橘玲の世界投資見聞録
2013年5月24日 橘玲

フィリピン・マニラ 日本人高齢者を受け入れる介護サービスの現場
[橘玲の世界投資見聞録]

マニラ市内で治安は格段によい

 衛兵の詰所のようなゲートをくぐると、整然とした工業団地が見えてくる。そこを抜ければあとは熱帯雨林の森が広がり、ゴルフ場の先にアーリーアメリカン調の平屋の住宅が並んでいる。芝生の前庭から道路標識まで、なにもかもアメリカ郊外の住宅地にそっくりだが、それもそのはずで、ここはかつて米軍の将校宿舎だった。

 米国の戦略転換にともない、1992年、アジア最大規模を誇ったスービック海軍基地とクラーク空軍基地がフィリピンに返還された。マニラの北西100キロ、天然の良港であるスービック湾に面した一帯はその後、経済特別区として開発されることになる。

 この地域の最大の特徴は、旧米軍基地のインフラをそのまま利用できることだ。7カ所のゲートを除けば敷地は外界から隔離されていて、関係者以外は立ち入ることができない。その治安の良さは、昼間、どの家も玄関ドアを大きく開け放ち、風通しをよくしていることからもわかる。殺人や強盗が頻繁に報じられるマニラ市街と比べれば、森のなかののどかな生活はまるで別世界だ。

 トロピカル・パラダイス・ヴィレッジ(TPV)は、スービックの旧将校宿舎27戸を改築した介護付有料老人ホームだ。創設者はN・T・トータルケア社(大阪)の高橋信行社長で、フィリピンで従業員1400人を超える電子部品工場を経営するかたわら、2003年、日本語を話すフィリピン人介護士を養成し、人手不足に悩む日本の老人介護施設に派遣する事業に乗り出した。ヴィレッジは、研修生たちの教育・実習の場でもある。

 

スービック旧海軍基地の経済特別区にあるトロピカル・パラダイス・ヴィレッジ (Photo:©Alt Invest Com)

 2010年の夏に私がはじめてヴィレッジを訪れた時は、3組の永住者がここで暮らしていた。

 2005年に日本から移住したのは高橋社長の両親で、宗一さんは当時99歳、泉美さんは88歳だった。宗一さんは2010年12月に天寿を全うされたが、泉美さんは90歳を超えても健在で、日々の食事も自分でつくっている。

 卜部(うらべ)美智子さん(86歳)は、2006年にこの地に移ってきた。精神科医だった夫の文麿氏がフィリピン人看護師の日本への派遣に尽力したのが縁で、引退後に夫婦でマニラに渡ることになり、高橋社長の勧めもあり、終の棲家をスービックに定めたのだ。広島で被爆した文麿氏には、気温が下がると喘息をひき起こす後遺症があり、それも熱帯の地への移住を決意した理由だったという。

『死ぬ瞬間』などの著作で知られる米国の精神科医エリザベス・キューブラー=ロスは、ひとはいかに死を受け入れるのかを考察し、ターミナルケア(終末介護)への道を拓いた。文麿氏はキューブラー=ロスと親交が深く、「死の受容」の哲学を日本に紹介した。肺がんの転移で脳と肝臓を侵された後、文麿氏はいっさいの延命治療を断り、2008年、ヴィレッジの自宅で静かに息を引き取った(享年80)。美智子さんは、趣味人だった夫が自ら焼いた陶芸品に囲まれて、この地で穏やかな日々を過ごしている。