日本人論の始まり

  日本人が集団主義であるという通説は、いったいどのように生まれてきたのですか。
 私が調べたところでは、その起源は開国まもない19世紀に来日したアメリカ人に由来します。彼は「火星の表面の縞模様は、火星人のつくった運河である」という説を唱えたことで知られる、パーシヴァル・ローウェルという天文愛好家で、著書の中で「日本人には個性がない」と述べています。
 この当時、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』などの影響もあってか、アメリカ人は個人主義的だという説がすでに広まっていました。実際、当のアメリカ人たちも「我々は開拓者である」「開拓者精神が我々の魂である」という自己イメージを持っており、自由主義、すなわち個人が自由に判断し行動することを誇りにしていました。
 ローウェルに話を戻すと、彼は1889年から93年にかけて日本を5回訪れ、約3年間滞在しています。その経験に基づいて書かれたのが『極東の魂』(公論社)です。19世紀といえば、白人至上主義が幅を利かせており、こうした西洋的価値観から、ローウェルは日本人のことを「個性がない」「自我に乏しい」「独自の思想がない」、それゆえ「集団を重んじる」「輸入と模倣に徹する」と断じました。
 当時の欧米人は、このように推測していました。「欧米がアフリカやアジアを植民地化する中で、日本だけがそれを逃れているばかりか、工業化を進め、欧米諸国と肩を並べて、ついには中国やロシアといった大国と戦争するまでになった。それはなぜか。きっと日本人には、我々が知らない特殊性があるに違いない」
 ちなみに、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、この『極東の魂』に影響されて日本にやってきたそうです。
 「日本人は個性がなく、集団主義的である」という結論は、極東の小国にもかかわらず、植民地化されず、逆に植民地化に乗り出し、工業化にも成功した理由を説明するうえで何とも説得力があった。すなわち、一人ひとりの力ではできないことも、力を合わせて集団として取り組めば大事を成し遂げられる、というわけです。
 その後、ローウェルが原因かどうかまではわかりませんが、アメリカの知識人の間では、日本人は集団主義的であるという見解は一種の常識になっていきます。実際、アメリカでつくられた大戦中の反日プロパガンダ映画では、日本人は集団主義的であるとしきりに主張しています。
 そして戦後、この通説を前提に書かれたのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』です。彼女は戦争情報局の日本班のリーダーでしたが、日本におもむいたことはなく、日本に関する文献調査、日本人捕虜や日系移民へのインタビューに基づいて、この本を著しました。
 実は、『菊と刀』に集団主義という言葉は出てきません。しかしその内容は、日本人は集団主義的であるというものです。この本がきっかけで、日本でも、日本人イコール集団主義という説がいっきに広まります。
 もちろん、批判もありました。『季刊民族學研究』(岡書院)は、日本語訳が出版された翌年(1949年)に『菊と刀』に関する特集を組んだのですが、哲学者の和辻哲郎や民俗学者の柳田國男らが批判や反論を寄稿しています。

 こうした日本を代表する知識人たちの攻防空しく、日本人イコール集団主義論という偏ったステレオタイプが世界的に広がってしまいました。
 戦後は、日本人イコール集団主義論が意図的に展開されてきたきらいがありますが、その後は親日派や日本人の研究者たちからも同様の指摘がなされるようになります。
 日本生まれで、駐日アメリカ大使を務めた東洋史研究家のエドウィン・ライシャワーは、日本人について欧米で広く受け入れられている考え方とは「厳格な社会規律をおとなしく守り、その社会の既成のパターンをたえず繰り返す、従順なロボットのような画一的な人種」であると述べています。
 そのほか、このような言われ方もされていました。たとえば、常に集団として行動する日本人は、組織の和を大切にし、組織のためには個人が犠牲になることもいとわない。その和を乱す異分子を組織や集団から排除しようとする。「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、同質的な社会では異彩を放つような行為は慎むべきである。また、自分が所属する組織や集団のウチとヨソを峻別し、ウチの人たちには温かい気遣いを示すが、ヨソの人たちには邪険に当たる。
 社会人類学者の中根千枝氏は『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)の中で、集団を統制する原理は、上が下を支配し、下が上を支えるというタテの関係が主軸となる、このタテの関係が権力の乱用を可能とし、権力に対する一般国民の恐怖を植え付けたようである、と述べています。
 アップルの会長を務めたジョン・スカリーは、あるインタビューの中で「ソフトウェアは個人的に創造されるものだが、日本文化は個人的な創造性を発揮するようには組織されていない」と語っています。言い換えれば、日本人は集団主義のせいで個人の創造性が低い、と。