アラブ
2014年5月19日 岩永尚子

教えて! 尚子先生
「アラブの春」とはなんですか?

【中東・イスラム初級講座・第5回】

フェイスブック、衛星放送で、事件はあっという間に広がった

 また、この事件はまず親族が自殺現場跡を写真にとり、フェイスブックに投稿しました。さらに、アル・ジャジーラ衛星放送が事件を取り上げ、放映しました。そのため、ひじょうに速いスピードで、人々の知るところとなりました。その結果、彼を支持し(のちに追悼デモとなる)、政府に抗議するためのデモは、全国にスムーズに広がることが可能となったのでした。

 急速かつ広範囲にひろがった民衆の抗議デモに対して、ベン・アリー政権は軍部や内部の寝返りなども重なり、あっけなく崩壊しました。大統領が国外に脱出して政権が崩壊するまで、ブーアズィーズィーの焼身自殺の日から1カ月もたっていませんでした。

 治安部隊に守られ、強固だと思われていた長期政権が、わずか1カ月で崩壊したことは、他のアラブ諸国の反体制運動を活気づけました。チュニジアで発生した事件は、「アラブの春」といわれるほど、広範囲に、しかもあっという間にアラブ各国に広がっていきました。

アラブの春を担った若者たち

 なぜ、このように次々とアラブ諸国の間に反体制運動が広がったのでしょうか? その理由としては、アラブ諸国が独裁的な長期政権下にあったことが考えられます。チュニジアは23年、エジプト30年、イエメン33年、リビア42年と、いずれもきわめて長い間、一つの政権が国を支配していたのです。

 これらの国々の正式名称の最後は「共和国」で終わり、アラビア語では「ジュムフーリーヤ」といいます。けれども、あまりに長きにわたって一人の為政者のもとにあったために、まるで「王政(マラキーヤ)」のようだとして、「ジュムルキーヤ」と揶揄されていたそうです。

 チュニジアと同様に若年人口の割合が多いため、こうした国々では、生まれてからずっと同じ支配者のもとで暮してきた人の方が多数という、ある意味、異常な状況が生まれていたのです。にもかかわらず、「難攻不落」と思われていた独裁政権が、あっという間に崩壊してしまったという事実は、若者たちに「自分の国も変えることができるかもしれない」という望みを、抱かせるのに十分だったといえるでしょう。

「アラブの春」の抗議活動で主役を演じていたのは政党や宗教団体ではなく、フェイスブックやツイッターで情報を交換し合っていた若者であったといわれています(若干、この側面だけが強調されすぎてはいましたが)。彼らの望みは「反体制」や「民主化」とか難しい政治問題ではなく、もっと単純かつ明快な「現状の打破」や「言論の自由」にあったのではないかと考えられます。

ウマイヤドモスクの露天商=ダマスカス:シリア【撮影/安田匡範】
 

(文:岩永尚子)

著者紹介:岩永尚子(いわなが・なおこ)
日本では珍しい女性中東研究家。津田塾大学博士課程 単位取得退学。在学中に在ヨルダン日本大使館にて勤務。その後も専門のヨルダン教育現場のフィールド ワークのために、スーツケースを抱えて現地を駆け回る。2012年まで母校にて非常勤講師として「中東の政治と経済」を担当。現在は名古屋にて子育て奮闘中。「海外投資を楽しむ会」最初期からのメンバーでもある。