橘玲の日々刻々
2020年9月21日 橘玲

意志のちからで欲望を抑えようとすると、寿命まで縮めてしまう
【橘玲の日々刻々】

 成功への鍵として自制心や自己コントロール力が注目されています。これは「やり抜く力(GRIT)」とも呼ばれ、「生まれつきの才能」はもはや重要ではなく、誰もがこのちからを伸ばして傑出した人材になれるともいわれます。

 これは、半分正しくて半分間違っています。現代社会で、社会的・経済的な成功にもっとも重要な能力が「知能」であることは繰り返し証明されています。知識社会とは、「言語的知能と論理・数学的知能に優れた者が特権的な優位性をもつ社会」のことなのですから、これはトートロジー(同義反復)でもあります。

 とはいえ、たんに「頭がいい」だけでは成功できないこともわかってきました。地頭はいいけれど勉強もせずに遊び呆けている子どもがどうなるかを考えてみればわかるように、成功するためには、目の前の欲望をすぐに満たそうとする「キリギリス」ではなく、将来の自分のためにこつこつ努力する「アリ」でなくてはならないのです。――偏差値70で自己コントロール力が低いよりも、偏差値60で「やり抜く力」をもっているほうが、ずっとゆたかで幸福な人生を手にすることができるでしょう。

 行動遺伝学は、一卵性双生児と二卵性双生児の比較などを通して遺伝と環境の影響を推計する学問です。それによると、(成人後の)知能の遺伝率が70%以上であるのに対して、堅実性などのパーソナリティの遺伝率は50%前後とされています。思春期を過ぎると教育によって知能を伸ばすのは難しくなりますが、自己コントロール力の半分は環境の影響で、それを鍛えるのはいくつになっても可能なのです。

 ここまではとてもいい話ですが、最近になって困惑するような研究が出てきました。意志のちからで欲望を抑えようとすると、勉強や練習の成果が落ちてしまうというのです。

 なぜこんなことになるかというと、「意志力をふりしぼることで脳のリソースを使い果たしてしまうから」だそうです。「徹夜で勉強したけどぜんぜん頭に入らない」という経験は誰にもあるでしょうが、これは限りある資源を別のところで使っているからなのです。

 さらに不穏なのは、貧困家庭に育った若者が高い自己コントロール力を使って成功したとしても、さまざまな病気を発症し老化が早まるという研究です。比較的恵まれた家庭で育った若者には、このような現象は見られませんでした。

 ハンディキャップを乗り越えるために意志力をふりしぼると、身体がストレス反応を起こし、血圧が上昇したりします。これが長期間つづくと、やがては健康に重大な影響を及ぼすかもしれないのです。

 このような負の効果を避けるにはどうすればいいのでしょうか? そのもっともシンプルな解決法は、「好きなことをする」でしょう。勉強でも仕事でも、好きなことであれば、そもそも意志力を使って身体を痛めつける必要ありません。「努力は寿命を縮める」のだとしたら、私たちは「やり抜く力」ではなく、「頑張ってもストレスにならない生き方」を身につけるべきなのかもしれません。

参考:Jane Richards and James Gross (2000) Emotion regulation and memory: The cognitive costs of keeping one’s cool, Journal of Personality and Social Psychology
Gregory E Miller et al(2015)Self-control forecasts better psychosocial outcomes but faster epigenetic aging in low-SES youth, PNAS

『週刊プレイボーイ』2020年9月14日発売号に掲載

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)。

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