グーグルは2009年初め、「管理職の業績を決定付けるものは何か」という古くて新しい課題への答えを探すため、データアナリストたちによる「プロジェクト・オキシジン」というイニシアティブを立ち上げた。チームは、ハイパフォーマーに共通する10(当初は8つ)の特徴を突き止め、この結果に基づいて、ローパフォーマーの75%についてその業績を大幅に向上させることに成功した。これに続いて2012年に始まった「プロジェクト・アリストテレス」では、チームの生産性を左右する要因が統計学的に明らかにされた。

 これら一連のプロジェクトは、2007年に改称されたピープルオペレーションズ部門によるもので、現在「ピープルアナリティクス」と呼ばれる人事データ分析の火付け役といわれる。いまでは、マサチューセッツ工科大学やペンシルバニア大学ウォートンスクールなどでピープルアナリティクスの専門プログラムが開講したり、世界各地でさまざまなカンファレンスやセミナーが開催されたりしている。こうした「人事を科学する」試みは、けっして目新しいものではない。しかし、人事に限らないが、前例主義や経験則が幅を利かせるマネジメントでは、定量的なアプローチは参考程度に扱われてきた。実際、男女格差や恣意的な人事考課など、不条理や不公正が依然としてまかり通っているのには、客観的な定量データ軽視が大きく関係している。

 先のグーグルのプロジェクトの責任者であったラズロ・ボックは、『ワーク・ルールズ!』(東洋経済新報社)の中で、これまでの常識や定説、属人的な経験則に頼った人材マネジメントの弊害や危険性を繰り返し訴えている。実際、日本で広く採用されているMBOも、業績の達成度がそのまま評価され、報酬に直結しているせいで目標が低めに設定されやすい、減点主義に陥りやすい、恣意的な運用が行われやすい、イノベーションなど非連続な変革へのチャレンジの足を引っ張るなどの欠点が指摘されている。にもかかわらず、多くの組織で疑問なく使われ続けている。

 ピープルアナリティクスは、人事における常識や通説の誤り、前例主義や横並びの弊害を定量的に明らかにし、自社にふさわしい人事制度や能力開発プログラムを導き出す。労働経済学の専門家である大湾秀雄氏は、企業の人事担当者たちと一緒にピープルアナリティクスを実践する「人事情報活用研究会」を主宰している。そこで得られた知見をまとめた著書『日本の人事を科学する』(日本経済新聞出版社)では、女性の活躍・支援、働き方改革、採用や離職、中間管理職の評価、高齢者雇用などの領域でピープルアナリティクスを試みた実例を紹介している。本インタビューでは、大湾氏らのこれまでの研究・分析の成果から、これからの人事政策、人づくりのあり方、そしてピープルアナリティクスの活用法について考える。

「遅い昇進」は
日本の将来を左右する大問題

編集部(以下青文字):今日は、これまでの研究を振り返りながら、日本企業にとって何が課題なのか、教えてください。

HIDEO OWAN
早稲田大学政治経済学術院教授。独立行政法人経済産業研究所のファカルティ・フェロー。東京大学理学部数学科卒業後、コロンビア大学大学院にて経済学修士、スタンフォード大学経営大学院にてPh. D.(ビジネス)を取得。専門は、労働経済学、組織経済学、人事経済学。野村総合研究所研究員・エコノミスト、ワシントン大学ジョン・M.オーリン経営大学院助教授、青山学院大学国際マネジメント研究科教授、スタンフォード大学経営大学院客員研究員、東京大学社会科学研究所教授を経て現職。主な著書に『日本の人事を科学する』(日本経済新聞出版社、2017年)がある。

大湾(以下略):まだあれこれ試行錯誤している段階ですが、いくつかの問題点を指摘できると思います。
 まず、昔から指摘されてきた問題ですが、「遅い昇進」です。つまり、管理職に選抜される時期が遅いのです。多くの日本企業では、入社して10~15年くらい経験を積まないと管理職になれません。実際、調査からも、日本は他国に比べて顕著に遅いことが明らかにされています。
 ちなみに、厚生労働省が毎年発表している「賃金構造基本統計調査」の課長昇進割合を時系列で見てみると、遅い昇進の弊害が長らく指摘されてきたにもかかわらず、2015年時点では、2000年代初頭よりもさらに遅くなっています。遅い昇進が何より問題なのは、経営者人材の育成に時間的制約が課されてしまうことです。その結果、人づくりや組織づくり、地域間・職能間・商品ライン間での調整など、経営者に不可欠な知識や経験を十分蓄積できないまま、マネジメントボードに参加することになる。
 また、グローバルに事業展開しているにもかかわらず、海外でマネジメントをやったことのない人、クロスボーダーで資源配分や業務調整を経験したことのない人が、経営陣に入ってしまう可能性があります。

 こうした経営者に必要な能力は、若いうちから幅広い経験を積み重ねていくことで身につくといわれています。
 はい。欧米の多国籍企業では、早くからいろいろな職種、地域、職位を経験させながら、経営者候補を育成しています。
 加えて、遅い昇進は、そもそも他国の人事慣行との互換性がありません。たとえば、アジア地域で現地法人を設立した場合、本国に倣って遅い昇進制度が適用されてしまうと、現地の人材はいかに優秀でも、なかなか昇進できません。仮にめでたく出世できても、親会社で活躍できる道はほぼ閉ざされており、どんなに頑張っても現地法人の社長が精一杯です。このグラスシーリング(ガラスの天井)のせいで、現地で採用しトレーニングした優秀な人材が欧米企業に流れてしまう。
 このように、かつては経済合理性もあった遅い昇進が、いまでは日本企業の国際競争力を阻害する一因になっているともいえるでしょう。
 のちほどお話ししますが、遅い昇進は、女性の管理職登用にもマイナスです。しかも、社会全体の起業率は高齢化によって下がるといわれているのですが、遅い昇進はその媒介になっています。
 これは、『人事の経済学』(日本経済新聞社)を書いたスタンフォード大学のエドワード・ラジア──私の指導教官でした──の研究結果なのですが、高齢化している国の起業率と、高齢化していない国のそれを比較すると、前者は単に起業率が低い高齢層割合が高いというだけでなく、同じ年齢層同士を比べても、前者の起業率が後者のそれを有意に下回っていました。
 高齢化によって管理職や経営陣がシニア世代で占められると、若い世代は、起業に必要な能力開発、つまり幅広いビジネス経験や調整能力を身につける機会を失い、起業のリソースへのアクセスも制限され、結果として起業率が下がっていきます。
 ただし今後は、「早い選抜」「早い育成」に向けて舵が切られていくことが予想されます。その理由の一つは、不況期を経て進展してきた賃金カーブのフラット化です。
 賃金カーブが急勾配の場合、遅い昇進に手をつけるのは難しい。なぜなら、昇給していくことが約束されている中堅社員にとって失われるものが大きすぎるからです。若い人たちを昇進させれば、昇進できないままシニア社員になる人が増えることになり、その結果、想定されていた生涯所得が大きく下がってしまう。ですが、賃金カーブがフラットであれば、中堅社員が失うものは相対的に少なくて済みますから、軋轢やモラールの低下といった負の影響も小さくなるはずです。