橘玲の日々刻々
2012年9月4日 橘玲

[橘玲の日々刻々]
公務員という「安全な生贄」

 先週、大津市のいじめ自殺事件の話を書きましたが、こんどは市の教育長が男子大学生(19)にハンマーで頭を殴られ、頭蓋底骨折の大怪我を負う事件が起きました。男子学生は、「テレビやインターネットで報道を見て、教育長が真実を隠していると思い、許せなかった。殺してやろうと思った」と供述しているといいます。

 「正義」に反する出来事があると、私たちは無意識のうちに加害者の処罰を求めます。こうした大衆の怒りはマスメディアが代弁しますが、いじめ自殺は当事者が中学生なので、振り上げた拳をどこに下ろすかが大きな問題になります。

 今回の事件では、批判の矛先は、生徒たちへのアンケート結果を無視して調査を打ち切った市教委に向けられました。とりわけ教育長が、自殺した生徒の家庭にも問題があったと示唆する発言をしたことで、「責任を被害者に押し付けている」との批判が殺到し、襲撃の引き金になったと思われます。

 公立中学でのいじめ自殺に市の教育長がなんらかの責任を負っていることは間違いないとしても、それではいったいどのようにすればよかったのでしょう。市教委の権限でいじめ自殺の加害者を特定し、処罰すべきだと考えるひとも多いでしょうが、そんなことはマンガかドラマの世界でしかできません。

 法治国家では、私的な行為を強制的に調査できるのは警察などの一部の機関だけです。その行為が処罰に値するかどうかは、検察(国)と弁護士が法廷の場でお互いの主張を述べ合って、法に基づいて裁判官が判決を下します。市教委にはこのいずれの権限もなく、独断で“加害者”を決めることなどできるわけがありません。