橘玲の世界投資見聞録
2014年5月9日 橘玲

ビザンティン帝国=ギリシアが答えだった
[橘玲の世界投資見聞録]

 イスタンブールはいうまでもなくコンスタンティノポリスのトルコ名で、ブルーモスクのある中心部はかつてはビザンティン帝国の宮殿が建ち並んでいた。その当時、アヤソフィア聖堂は正教の首座(カトリックにおけるバチカン)で、主教(同じくローマ教皇)はここにいたのだ。考えてみれば当たり前だけれど、正教はビザンティン帝国の国教なのだから、信仰の中心はコンスタンティノポリスだったのだ。

 ところで、正教はなぜ「ギリシア正教」と呼ばれるのだろうか。

 コンスタンティノポリスが陥落してビザンティン帝国が滅亡すると、首座を失った正教はロシアや東ヨーロッパ各地へと散っていく。

 ロシアをモンゴルの支配(タタールのくびき)から解放したイヴァン3世(大帝)は、ビザンティン帝国の滅亡を見て「正教の正統はロシアの地に移された」と宣言した。それに対抗して、ギリシアもまたアテネの地を正教の首座にしようとしたのだろうか。

 だが歴史を見れば、これもまた間違っていることがわかる。ギリシアがオスマン帝国の支配から逃れたのは1827年だから、それまでは堂々と正教を奉じることはできなかったのだ(オスマントルコでもキリスト教徒であることは認められていた)。

カッパドキアに住んでいた修道士の正体とは?

 カッパドキアは侵食によってつくられた広大な奇岩地帯で、キノコや煙突のような巨岩に無数の洞窟が穿たれている。

 火山岩は柔らかく、洞窟をつくって教会や住居にするのが容易だった。こうした洞窟の一部は現在は改装されてホテルになっているが、もともとはローマ帝国の弾圧を逃れて移り住んだキリスト教の修道士たちが隠れ住んだ場所だった。なかでももっとも有名なのがギョレメ国立公園で、洞窟内部にはいまもキリストを描いた壁画が多数残されている。

 ところで、ここで暮らしていた修道士とはいったい誰だろう?

ギョレメ国立公園の奇岩群。洞窟はすべて修道士によって掘られたもの    (Photo:©Alt Invest Com)

 洞窟教会の装飾は正教に特有のイコンで、そこに書かれた文字はラテン語ではなくギリシア語だ。カッパドキアの洞窟で神に祈りを捧げていたキリスト教の修道士はギリシア人だったのだ。

洞窟教会の岩のドームに描かれたイコン     (Photo:©Alt Invest Com)

 

 カッパドキアのもうひとつの観光名所は、1965年に発見された巨大な地下都市カイマクルだ。

 岩盤層を穿ってつくられた都市は地下8階、深さ65メートルに及び、地下1階にワイン製造所、その下に食堂や居間、寝室などがつくられ、最下層は十字架の形に掘られた教会になっている。まだ発見されていないものを含めれば、カッパドキア周辺にはこうした地下都市が数千あり、10万人以上が暮らしていたと考えられている。