創業者の石橋正二郎は、兄とともに従業員10人に満たない九州の久留米市にある仕立物業を父から引き継いだ。1906年、17歳の時だった。一生をかけて事業をやる以上、全国的に展開し、世の中のためになることがしたいと夢を描いて、創意工夫、大胆な改革を実行していく。足袋に事業を絞り、ゴム底の地下足袋、さらに初の国産タイヤ開発に成功する。1931年に分離・独立して、タイヤ産業に深く関わることになった。

 ブリヂストンが日本市場でタイヤ首位についたのが1953年で、創業50周年の1981年には世界トップスリー入りを目標に掲げ、1988年にアメリカのファイアストンを買収するなど、グローバル化を加速させる。だが、ファイアストン買収後の立て直し、ファイアストン製タイヤの大リコール問題に直面し、企業存亡の危機を招いた。

 2008年にタイヤ事業で世界一となるが、食品、鉄鋼、化学、電機、金融など全産業で、日本企業が世界トップを守っているのはトヨタ自動車とブリヂストンだけだ。今年、コーポレートガバナンス(企業統治)に取り組む企業を対象にした賞が新設され、第1回の大賞に輝いた。試行錯誤を繰り返しながら、グローバル経営体制、ガバナンスを整備し、買収から28年、アメリカでの事業を稼ぎ頭に変貌させたブリヂストンの経営に迫った。

ラジアル化という技術革新が
タイヤ業界の世界再編を促す

編集部(以下青文字):津谷さんがブリヂストンに入社されたのが1976年で、1970年代後半の自動車業界では日米貿易摩擦が激化し、1980年代になって本田技研工業がアメリカ・オハイオ州で乗用車の生産を始め、日産自動車がイギリスに進出するなど、大きな動きがありました。タイヤ業界ではどのような変化が起きていたのでしょうか。

津谷(以下略):タイヤ業界ではバイアスタイヤからラジアルタイヤへの転換が1960年代から始まりました。タイヤは単なるゴムの塊とお考えの方もおられるかもしれませんが、タイヤは天然ゴム、合成ゴム、カーボンブラック、スチールコード、ポリエステルやナイロンなどさまざまな材料を使い、複数の部材で構成されています。

ブリヂストン 取締役
代表執行役CEO 兼 取締役会長
津谷正明 Masaaki Tsuya

1952年東京都生まれ。1976年一橋大学経済学部卒業後、ブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)に入社、社長室に配属。1983年シカゴ大学経営大学院でMBA取得。国際渉外部門などを経験し、1988年の米ファイアストン買収にも関わる。2008年取締役常務執行役員、2012年代表取締役CEOに就任。日本取締役協会が主催し、東証1部約1900社を対象にしたコーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤーが創設されたが、第1回の大賞を2016年、ブリヂストンが受賞。

 ラジアルタイヤとは、その骨格である「カーカス」という部材を、タイヤを真横から見た時に放射線状に張る構造で、高速走行に優れ、寿命も長いのが特徴です。フランスのミシュランが開発してヨーロッパを席巻し、1970年代に北米に広まり、ミシュランはアメリカに生産拠点を置きました。

 1960年代以降、タイヤ業界は世界的規模のM&Aが起こりましたが、その背景には技術革新があったのですね。

 当時は国ごとに主要なタイヤメーカーがありましたが、技術力、資金力、生産規模がないところは淘汰され、他のメーカーの傘下に入る流れが加速しました。技術革新が起こったため多額の投資をして製造設備を切り替える必要があったが、アメリカのメーカーはスチールラジアル化に乗り遅れました。

 ドイツのコンチネンタルが1979年、米ユニロイヤルのヨーロッパ・タイヤ事業を買い取り、1987年にアメリカのゼネラルタイヤを買収しました。ミシュランもアメリカのユニロイヤル、グッドリッチを傘下に収め、我々が米ファイアストンを買収したのは1988年でした。

 再編の主戦場は北米で、アメリカのビッグ5と呼ばれていたタイヤメーカーのうち、独立系企業として生き残っているのはグッドイヤーだけです。

 現在、業界再編は一段落したのでしょうか。

 技術開発力、企業規模、販売ネットワークがないと生き残れないので、再編の動きはオンとオフを繰り返しながら続いていて、最近も再編の機運が高まっています。中国化工集団が昨年、イタリアのピレリを買収しました。自国のモータリゼーションで力をつけている中国や韓国のタイヤメーカーはブランド力を求めており、再編のスピードはさらに増すと思っています。

 タイヤの構造は複雑で、ゴムとスチールを圧着させるなど、高度な製造技術が必要です。高い機能、品質が求められており、市場の要望についていけないメーカーは地域、取り扱い製品を絞り込んで、ニッチな市場で生き残らざるをえないと見られています。

 乗用車用、トラック・バス用、建設・鉱山車両用、航空機用タイヤなど、全方位でグローバルに展開するメーカーもあれば、できないメーカーもあり、経営戦略がより明確になってくるでしょうね。

