7万人を超える巨大企業の社長は、肩にかかる重みが違います。見える景色はどう変わりましたか。
 当然、見える景色の幅は、本部長時代とは大きく違います。けれど、プレッシャーばかり感じていても仕方がありません。
 数多くある事業の実態をつかむためにできるだけ現場に行くことと、毎月1回、4日ほどかけて行う「幹部会」で集中的に各事業の状況や課題をヒアリングすること。これらを徹底したことで、全社のことを一通り理解できるようになりました。
 もちろん、問題のある事業もありますから、そこをどうするかも早急に対処しなければなりません。それぞれの事業部の責任者と議論をしながら前向きにやっていくことで、プレッシャーを跳ね除けて進んでいきたいと思います。

注1)「人間として何が正しいか」という判断基準をベースとした経営哲学。

 現在につながる大きな結節点はやはり、谷本さんが30歳の時にプロジェクトリーダーとして挑戦した「製造プロセスのイノベーション」だったかと思います。いまあらためてこの経験を振り返ると、どのような意味を持っていましたか。
 当時は、セラミック基板に大量の有機溶剤を使ってシート成形をし、それを金型で抜いて40時間ほどかけて焼成する──という工程がありました。ただ、焼成の過程でどうしても反ったりするので、そのひねりを戻すために再度焼き直しが必要でした。そのため、採算が非常に悪かったのです。
 そこで、溶剤を使わずに乾式でシート成形をするという新しい方法を考え、焼成を10分の1くらいの短時間でできるようにしました。また、それと合わせて、反りが出ることなく焼成も1回で済むという、効率的な量産ラインも構想しました。立ち上げには1年ほどかかったと思います。
 しかし、ラインを立ち上げたものの、お客様から製品に対する認定がなかなかもらえない。お客様に叱られるばかりで、半年間くらい注文がなくて困りました。何億円も投資したのに量産ラインが稼働できないのですから、本当につらかったです。
 ところがその後、さらに困ったことが起きました。製品認定を受けた途端、注文が一挙に来てしまったのです。今度は生産が追い付かなくなってしまい、またお客様に叱られました(笑)。私は技術屋ですから、技術的問題についての苦労はいといませんでしたが、この時初めて、お客様から注文をいただくことの難しさ、信頼関係を構築することの大切さを学びました。
 こうした苦労を経て、赤字だったセラミック基板事業を黒字化できたのです。

 そこでは、リーダーとしてもブレイクされたわけですね。
 技術の基礎的な部分はR&D部門と一緒に行いましたが、ライン化するに当たっては30歳の私がリーダーとなり、若手の技術者7人ほどで設備のレイアウトを検討しました。その後の製造段階では、50人くらいのメンバーを取りまとめる形で立ち上げまで持っていきました。
 技術的な苦労を乗り越え、外部との折衝から、受注、量産ライン立ち上げと、一連のプロセスすべてを経験できたことが、私にとって大きな学びになりました。当時の副社長から、「製造方法を変えることを考えろ」と言われたのが発端でしたが、若い発想に期待して思い切って任せてくれたことが、とてもありがたかったです。

 これ以降も、携帯端末の重要部品、LEDの実装基板など、多くの事業を立ち上げられています。それらを次々と可能にしたものは何ですか。
 先ほどお話ししたセラミック基板事業では、生産ラインをゼロからつくったので大変でした。もちろんその際もアメーバ経営を入れていくので、事前に生産計画をつくり、月末になると、実績との差が出た理由や背景を分析しなければなりません。ですが、最初はそれどころじゃなくて、まず人が足りるのか、設備が揃っているのかといった、基本的な計画の部分でよく失敗しました。
 計画通りにいかないことはしょっちゅうで、頭では理解しているつもりでも、実行となるとうまくいかないのです。あちこちに細かく気を配らなければ物事がうまく運ばない、それを身をもって体験していたので、新しいことを始める時には、こういうことに気をつけなければいけないとか、ここにはタフな人間を配置しようとか、そういった勘というか、コツみたいなものがだんだんわかるようになってきたのです。