カンボジア
2012年10月16日 木村 文

「ポル・ポトの墓」とカジノ
国境の町に押し寄せる変化の波

朝日新聞のマニラ支局長などを経て2009年に単身カンボジアに移住、現地のフリーペーパー編集長を務めた木村文記者が、カンボジアの観光資源についてレポートします。

「ポル・ポトの墓」がある町

 アンコール遺跡のあるカンボジア北西部のシェムリアップから、車でさらに3時間ほど北へ走ると、タイ国境の町アンロンベンに着く。カンボジア北部のはじっこに位置するこの町は、1999年に、ポル・ポト派のタ・モク元参謀総長が逮捕されるまで、同派が最後に拠点とした場所だ。

 ポル・ポト氏を指導者とするポル・ポト派(クメール・ルージュ)は1975年に政権に就いた。1979年にベトナム軍の侵攻により崩壊するまで、都市住民の農村部への強制移住や強制労働、私有財産の没収、通貨の廃止などを強行。極端な政策を「革命」と称して遂行するために、政権の敵とみなした人々は次々に殺害した。また、飢えや強制労働などにより、4年弱の政権下で170万人以上の国民が命を落としたといわれる。

 アンロンベンには、そのポル・ポト元首相の「墓」がある。だが、「ポル・ポトの火葬地」という立て札があるだけで、墓碑も建っていない。さびついて、穴のあいたトタンの雨よけが簡単に作ってあるだけの場所。周囲には雑草が茂り、線香の燃えさしが残っていた。

アンロンベンの山中にあるポル・ポトの「墓」。立て札には「ポル・ポトはここで火葬された」とのみある。かつての権力者は、その座を追われ、祖国カンボジアの国境の山中で風雨にさらされている=カンボジア・ウッドーミエンチェイ州アンロンベンで【撮影/木村文】

「ポル・ポトの墓」のほかにも、ここにはさまざまな同派の史跡がある。組織内でも権力の座を追われたポル・ポト元首相が裁判にかけられた場所、ポル・ポト亡き後、同派を率いたタ・モク氏の邸宅、地雷を製造・貯蔵していた場所、貯水池、木材を切り出して加工した工場跡地などが散在する。

アンロンベンの町の中心部にあるタ・モク元参謀総長の墓。タ・モクは1997年にポル・ポトを拘束し、ポル・ポト派を最後に率いた指導者。今もアンロンベンにはタ・モクのシンパが多いことは、ポル・ポトの墓との比較でよく分かる【撮影/木村文】