 創立50周年を迎えたブリヂストンは1981年、ゴム製造業で世界のトップスリー入りを目指すという目標を掲げました。1980年の世界シェアはミシュラン22.1%、グッドイヤー19%、ファイアストン10.8%で、ブリヂストンは7.5%で、第4位でした。ミシュランの3分の1の売上規模でしたが、ブリヂストンは2008年に世界一になり、トップの座を守っています。シェアに対して、どのような考え、こだわりを持っているのでしょうか。

 世界一であることは大事ですが、短期的な施策でシェアを取りに行くようなことはしたくありません。お示しいただいたグローバルシェアは、推定も含めて各メーカーの売上高をトータルして算出していますが、新興市場のメーカーが汎用品、価格の安い製品を大量に販売して売上げを伸ばせば、シェアは下がることになります。もともとブリヂストンはトラック・バス用や建設・鉱山車両用、航空機用タイヤなど生産財と呼ばれる分野に強い会社です。

 使っていただいているのがプロだから、性能、品質、効率を評価いただき、ブリヂストンブランドを選んでいただいています。この分野できちんと利益を上げているメーカーは少ないと思います。

 特に超大型の建設・鉱山車両用タイヤはミシュランとブリヂストンがシェアを二分していて、技術的にも製造面でも他社が追随できない分野です。

 

 直近の世界シェアはどうなっていますか。

 我々の世界シェアは2000年のピーク時の19・7%から直近の2014年は14・5%に下がっていますが、一番である限り、シェアの数字は気にしていません。自分たちが注力するセグメントで、トップシェアを取ることが重要です。
「このセグメントでは40%を超えるシェアを取っているので、もうこれ以上、上がりません」なんて答える者が社内にいますが、科学的根拠があってそう言っているのではないので納得しません。

 継続的改善を続ければ、売上高を長期的に伸ばし、利益、シェアを高められると考えています。継続的改善という取り組みは創業者の石橋正二郎の時代から受け継がれているもので、ブリヂストンの誇るDNAです。

トップスリー入りを目指した
ファイアストン買収で苦戦

 ブリヂストンが世界トップになったのはグローバル展開を着実に進めてきたことが大きいと思います。現在、世界26カ国に160以上の生産拠点、16のR&D拠点を持ち、14万5000人の従業員が150を超える国々で事業を進めていますが、グローバルネットワークを築くうえで、エポックとなった時期、出来事は何でしょうか。

 それは1988年のファイアストンの買収ですね。1983年にファイアストンのテネシー州ナッシュビルの工場を買収して、アメリカでの生産拠点としました。次のステップとして、ファイアストンとの合弁事業を考えていました。そこに、イタリアのピレリが敵対的買収でファイアストンを傘下に収めようと動いた。買収が成功した暁には、ファイアストンの南米事業とアメリカのタイヤ販売・自動車サービス事業をミシュランに転売する計画でした。

 私も合弁事業を検討するチームに入っていましたが、当時、M&Aの経験もノウハウも限られていました。いまにして思えばもっと違うやり方があったかもしれませんが、ファイアストン株の公開買い付けで、ピレリが1株58ドルを提示しており、一発で決着をつけたいという思いから、我々は80ドルを提案し、結局、ピレリは断念しました。本来、合弁事業でと考えていたものが、目論見が大きく違って、買収という形になりました。

 当時、ジョイントベンチャーで事業を進めるケースが多かったように思います。合弁事業と買収では大きく違いますね。買収額は約3300億円(26億ドル)で、日本企業による海外メーカーの買収として、当時、最大の案件でした。

 当時、ブリヂストン単体の売上高が約5600億円で、その半分を超える買収額なので背水の陣で臨み、第二の創業と位置付けました。買わないという選択はありませんでしたね。ブリヂストンはキャッシュを持っており、業績、財務内容もよく、狙われる側、買収される対象になっていたのです。

 自分たちの傘下に入らないかというお誘いが現にありました。石橋を叩いて渡らないといわれていましたが、何かしなければいけないという危機感を持っていました。

 1986年にはグッドイヤーが投資家グループから敵対的買収を仕掛けられ、株式の11%を取得されましたが、買収防衛のために子会社の売却や工場閉鎖などの大規模なリストラを行い、乗っ取りを回避しています。他人事ではなく、そういう時代に生きているのだという思いがありました。

 ファイアストンの買収は戦略的に間違いではなかったが、高額な買収価格がいけなかったということですね。

 経験が少なかったので、一挙に価格を上げてしまいました。ファイアストンは、買収した時までに工場閉鎖や人員整理などの大手術をみずからの手でしていましたから、もう問題はないだろうと考えていたのですが、大きな誤算でした。

 北米、南米、ヨーロッパ、アフリカなどに持っていた工場が老朽化しており稼働率も悪く、追加投資に3年間で15億ドルを投入しました。1993年には米州事業が単年度黒字化しましたが、ブリヂストングループ全体に利益貢献するにはほど遠い状態でした。

