多様な働き方を受容し、働き手の量と質を確保する――。生産年齢人口が減り続けるなかで、多くの企業が推進する働き方改革の動機だが、そこには長期的な労働力確保のためのコストという見方が横たわり、事業の成長が多少犠牲になってもやむを得ないと捉える向きもある。

これとは逆方向ともいえる顧客視点の働き方改革を進めているのが伊藤忠商事だ。フレックス制の廃止や若手社員の寮の整備など、ひと昔の働き方に戻るような施策を次々に導入している同社が目指す働き方改革の狙いとは何か。改革を先頭に立って進めている同社人事・総務部企画統括室長の西川大輔氏に話を聞いた。

朝型勤務導入の目的は
顧客視点の徹底

アデコ働き方改革プロジェクトスタッフ(以下、アデコ):2012年9月にフレックスタイム制度の全社一律適用を廃止し、その翌年「朝型勤務」を導入されました。働き方の多様性を受容するという働き方改革のトレンドとは逆行する施策のように見えます。導入の狙いはどういったことだったのでしょうか。

西川大輔
Daisuke Nishikawa
伊藤忠商事人事・総務部企画統轄室長。1994年に入社後、労務厚生関連業務に従事。その後、香港・ドバイ・ロンドン駐在等を経て、2010年から採用・人材開発を担当。住生活・情報カンパニー経営企画部を経て、2016年より現職。

西川大輔(以下、西川):大前提として、当社の制度改革は働き方を改善しようという目的で始めたものではありません。経緯を説明しますと、2011年の東日本大震災の際、お客さまが大変な状態で、朝早くから働いているにもかかわらず、フレックスタイム制度だからといって社員が朝10時前頃に出社している状況を見て、社長が問題意識を感じたことがきっかけでした。お客さまがすぐにでも連絡を取りたいときに担当者がいないという事態があってはならないと、お客さまが動きだす時間にはすでに仕事ができる状態にしておくために、全社一律のフレックスタイム制度を廃止し、朝型勤務を推進することにしました。

アデコ:しかし、朝型勤務の推進では20時以降の残業は「原則禁止」、22時以降の残業は「禁止」としています。顧客対応の強化としては矛盾しているように見えます。

西川:この制度改革は業務の効率化によってお客さまへの効果的な対応を実現しようとするものであって、夜遅くの残業禁止をルール化したのは、労働時間の延長によって解決することを防ぐためです。

 本来、当社のビジネスにおいて、現時点では残業なしで仕事を回していくことは事実上不可能です。だからといって、いたずらに労働時間を増大させていては、いつか人的資源の限界を迎え、企業としての成長はありません。そこで、疲れて頭が働かなくなった夜に働くよりも、睡眠を取ってリフレッシュした朝にそのぶんの仕事をした方が効率ははるかに上がるはずというアイデアが出てきたのです。また心理的にも、夜に「まだまだ時間がある」と考えて仕事をするのと、朝早く出社して「始業時間までに終わらせよう」と考えて仕事をするのでは、業務効率が大きく変わると考えました。

 そこには、「デスクで仕事をするだけでは商売はできない」という考えがあります。ビジネスが進んでいる現場に足を運ぶことが第一で、深夜にパソコンに向かって仕事をしていても仕方がない。そうした考え方も朝型勤務への動因となりました。

アデコ:顧客視点で仕事をすることと、それを業務の効率化で実現すること。そのアプローチが朝型勤務だったということですね。導入に当たって、社員からネガティブな意見は出ませんでしたか。

西川:もちろんありました。「海外のお客さまに合わせると、深夜も含め24時間体制で動かなければならない」「やらなければならない仕事が目の前にあって、夜遅くまで働かないと片付かない」「お客さまに『次の日の朝までに』と言われたら、夜を徹してやるほかない」といった現場ならでは不安もあれば、「働く時間が短くなると経験値が下がり、人材育成に影響が出る」「隠れて仕事をする“見えない残業”が増えるのではないか」といった制度上考慮せざるを得ない課題も出てきました。

アデコ:そうした懸念の声に、どのように対応していったのですか。現場に回答するだけでなく、制度に反映すべき問題もあったと思います。

西川:「6カ月のトライアル」ということで現場の理解を得ました。いろいろと課題はあるかもしれないがまずはやってみよう、それでうまくいかなければやめると労働組合とも約束しました。

