはこう述べている。

ポールは、自分が国家や文化のために立ち上がり、イスラム過激派から実存的な脅威を防いでいるのだと心から信じているのだ。アンチファはアンチファで、ファシストがイギリス中をのし歩いており、EDLのメンバーは全員が隠れレイシストでならず者で、イギリスにファシズムが復活する危険を防いでいるのは自分たちだと信じている。現実はもっと複雑なのだが、彼等自身の閉じた世界の中では、どちらも真実なのである。

 

ペギーダの支援者たちの自己認識は「イスーラムの全体主義に抵抗する「反」ファシスト」

 近刊の『ラディカルズ』でジェイミー・バートレットは、ドレスデンでの「ペギーダ(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)」の集会に「ペギーダUK」の代表として参加したトミー・ロビンソンを取材している。

 ドイツのリベラルな知識人から蛇蝎のごとく嫌われるこの「極右勢力」について、リベラルなジャーナリストであるバートレットは「彼らは軍靴を履いたスキンヘッドでもなければ、かつていたような知識人ぶった、人種にこだわる白人至上主義者でもない。年齢や職業もさまざまで、礼儀正しく、秩序を重んじる人たちだ」との印象を述べている。

 ペギーダは、「自分たちは人種差別主義者ではなく、言論の自由と進歩的な社会政策を支持している」とし、グローバリスムを批判し、エリート層に対して「人民」を代表する立場にあると主張している。その目的はイスラームの脅威から自国や欧州の文化を守ることで、支援者たちの自己認識は「イスーラムの全体主義に抵抗する「反」ファシスト」なのだ。――彼らは自分たちを、「イスラムのことで声を上げることをおそれる政治的に公正(ポリティカリーコレクト)なエリートたちを無視する勇気と正直さをもちあわせた「現実主義者」」の集まりと考えている。

 このようにして、ペギーダとリベラルな活動家との対立は、「イスラームへのアンチファ」と「極右へのアンチファ」、すなわち「ファシズム」に対するリベラルVSリベラルの対立という奇妙な様相を呈することになる。だがヨーロッパのリベラルな知識人たちはこの構図を認めることを拒絶している。その理由をバートレットは、「ジャーナリストや労働党の議員たちが彼ら(極右)を愚かな人種差別主義者の集まりだとしてはねつけなかったらとしたら、彼らに対してある種の道徳的義務を感じないわけにはいかなくなり、それは大変な負担となったことだろう」と説明している。

 バートレットは、イギリスやドイツの「リベラル」を次のように描写している。重要な指摘なので、少し長いが引用しておこう。

(EDLやペギーダの支持者たちは)人種差別主義者と呼ばれ、愚か者と呼ばれ(てきた)。だが彼らは、旗を振りシュプレヒコールを叫びながら、自分たちを無視したり見下したりする仕組みのなかで、力らしきものを取り戻していると感じている(多くは貧しく、不満だらけで、社会から取り残されている)人たちではないのか? 虚勢を張ることや攻撃的な愛国主義によってしか誇りを感じることができない、虐げられた人たちではないのか? 政治に関心をもつようになり、標的を間違えてはいるようだが、生まれて初めて政治に参加しようとしていて、だからこそ少なくとも話は聞いてもらうべき市民たちではないのか? 「いいや、そういう可能性はあってはならない。彼らは単なる憎悪にかられた人種差別主義者なのだ。だからうっちゃっておくに越したことはない。結局あのばかどもの考えることといったら!」