橘玲の世界投資見聞録
2013年11月28日 橘玲

バチカン銀行と陰謀論者ロベルト・カルヴィの死の謎
[橘玲の世界投資見聞録]

アンブロージャーノ銀行とバチカン

 カルヴィの辣腕によって「眠ったような田舎銀行」と揶揄されたアンブロジャーノ銀行は、わずか数年のうちにイタリアで最大の民間銀行に成長した。その成功の陰で、70年代後半から、外貨の不正持ち出しなどの嫌疑で銀行は金融・司法当局の捜査対象になっていた。

 カルヴィは得意の政治工作で捜査から逃れていたが、81年5月、ついに逮捕・拘留される。

 フリーメーソンの秘密結社P2の創設者でフィクサーのリチオ・ジェッリはこのときすでに国外に逃亡しており、P2の会員名簿が新聞に公表されたことで“闇のネットワーク”は崩壊していた。だがカルヴィは、それでも「陰謀」こそが自分の窮地を救ってくれると信じ、近寄ってくる有象無象のフィクサーに大金をばら撒いた。

 カルヴィとバチカンの関係を物語る印象的なエピソードがある。

 裁判を有利にすすめ保釈を勝ち取るべく、フィクサーの一人がカルヴィの息子をニューヨークに連れて行った。

 マンハッタンのアパートに着くと、そこである有名なマフィアのボスと司祭が彼らを待っていた。彼らはカルヴィの息子を国連ビルに案内し、一人の男を紹介した。それはバチカンの国連オブザーバー、ジョヴァンニ・ケーリ大司教だった――もっともケーリは、「沈黙を守り、いかなる秘密も明らかにせず、いつまでも神を信じるようにと(父に)伝えなさい」といっただけだった。

 裏工作がすべて失敗するとカルヴィは拘置所内で大量の睡眠薬を飲み手首を切ったが、この狂言自殺によって、2ヵ月後にようやく保釈を得ることができた。

 頭取が逮捕されるという衝撃的な事態にもかかわらず、アンブロジャーノ銀行の取締役会は満場一致でカルヴィの帰還を歓迎した。カルヴィは銀行の実質的なオーナーで、誰もその権力に逆らえなかったからだ。

 だが拘置所を出て自由の身になったカルヴィは、自身の裁判と同時に、より深刻な問題に悩まされるようになる。銀行の信用が揺らいでいたのだ。

 アンブロジャーノ銀行はイタリア国内では磐石の営業基盤を誇っていたが、海外では無名に等しかった。カルヴィがつくったオフショアの幽霊法人には、ヨーロッパの大手金融機関なども融資を行なっていた。そうした金融機関が、カルヴィの逮捕で返済に不安を持つようになったのだ。

 このときカルヴィは、バチカン銀行総裁のマルチンクス司教に会い、後に大きな論議を巻き起こす「後援状」を発行してもらっている。この書状は、バチカン銀行は11の幽霊会社を「直接または間接に支配している」とし、「(それらの子会社の)負債を承知している」とも書かれていた。

 カルヴィからこの書状を見せられたことで、海外の金融機関は融資の継続に合意した。バチカン銀行が実質的な保証人になっていると信じたからだ。