アデコ:駄目だったら本当に取り下げるつもりだったのですか。

西川:もちろんです。やってみないと効果の実感は得られませんし、本当の課題も出てきません。本格導入するにしても、そうした現場感を尊重したかったのです。幸いだったのは、トップのコミットがあったことと、もともとの当社のカルチャーがこの仕組みのドライバーになったことでした。

アデコ:カルチャーとは具体的にどういうことでしょう。

西川:カルチャーというよりも全員の「認識」に近いかもしれません。当社は国内の大手総合商社の中では一番社員数が少ない会社なので、少人数で最大限の成果を上げることを常に課題としてきました。当社よりはるかに多い社員がいる会社との競争に勝つためには、個々の力を高め、1人当たりの生産性を上げるしかない。そんな認識が社内に根付いていたために、「朝型勤務は生産性向上のために必要な施策である」というロジックが比較的受け入れられやすかったのだと思います。

朝型勤務の本当の成果

アデコ:トライアル導入では大きな反発もなく進んだのでしょうか。

 

西川:やはり反発はありましたね。人事・総務部の課長クラスが、20時近くになると各フロアを回って、仕事をしている社員に「帰ってください」と声を掛けるのですが、最初の3カ月くらいは、「会社のために一生懸命やっているのに、仕事をするなとはどういうことだ」とか、「何でこんなやり方に従わなければならないんだ」と食ってかかられることもありました。現場の社員からすれば、それまで当たり前だと思っていたことがそうではなくなったわけですから、反発があるのも無理はなかったと思います。

アデコ:現在もこの制度が続いているということは、結果的としてトライアルは成功だったということですね。その要因はどこにあったと思いますか。

西川:各組織長の主体性を促す取り組みに注力したことが功を奏したと思います。「朝型勤務は残業削減運動ではない」ということは折に触れて説明していましたが、それが現場の責任を持つ人たちの腹に落ちない限り、社員全体の動きになることはない。そう考えて、全組織長が参加する説明会を20回ほど実施しました。しかし、本当の意味でうまく進み始めたのは、制度改革への理解が早かった組織長が、仕事のプロセスを見直す取り組みを独自に始めたり、部署をまたいだ改善プロジェクトを立ち上げたりといった自主的な動きを示すようになってからですね。私たちはそういった好例を見逃すことなく取り上げて、全社に伝え、自主性がより醸成される環境をつくるように努めました。部門間で認識が広がり、社員の中に少しずつ「やらされている感」がなくなったこと。それが非常に大きかったと思います。

アデコ:管理職の評価項目に社員の残業時間を入れて、意識を高めている企業もあります。そういった施策は実施しましたか。

西川:先ほども申し上げたように、朝型勤務の導入は残業削減を目的にしたものではないので、そのような評価制度は設けていません。ただ、組織長の仕事の一つとして「働き方改革の推進」という項目を明確に入れて、その取り組みがボーナス査定に加点されるという仕組みはつくりました。また、毎年、営業成績が優れている組織を表彰する優良組織認定制度においても評価項目の一つに「朝型勤務の推進度」を反映しています。

アデコ:現場の社員への具体的なインセンティブはあったのでしょうか。

西川:早朝に出勤する社員のために軽食を用意しました。最初は簡単なものでしたが、トライアル期間を過ぎてから、メニューを増やしたり、内容を充実させたりして、より魅力的に感じてもらえる工夫をしました。また、朝型勤務は全国のオフィスで一律に導入したのですが、地方の小規模なオフィスで軽食を用意するのが難しい場合は、コンビニエンスストアで買った食事をレシートで精算できる仕組みも設けました。そういったインセンティブは効果を発揮したと考えています。

 また、早朝勤務のインセンティブとして深夜勤務同様の割増賃金を支給したことも大きな効果があったと思います。

アデコ:朝型勤務の具体的な成果についてお聞かせください。

西川:夜に会社に残っている社員が減り、早朝に出社する社員が増えれば、朝型勤務が進んだことを示す一つの指標になります。数字で見ると、20時以降に退社する社員が以前は全社員の30%ほどいました。国内勤務の社員数が約2500人ですから、700人から800人くらいは20時以降もオフィスにいたということです。それが現在では約5%、120人程度まで減っています。22時以降だと、以前は1割、250人ほどが仕事をしていましたが、現在ではほぼゼロになっています。一方、朝の8時以前に出社する社員は、以前は2割ほどでしたが、現在ではほぼ5割に近づいています。

