北九州市“シティプロモーション首都圏本部”の役割は、省庁との情報交換や国への働き掛け、イベントや観光などのPR、そして同市への企業誘致だ。“東京事務所”から“シティプロモーション首都圏本部”と名称を変え、「北九州ブランド」を浸透させる本格的なシティセールスを推進している。

北九州市総務企画局
シティプロモーション首都圏本部
企業立地支援担当
羽生淳一 部長

 東京は千代田区平河町にある全国都市会館。「北九州市シティプロモーション首都圏本部」はこの5階に拠点を構える。だが企業誘致を担当する羽生淳一部長にとって、机の前に腰を落ち着けている暇はあまりない。進出が期待できる新規企業への訪問や、ゼネコン、銀行、業界団体へ出向いての情報収集、すでに進出した企業へのフォローアップなどで、文字通り首都圏を走り回っているのだ。

 羽生部長の出身地は東京の下町・荒川。東京生まれなのだが、なぜか北九州市のプロモーションに身を捧げている。

 「大学を出て就職した会社での赴任地が北九州市。営業で市内全域を回っていたのですが、よそ者でも優しく親身に接してくれた。2年間居住してすっかりファンになったのです」

 その後、全国の産業立地に携わる財団法人勤務を経て、2年前から首都圏本部の職員になった。理由はひとえに、「北九州市の素晴らしさを全国に知ってもらいたい」(羽生部長)という、抑えがたい情熱である。

県外出身者の目だから
見えること

 訪問した先の相手が、北九州市の位置すら正確に認識していないときもある。そんなときこそ、“県外出身者”の出番。「地元出身でないからこそ、北九州市の優位性が正確に見えて、客観的に説明できる強みがあるのです。災害リスクが少なく、優秀な人材が多く、人件費や用地代が安価で、アジア市場へも近い等々。地元の人では手前みそになりがちなメリットも、東京出身の私が言うと説得力が増すのです」(羽生部長)。

 加えて、羽生部長が特に強調したことは、企業と行政と市民の距離が非常に近いということだ。日本の高度成長期、産官学民が手を携えて公害を克服した。その“DNA”が今も脈々と息づいていて、企業活動を積極的に支援してくれるのである。

 「栄枯盛衰を経て再生した北九州市の、新しいことにチャレンジする姿勢がどこよりも強く、人やまちが“熱い”ことが、評価されていると感じています」

 現在、羽生部長が力を入れているのは、東九州自動車道の開通を見据えて物流施設を必要とする企業の研究開発・研究施設の誘致などである。伝統的にモノづくりのまちであることから、製造業がメインターゲットではあるが、国内産業の潜在需要に対応するため、バラエティに富んだ業種や業態の誘致を目指している。

 単なる御用聞きの“江戸屋敷”ではない、首都圏に「北九州ブランド」を浸透させるミッションを担うシティプロモーションの本拠地。「北九州市を積極的に売っていく」心意気が、羽生部長の言葉の端々から伝わってくる。

進出企業には
どこまでも手厚く支援する

毎年年末近くになると、首都圏本部は都内の会場で「北九州市大望年会」を開催する。出席するのは、北九州市に進出した企業。会には市長も出席し、その年の実績報告や、新規の立地企業の紹介などが行われる。会場は一種の異業種交流の役割も果たし、ここからコラボが誕生することもある。一時的な"誘致"に終わることなく、継続的な"支援"を欠かさない。同市の担当課名が"企業誘致課"ではなく"企業立地支援課"なのは、その理由からである。