橘玲の世界投資見聞録
2014年5月22日 橘玲

ギリシア正教は、初期キリスト教の形式を残し、
イスラム教成立にも影響を与えた
[橘玲の世界投資見聞録]

 前回は、キリスト教の歴史にローマ(カトリック)史観とは別に、コンスタンティノポリスからモスクワに至るビザンティン史観があることを書いた。

[参考記事]
●「キリスト教の正統は、ローマではなくロシアにある」バチカンが隠ぺいしつづける不都合な歴史

 私たちは無意識のうちに、キリスト教を欧米(アメリカと西ヨーロッパ)の宗教と考えている。カトリックにしても、私たちが思い浮かべるのは中世のそれではなく、ルネサンス以降のキリスト教だ。

 しかしヨーロッパの東にはもうひとつのキリスト教がある。それが正教(オルソドックス)だ。これがギリシア正教とも呼ばれるのは、信仰の中心であった東ローマ=ビザンティン帝国が「ギリシア人の国」だったからだ。

[参考記事]
●ビザンティン帝国=ギリシアが答えだった

 それでは、ギリシア正教とはどのような宗教なのだろうか。もちろん私は宗教の専門家ではないから、ここでは日本で数少ない正教の司祭であり、『ギリシャ正教』(講談社学術文庫)などの本で啓蒙活動を行なっている高橋保行氏の著作からその特徴をいくつか紹介してみたい。

ギリシア正教会で使われる十字架(アテネのギリシア正教会聖堂)      (Photo:©Alt Invest Com)

 

ギリシア正教の「正教」の意味は?

 そもそもなぜ「正教」なのか?

 ギリシア語の「オルソドックス」は「オルソス(正しい)」と「ドクサ」からなり、ドクサには「教え(意見、主張)」のほかに「神を賛美する」という意味がある。オルソドックスとは「神の正しい教え」であるとともに、「正しく神を賛美する」教会のことを表わしている。伝統的(オーソドック)とは、この「正しさ」を保守し後世に伝えていくことだ。

 こうした考え方が出てきたのは、当然のことながら、キリスト教のなかに「正しくない」教えが現われ、それが影響力を増してきたからだ。これらの異端に危機感を抱いた教会は各地の代表者を集め、正しい教えを定める「公会議」を開いた。

 第1回のニケヤ公会議(325年)ではイエスが神(創造者)なのか人(被造者)なのかが争われ、イエスを被造者のなかの最高の存在だとしたアリウス派が異端とされた。第2回のコンスタンティノポリス公会議(381年)では、これを受けて「父」「子」「聖神(精霊)」の「至聖三者(三位一体)」のキリスト教の神概念が確立した(用語は正教で使われるもの)。

 第3回のエフェソス公会議では、コンスタンティノポリス総主教のネストリウスと、アレクサンドリア総主教のキリルが、イエスのなかの「神性」と「人性」をめぐって論争した。ネストリウスはイエスに「神」と「人」という別個のものが同居していると主張したが、公会議はこれを異端として、イエスは神であると同時に人であり、完全に二つのものが一体であるとした。

 ところがそうなると、イエスの内面がどうなるのかが問題になる。これについてユティカスは、「ひとつの身体のなかに神の性質と人の性質があるのは矛盾だから、人間性は神の性質に飲み込まれ融合した」という単性(質)論を唱えた。第4回から第6回までの公会議は単性主義と、その余波としての単意主義(性質がひとつなら意志もひとつ)をめぐる教義論争で、公会議はこれも異端と見なし、イエスには全き人としての意志と全き神としての意志が矛盾なく存在するとした。

 聖書が偶像崇拝を禁じていることはよく知られているが、熱心なクリスチャンだったビザンティン帝国皇帝レオ3世は726年、その教えを理由にイコンを禁止した。イコンに祈ることはキリスト教徒の宗教生活に根づいていたから、これは大問題だった。第7回の第2ニケヤ公会議(787年)ではこの難問が討議され、「クリスチャンはイコンに描かれている者に祈るのであり、イコンを崇拝するのではない」という理由でイコンが容認された。

正教の生神女(聖母マリア)像(アテネのギリシア正教会聖堂)  (Photo:©Alt Invest Com)