アデコ:残業削減が目的ではなかったとのことですが、結果的に残業時間も減ったのではないですか。

西川:月によってばらつきはありますが、以前と比べると10%から15%ほど減っています。年々残業時間は短くなる傾向にあります。その分、家族と過ごす時間が増えたり、勉強する時間を捻出できたりするようになったことも、この取り組みの成果といえると思います。

アデコ:2017年3月期の業績は前期比47%増で最高益を更新し、来期もそれがさらに続くという見込みも発表されました。制度改革から4年が経過し、その影響も出ているのではないでしょうか。

西川:朝型勤務の浸透が、業績にどの程度寄与しているかを具体的な数値で示すのは難しいですね。もちろん何らかの良い影響を与えていることは間違いないと思います。

 ただ、重要なことは組織長の自主的な取り組みをはじめ「自分たちの力で働き方を変えていく」という土壌が醸成されたことで、それが大きな成果です。当社が取り組んできた働き方改革が社会的にも認知されてきたことで、「会社の目指す方向性は間違っていない」「世の中にとって価値のあること」「企業ブランドの向上にもつながる」といった認識が社員の中に広まってきました。結果、働き方改革を自分たちのこととして捉え、主体的に改革を進めていこうという社員が増えてきたと感じています。

働きやすい会社が
ゴールではない

アデコ:多くの企業では、手段であるはずの働き方改革がいつの間にか目的になってしまっている傾向があります。朝型勤務も手段の一つですが、それが目的になってしまう危険性はありませんか。

西川:なかったわけではありません。この数年、夜に働いている社員の数を減らし、早朝に出勤する社員の数を増やすことを各現場の目標にしてきました。業務を効率化し、生産性の高い組織を実現するという大きな目標のために、朝型勤務で一つのゴールを設定したわけです。しかし、それは必要なプロセスだったと思います。改革には必ずリバウンドがあります。ある程度進んだところで揺り戻しがあって、改革が逆戻りしてしまうケースです。リバウンドが起こらないところまで改革を浸透させ、定着させるためには「仮のゴール」を目指すことも必要だと思います。

アデコ:朝型勤務で仮のゴールを達成したとして、次の目標、課題はどういったことでしょうか。

西川:先ほど他商社との社員数の比較についてお話ししましたが、最少人数で最大成果を発揮する戦略において、社員の健康は大前提となり、当社では健康経営も働き方改革の重要施策の一つとして推進しています。自分の健康を自分自身でコントロールして、常にフレッシュな状態で仕事に向かうことは、ビジネスパーソンの責任です。会社がそれを支援するアプリケーションやプログラムを開発し、社員が自律的に健康を管理し、一人ひとりのパフォーマンスが向上することも働き方改革の目標の一つと考えています。

アデコ:2018年4月に竣工する社員寮もそうした取り組みの一環ということになりますか。

西川:新設する社員寮は360人の若手社員が入居予定で、若いうちからタテ・ヨコ・ナナメの繋がりによる人間関係の醸成や、組織力向上を目的としていますが、同時に、若手社員の自立的な、健康管理や食事に対する意識の向上につながるよう様々な設備を整えています。健康に配慮した食事や食に関する指導、シェアキッチン付きの食堂やジム設備の活用通じて身体的な健康はもちろんですが、メンタル面での健康づくりという点にも配慮した施設を目指しています。

アデコ:朝型勤務の導入時に挙げられた人材育成面の課題に対する取り組みともいえますね。

西川:勤務時間が減っていく傾向にある中で、「どんどん働いて、どんどん経験値を高めていけ」という量に依存するのではなく、一つの経験からより多くの学びを得るといった、いわば経験の質を求めなければなりません。仕事の経験をいかに成長の糧にできるか。これまでの人材育成の考え方を変えていく必要があるでしょう。これについては、今後試行錯誤していくことになります。

 さらに、働き方を変えて生産性につなげる「次の手」も考えなければなりません。朝型勤務だけでこれ以上の生産性向上が望めるとは私たちも考えていません。さらなる業務効率化を図るにはどうすればいいか。それを現在模索しているところです。