 日本の優良企業がアメリカ市場で大きな利益を上げていると見聞きするにつけ、ファイアストンのそこそこの利益に落胆せざるをえませんでした。欧米と日本の企業文化、経営に対する考え方、意思決定に違いがあり、コミュニケーションがうまくいかない。ファイアストンのCEOの権限は大きく、ブリヂストン本社と意思疎通を取れない状態が続いても、ファイアストンのCEOを交代させられませんでした。

 米州事業だけの利益ではなく、グローバルな視点で経営を考えてほしかったのですが、ファイアストンは独立国のような存在でしたね。名門意識が強く、自己主張し、プライドや自信から日本人に口出しさせない雰囲気がありました。

軌道に乗せるまでに22年
いまでは米州事業が稼ぎ頭に

 ブリヂストンは1961年の株式上場以来、2001年上期の連結決算で初の赤字になり、300億円強の最終赤字を余儀なくされました。これもファイアストンの経営不振が大きかったのでしょうか。

 ファイアストン製タイヤを装着したクルマで横転・死亡する事故がアメリカであり、関連するタイヤを自主回収する大リコールを起こし、会社が成り立たないのでは、という事態に追い込まれました。

 通期の決算では赤字にならなかったのですが、反省すべき点がありました。ビジネスの基本に戻り、企業理念の体系やコーポレートガバナンスをきちんとしないといけないとか、優れた会社に近づきたいとか、いろいろ努力しました。

「最高の品質で社会に貢献」を創業者が社是として掲げ、経営の中核としてきましたが、あらためてこの言葉の重みを知りました。仕事のやり方、ガバナンス、グローバル経営をどう進めるか、考えましたね。

 創業者も、企業経営はずっと苦しい日々の連続だと言いましたが、その通りだと思います。何かを解決したら、また問題が起こってきます。気になること、不安なことについつい思いが行ってしまうので、本を読んだり、音楽を聴いたりして、ビジネスとは違う世界に入り込んで、気持ちを切り替えることが大切ですね。

 順風満帆ではなかったので、成功体験から抜け出せない「成功の罠」に陥らなくて済んだという面がありますか。

 1980年代後半に起きたバブル景気で、日本企業が不動産など過剰な投資で足元をすくわれましたが、ファイアストン買収で苦労したおかげというか、我々はバブル期に変なことをしなかった。ファイアストン問題への対応に追われて、できなかったと言うほうが正確かもしれません。

 楽な仕事はないし、楽な人生はない。こう思っていたほうが生きやすいし、仕事もしやすいものです。私たちはユートピアに住んでいるのではなく、幸せになるようにプログラミングされていません。でも一生懸命頑張っていると、時々、神様がごほうびをくれます。

経営の最終目標の一つが
真のグローバル企業

 ファイアストンなど米州事業が軌道に乗ったのは2010年からで、1988年の買収から22年の歳月を要したと発言されています。米州事業が単年度黒字化したのは1993年で、5年と22年、時期に大きな差がありますが、どういうことですか。

 2010年はブリヂストングループの業績に貢献し始めた時期で、米州事業を統括するブリヂストン アメリカス インクのCEOがブリヂストン本社と円滑にコミュニケーションできる経営者に交代しました。アメリカ人からアメリカ人へのバトンタッチで、現地の事情をよく知った経営者に任せています。

 頻繁に連絡を取り、グループのポリシーや戦略の下で、米州事業を運営できるようになりました。日本人を派遣してコントロールするのは日米の市場、労働環境、国民性などの違いもあって難しいと思います。

 どんな経営チームが必要で、日本側に足りないのは何かと模索しながら改革を進めた結果、米州事業の業績は上向き、グループ全体の業績も2010年からは右肩上がりです。お荷物だった米州で利益を上げ、2015年12月期の地域別営業利益は米州が2225億円。日本の1974億円、ヨーロッパの214億円、その他地域の682億円を上回り、稼ぎ頭になっています。

「真のグローバル企業」となることを経営の最終目標に掲げていますが、「真のグローバル」というのはどういう意味ですか。

 

 各地域が勝手に事業を進めるのではなく、グループ・グローバルで、統一した戦略とポリシーを持って事業を推進する必要があります。一方、どのような車、タイヤが好まれるのか、道路事情、気候、法規制など、地域によってニーズが異なりますので、地域に合った製品やサービスが求められます。
 タイヤは黒くてどれも同じように見えるかもしれませんが、材料、構造、大きさ、形、乗り心地の味付けなど、何千種類もの製品があります。

 グローバル化とローカル化のバランスをうまく取りながら、グローカルな企業を目指したい。真のグローバル企業はこれだとハッキリ言えませんし、永遠にできないでしょうね。

 グローバル経営に関わる会議の公用語は英語にしています。主語が曖昧で、ニュアンスをマイルドに伝えるのに便利な日本語と違って、英語でのやり取りは議論が明確になります。もちろん、日本のお客と接する時は日本語ですし、中国でビジネスする時は中国語を使いますよ。

*つづき(第2回)はこちらです


●聞き手|前原利行/岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部)
●構成・まとめ|前原利行(ダイヤモンドクォータリー編集部) ●撮影|中川道夫