ホリバの場合も、ゼロから自社で開発してきた技術の集大成がいまの競争力につながっていますが、マニュアルには書かれることのない〝行間〟に潜んでいるノウハウがたくさんあります。あらためて考えた時に、いまは優秀な若い人たちを採用できていますが、「知識はあるけれど知恵はあるのか」と問われると疑問符がつく場面が少なくありません。これは我々だけではなく、多くの日本企業が直面している大きな問題でしょう。
 このような理由から、京都市内にある本社工場を移し替える、すなわち〝遷宮〟がいまこそ必要であるという考えに至りました。このEハーバーが建設された土地は、父が購入した後、手つかずのままでした。父の構想はここに工場を建て、自宅も琵琶湖湖畔に移し、そこからモーターボートで出勤しようというものでした(笑)。結局、父の夢は実現しませんでしたが、私はここを活かして「技術の遷宮」をやろうと決心したのです。
 当時はかなり円高が進んでいたため、多くのメーカーは海外に工場を建設していましたが、そんな中で国内に大きな工場を新たに建てるのは、かなりの覚悟と知恵が必要でした。しかし、「日本のものづくりにこそ、未来がある」という私の考えを実証するために、世界で勝てる場をどう持つかを必死で考え、実行に移しました。
 1つ目は、開発・設計・生産を1フロアに集結させたこと。2つ目は、主な協力会社にもびわこ工場へ移っていただき、生産ロジスティックスのコストを大幅に減らしたこと。「よどみないものづくり」と呼んでいますが、同じ建 物内で協力会社を含めた一貫生産を行うことで、生産効率が一挙に上がったのです。

「知の交流拠点」ともおっしゃっています。
 技術の行間に潜む暗黙知を若手に正しく伝承するだけでなく、新しい知を創造する場にすることも大きな眼目です。そのための仕掛けも、工場内のあちこちにつくりました。
 まずは、琵琶湖が一望できる場所を活かし、クルージングをイメージしたこと。そして、10階建てながらも、エレベーターをできるだけ使わないように設計してあることです。どの会社でもそうだと思いますが、エレベーターに乗っている時、中ではみんなが同じ方向を向き、ほとんど言葉を交わしません。コミュニケーションはほぼゼロです。
 特に私がエレベーターに乗っている時は、気兼ねして誰も乗ってきません。仕方ないので階段を使うようにしていたのですが、そうすると不思議といろんな人と会話ができるようになりました。「そうだ、これだ」と閃きました。
そこで一番よい景色が見える場所に、10階まで吹き抜けの緩やかな階段、それも非常階段のように味気ないものではなく、各フロアをクルーザーの雰囲気にし、階段周りにはちょっとした雑談やミーティングができるフリースペースもつくりました。この工場では約600人が働いていますが、ほぼ全員が階段を使って上り下りしながら、自然とコミュニケーションが生まれています。
 また、管理職だけが集まる職務スペースもつくりました。たとえば、製造で問題が発生したとします。当然、担当者は製造部長のもとへ報告に飛んで来ます。すると、その横には開発部長がいる。自然とその報告が彼の耳にも入り、すぐに両者で対策を考えたり、意思決定したりすることができるのです。
 以前の本社工場では、部門ごとに建屋が違っていたため、わざわざ会議の時間や場所を設定する必要がありましたが、管理職同士を集めたことで、振り向いたらすぐに話ができるようになり、無駄な会議がなくなりました。ちょっとした場の工夫で、生産性はずいぶん違ってくるものです。

アカデミアとの連携が
大きな強みになる

「技術の潮目」に関連しますが、カリフォルニア大学アーバイン校に10億円を支援して、「HORIBA モビリティ・コネクティビティ研究所」を新設されます。そこは、かつて25歳の厚さんが御社の現地法人に出向していた折に、学部編入で学ばれた大学ですね。
 そうです。私は電子工学を勉強していましたが、UCI(アーバイン校)は環境分野では全米有数の大学であるため、環境関連の講座も受講していました。すると、ホリバが環境分野の分析・計測機器の事業化を強化し始めたので、卒論は環境機器をテーマに絞りました。当時の担当教授とは現在も交流が続いており、私が受けた教育を社員にも受けさせたいと思い、留学制度を設けました。すでに17人が留学しましたが、その第1号が、いま社長をしている足立正之です。
 私は自主的に手を挙げたのですが、足立は入社4〜5年のまだ若い時期にアメリカに送り込まれて、鍛えられました。その後も、「ホリバリアン」(同社従業員の呼称)を継続してUCIに留学させると同時に、共同で研究も行っていました。またUCI側にも、環境・エネルギー問題に総括的に取り組むうえで、ホリバが力を入れている電気自動車を含めた研究も一緒にやりたいという思いがあったようです。そうした長年の経緯があって、今回の研究所新設が決まったのです。