橘玲の世界投資見聞録
2014年12月18日 橘玲

イスラーム圏でもっとも親欧米の国・コソボの終わりなき憎悪
[橘玲の世界投資見聞録]

 今回は、今年の旅でもっとも印象に残った場所を紹介したい。

 下の写真はどこにでもあるヨーロッパの田舎町といった風情だが、ここはコソボの首都プリシュティナだ。

 コソボは旧ユーゴスラビアの自治州で、セルビア人とアルバニア人の民族対立が絶えなかった。それがユーゴスラビア解体にともなって噴き出して、1998年からアルバニア系のコソボ解放軍(KIA)とユーゴスラビア軍(セルビア軍)との凄惨な内戦が始まった。

 コソボ紛争はNATO(北大西洋条約機構)によるベオグラード空爆でユーゴスラビア軍が撤退を余儀なくされたことで終結した。紛争と空爆は世界じゅうのメディアで報じられたため、コソボはいまでも紛争地のように扱われているが、実際は旅行者でも気軽に訪れることができる。私はマケドニアの首都スコピエから向かったが、バスターミナルでチケットを買いプリシュティナ行きの小型バスに乗り込むだけだ(所要約2時間)。国境での検問もバスの運転手が乗客のパスポートを集めて審査官に持っていくだけで、実にかんたんなものだった。

コソボの首都プリシュティナの歩行者天国

 

コソボは国際社会の正式なメンバーとなっていない

 最初に断っておかなくてはならないのはコソボの呼称だ。ユーゴスラビア時代、ここは「コソボ・メトヒア自治州」と呼ばれていた。コソボはアルバニア人居住地区で、メトヒアは西部にあるセルビア人居住地区のことだ。ところがアルバニア人の独立運動が激しくなると、それを抑えるために自治権が拡大され、名称も「コソボ社会主義自治州(コソボ自治州)」に変わった。

 コソボ紛争終結後も米国とEUはコソボの独立までは考えておらず、あくまでもセルビア領に属する「自治州」と位置づけていたが、2007年11月の選挙でセルビアからの即時独立を主張するコソボ民主党が第一党になり、翌年2月に「コソボ共和国」の独立が宣言された。この独立宣言は米国やイギリス、フランス、ドイツなどによって追認されたものの、EU内部でもスペインやギリシアなど国内に民族問題を抱える国々が慎重姿勢を見せたため機関承認には至らず、国連では安保委常任理事国のロシアと中国が独立に反対している。

「コソボ共和国」は日本も承認しているからその意味では「国」と見なすべきかもしれないが、国連に加入せずEUにも承認されていないので国際社会の正式なメンバーとはいえない。そのため、「国家」でも「自治州」でもない「コソボ」という名称を使うことにする。

 コソボ問題がやっかいなのは、それが民族紛争であると同時に宗教対立でもあることだ。

 コソボはもともとセルビア民族発祥の地とされており、村ごとにセルビア正教の教会が建つ古都だった。それがオスマン帝国の支配下に置かれたのち、17世紀後半からアルバニア人の入植が進み、出生率の違いからユーゴスラビア建国時の人口構成はアルバニア人が多数派になっていた。