アラブ
2014年7月14日 岩永尚子

教えて! 尚子先生
イスラム教・スンニ派とシーア派の違いは何ですか?

【中東・イスラム初級講座・第9回】

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チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュースが絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。中東のニュースで必ず耳にするイスラム教のシーア派とスンニ派。この2つ宗派の本来の姿とその違いとは? 中東研究家の尚子先生がわかりやすく説明します。

 昨今のイラクやシリア情勢に関するニュースで、「シーア派」と「スンニ派(スンナ派)」の争いという説明をよく耳にします。イスラム教の中に2つの宗派があることは、なんとなくわかっていても、何が違うのかわからないというのが本当のところでしょう。もちろん、イラクとシリアでは事情が異なっていますが、今回は、両派では基本的に何が異なっているのか、そしてどうして両派が争っているのかについて説明したいと思います。

だれがイスラム共同体を率いていくのか

 そもそも両派分裂の起源は、だれがイスラム共同体を率いていくのかという問題に端を発しています。イスラム教は610年にムハンマドによってはじめられた宗教です。ムハンマドは約22年間布教を行なった後に没しますが、その後、指導者をめぐる争いが発生します。イスラム共同体では宗教指導者と政治的指導者が分離していません。政教一致の体制をとり、その指導者はカリフと呼ばれます。

 ムハンマド没後、4代目のカリフまでは(正統カリフ時代:632~661年)、争いごとはありながらも分裂することはありませんでした。ところが4代目のアリーを境に、カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派(シーア派)と、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派(スンニ派)に分裂してしまいます。そもそも「シーア」とは「派閥」や「党派」を意味しており、「アリーの党派」が短くなり、「党派」という意味の「シーア」だけが残ったといわれています。

 その後、スンニ派はムアーウィヤをカリフに選出して、現在のシリアにウマイヤ朝を建設します。一方、シーア派はアリーの子孫であるハサンとフセインを支持しますが、ウマイヤ朝と敵対することとなります。3代目の指導者(イマームと呼ばれる)であったフセインはウマイヤ軍に滅ぼされて、戦死してしまいます。こうした悲劇から、シーア派の人々はアリーの子孫であるイマームによって導かれる共同体こそが、神の支配を復活させると考えています。

 ところが、ムハンマドの死から約300年後には、アリーの子孫は12代目で途絶えてしまいます。そのため、シーア派の人々にとって、現在は「イマーム不在」の悪の状態であると考えられるのです。けれども、終末直前に最後のイマームがマフディー(救世主)となって再臨して、この世の悪から救済されると信じられています。

 アリーの子孫が途絶えるまでの間に、シーア派のなかでは、だれをイマームとして認めるかによって3派に分派していきます。まず5代目のイマームをめぐり、ザイドを支持する者たちと、そうでない人々に分かれます。ザイドの支持者たちはザイド派と呼ばれ、現在ではイエメンで多く見られます。その後、7代目のイマームをムーサ・カーズィムとする者たちと、兄のイスマイールを支持する者たちに分かれます。ムーサの支持者たちが、現在、シーア派の中で最も多く、約85%程度を占めています。彼らは十二イマーム派と呼ばれ、イランやイラク、バハレーンなどに居住しています。一方、イスマイール支持者はイスマイール派と呼ばれ、東アフリカや南アジアに多くみられます。

ヒズボッラー(神の党=シーア派の政治組織)の紋章ステッカーと現議長ナスルッラーのキーホルダー=シリア【撮影/安田匡範】