 ただ、朝型勤務の導入を通して、働き方次第で生産性が向上するという理解が得られました。この成功体験をベースに、さらなる生産性向上への取り組みを進めていけると考えています。

アデコ:生産年齢人口が減少していく中、企業は働き手を確保するために働き方改革の必要に迫られています。今後進めていく働き方改革はこうした目的を意識したものになるでしょうか。

西川:改革には事業の状態や会社の規模によって、いろいろな目的があって、そこに向かった方法があると思います。もちろん、他社の取り組みからヒントを得ることは重要ですが、一つはっきりしているのは、当社は「働きやすい会社」を目指してはいないということです。

 仕事の進め方の自由度を高めたり、働きやすい職場環境をつくったりして、社員に喜んでもらうことが働き方改革であると当社は考えていません。会社が追求すべきは、社員に一生懸命働いてもらって、会社全体のパフォーマンスを上げていくことです。どんどん働いて、どんどん成果を上げていってほしい、ただし効率的に──。それが、会社が社員に望むことであり、働き方改革はそのプラットフォームをつくるためのものです。その結果として社員が得られるのは、「働きやすさ」ではなく「働きがい」であると考えています。

 そういう意味で当社は「厳しくとも働きがいのある会社」を目指し、働き方改革の諸施策を推進しています。

アデコ:働きやすさを追求することは、働きがいのある会社を実現する手段ということでしょうか

西川:そうです。全ての施策はその方向で考えられなければなりません。会社がどうなりたいか、どこに行きたいか、会社が成長するために社員は何をすべきか。それらを軸とすべきであって、「社員が喜ぶ」ことが軸になってはならないと思います。社員は喜んでいるが、会社の生産性は上がらない。そんな状態は本末転倒ですし、長期的に見て、そのような取り組みは社員をハッピーにはしないと私たちは考えています。

インタビューの報告を受けて:川崎健一郎

アデコ 代表取締役社長 川崎健一郎  KENICHIRO KAWASAKI
1976年、東京都生まれ。青山学院大学理工学部を卒業後、ベンチャーセーフネット(現・VSN)に入社。2003年、事業部長としてIT事業部を立ち上げる。常務取締役、専務取締役を経て、2010年3月、VSNの代表取締役社長&CEOに就任。2012年、同社がアデコグループに入り、日本法人の取締役に就任。2014年には現職に就任。VSN代表取締役社長&CEOを兼任している。

 率直に、働き方改革にまつわる私の違和感が払拭される事例だと感じている。

 企業が働き方改革を推進する以上、それは事業の成長を犠牲にするものであってはならないという私の考えは、前回の記事でお話しした通りである。その考えに基づけば、働き方改革とは企業が持続的に成長していくために、今の働き方が最適なのかどうかを問い直すことだといえる。

 伊藤忠商事の取り組みは、企業が働き方を問い直す上で、顧客という視点を外すことはできないことを教えてくれている。何のために働きやすさを追求するのかが極めて明確になっており、それぞれの施策が「短期的なゴール」として社内に説明できている点は、企業の働き方改革を支援する立場の私にとって非常に学ぶところが多い。

 もう1点、制度改革が持続的に進むような取り組み方になっていることが、とても興味深い。先日のセミナーに登壇いただいたサイバーエージェントの例に顕著だが、働き方改革は幾つもの施策が連続する長期的な取り組みである。これを実際に進めていくためには、各施策が一つの方向に向かうコンセプトが必要であり、そのコンセプトに社員の納得感がなければ改革は継続しない。

 伊藤忠商事は改革の中心に「健康」というコンセプトを置いている。これは働き方改革のためのコンセプトというより、同社の「少人数で最大効果」という事業戦略に基づいたものである。風土とも呼べるものから生まれた「健康」というコンセプトが働き方改革に納得感をもたらしており、それに加えてトップダウンではなく自主的に取り組む風土を醸成していることが成功要因といえるだろう。

 多くの企業が自社に適した制度を模索し、設計を進めている。しかし、そのコンセプト作りにこそ「自社に適した」を求める視点が不可欠であり、これが過去・現在・未来を俯瞰し、知恵を絞るべき経営課題としての働き方改革なのではないか。

 引き続き、事業の成長を前提とした働き方改革について、取材を進めてみたい。


●構成・執筆|川崎健一郎(アデコ 代表取締役)