橘玲の世界投資見聞録
2012年11月1日 橘玲

[橘玲の世界投資見聞録]
香港で目の当たりにした“プライベートバンクの終わり”

 9月半ばに久しぶりに香港を訪ねた。

 デフレ不況の日本とちがって、相変わらず景気はよさそうだった。中国人の大金持ちが高級コンドミニアム(億ション)を買いまくっていて、不動産価格がものすごい勢いで上がっているのだ。日本の80年代バブルと同じで、香港の地価はマトモな経済理論で正当化できる水準をはるかに超えているのだが、「中国人は経済理論など知らないのだからまだまだ上がる」というひともいて、なんだかよくわからないことになっている。

 香港島のオフィス街には次々と超高層ビルが建ち、ショッピングモールには一流ブランド店がずらりと並んでいる。私が香港を頻繁に訪ねるようになったのは90年代の半ばからだが、当時はブランドショップで大金を払うのは日本の若い女性ばかりだった。いまや日本の若者は貯蓄志向の堅実派になり、その代わり中国本土から札束を膨らませた観光客がやってくる。

香港の代表的な高級ショッピングセンター置地広場(The Landmark) (Photo:©Alt Invest Com)

 それでも香港の街に、かつてのようなきらきらした感じがなくなったように思うのは、藤沢数希氏の『外資系金融の終わり』を読んだからだろうか?

プライベートバンカーたちのその後

外資系金融の終わり』で藤沢氏は、世界金融危機の後、職場がどんどんしょぼくなっていく様子を活写している。

 かつては日本でも、外資系投資銀行のトレーダーは初年度から年収2000万円で、3年目には上場企業の社長の年収(平均3000万円)を超えたという。ところがいまではボーナスが分割払いになって、企業文化はすっかり様変わりしてしまった。「強欲なトレーダーたちが、巨額のボーナスを目当てに一発狙いのハイリスクなトレードをしたのが金融バブルの元凶だ」と犯人扱いされたからだ。

 ボーナスが分割払いになれば、当然、長く会社に在籍しないと資金回収できない。こうして外資系投資銀行でも「長期雇用」が当たり前になった。

 ボーナスは契約なので、業績が悪化しても、会社は過去に約束した分割ボーナスを払わなければならない。在籍年数の長い社員に高額のボーナスを払おうとすると、新入社員の給与は低く抑えざるをえない。こうして外資系投資銀行は、日本の会社とまったく同じになってしまったのだという。

 私の場合、香港で知り合ったのはほとんどが顧客相手の営業マン(プライベートバンカー)だが、そのしょぼくれ方は藤沢氏の分析とまったく同じだ。

 海外のプライベートバンカーが日本市場に殺到したのは、90年代末のインターネットバブルから2005年のIPOバブルの頃だ(その後は株価と地価が高騰する中国市場に殺到することになる)。その頃、香港から営業に来るプライベートバンカーは、東京ならパークハイアット、大阪ならリッツカールトンに泊まっていた。

 それが世界金融危機の後は、プライベートバンクをリストラされ、地元の証券会社などに転職し、日本での出張は場末のビジネスホテルみたいなところになってしまった。それでも連絡をくれるので、上野あたりのあやしげな喫茶店まで話を聞きに行っていたのだが、そのうちに日本に来ることもなくなり、いつの間にか音信不通になった。これが、私の知っているプライベートバンカーの典型的なパターンだ。

プライベートバンクのビジネスとは?

 2005年の秋、香港人の知人の一人がクレディスイスに転職したので、中環(セントラル)の高層ビルにあるオフィスを訪ねたことがある。

香港島にある国際金融中心 (International Finance Centre)。地上88階建てのTower 2にはUBSなどいくつかのプライベートバンクが入居している (Photo:©Alt Invest Com)

 スイスの大手プライベートバンクであるクレディスイスは、2003年12月、山口組系のヤミ金グループ、五菱会の最高責任者の口座を凍結し、日本初の大型マネーロンダリング事件として大きな話題になった。担当者は香港支店の日本人行員で、組織犯罪処罰法違反の疑いで逮捕された(2007年9月に高裁で無罪確定)。

 知人の香港人プライベートバンカーは、五菱会事件の影響で日本への出張が面倒になったとしきりにこぼしていた。

 日本に行くときには、クレディスイスの関係者だとわかるものは一切携行することが許されず、パンフレットの類は事前に日本の知人宛に国際宅配便で送っておかなくてはならない。日本で顧客に渡す名刺を見せてもらったが、そこには名前と(日本での)携帯電話番号、hotmailのアドレスが印刷されているだけだった。