「アメリカ人は個人主義的」
という錯覚

 このように、日本人が集団主義的とされる一方、アメリカ人は個人主義的だといわれますね。これも本当でしょうか。多くの人たちが、疑うことなくそう信じています。しかしやはり、科学的な方法できちんと比較・分析してみる必要があります。
 心理学では、1980年代から、集団主義と個人主義に関する国際比較研究がさかんに行われました。その中の日米比較研究について調べてみました。その結果、日本人が集団主義的で、アメリカ人が個人主義的であるという証拠は見出せませんでした。研究によっては、日本人のほうが個人主義的、あるいはアメリカ人のほうが集団主義的であると結論するものがありました。
 その中で、オランダの社会心理学者にして経営学者のヘールト・ホフステードによる、世界47カ国と3地域のIBM従業員への意識調査があります。(注3)彼は、この調査で「個人主義指標」を用いて、地域別に序列化を試みました。最も個人主義的な国は、やはりアメリカで、オーストラリア、イギリス、カナダという英語圏の国が続き、オランダ、フランス、イタリア、スイス、西ドイツなど欧米諸国が上位を占めました。日本はアルゼンチンと同じの22位、ちなみにお隣の韓国は40位、台湾が41位でした。
 ホフステードにすれば、集団主義の代名詞といわれる日本が22位というのは意外でしたが、欧米諸国と比べると、必ずしも予想を裏切るものではありませんでした。これによって、「グローバル企業は各国の文化を考慮しなければならないが、集団主義と個人主義という次元を用いれば、各国の文化的違いを理解できるのではないか」という考え方が生まれ、その後の国際経営論に利用されるようになります。
 しかし、私がホフステードの調査を検証したところ、ここでは専門的な説明は省きますが、彼はデータを間違って解釈していたことが明らかになりました。彼の「個人主義指標」は、個人主義を表すものではなく、いま申し上げた個人主義の序列はまったく根拠のないことが判明したのです。
 2018年に亡くなられた北海道大学名誉教授の山岸俊男氏が「協調行動」に関する日米比較実験――その詳細については省略します――を行っているのですが、アメリカの被験者たちのほうが日本の被験者よりも集団主義的であるという結果となり、通説は裏切られました。
 我々が、同様の日米比較調査研究24件、実験研究11件についてその結果を調べたところ、集団主義の程度は日本とアメリカで差がないという研究が55%、アメリカのほうが集団主義的であるという研究が31%、日本のほうが集団主義的であるという研究が14%、という内訳になっています。
 この我々の調査から数年後、アメリカの心理学者たちが、集団主義と個人主義に関する国際比較調査すべてについて網羅的に検証したのですが、日米比較についての結論は我々の調査とほとんど同じでした。
 個人主義しかり、集団主義しかり、国や人種にそのようなラベルを貼ることはできないのです。

注3)
この1960年代後半から70年代前半までの6年間にわたる調査は、Geert Hofstede, Culture’s Consequences: International Differences in Work-Related Values, Institutions and Organizations Across Nations, Sage Publication, 1980.(邦訳『経営文化の国際比較』産業能率大学出版部、1984年)にまとめられている。

人間は「状況」に応じて
態度や行動を変える

 戦時中には、「民一億の体当たり」「おのれ殺して、国生かせ」などのスローガンに従い、日本人はまさに集団主義的に行動しました。また戦後は、QCサークルをはじめ、コンピュータ、自動車やバイクなどの開発は非常に集団的な活動でした。
 戦時中は、生死がかかった危機的な状況だったからです。アメリカの歴史家ウィリアム・マクニールいわく、「明白な外部からの脅威こそは、個人というレンガで社会という建物を建てるための、人間の知る限り、最も強力なセメントである」。
 自分一人の力ではおよそ太刀打ちできない外的脅威に直面した場合、日本に限らず、どこの国でも団結を固めようとするものです。世界の歴史を振り返れば、枚挙に暇がありません。最近の例では、アメリカで同時多発テロが起きた時、当時のジョージ・ブッシュ大統領が「団結は最強の武器だ」と演説し、彼の支持率はテロ事件前の50%から89%へと跳ね上がり、不支持率は38%から7%へと激減しました。
 「世界で最も個人主義的」という定評のあるアメリカ人でさえ、外敵の脅威にさらされれば、異分子を排除し、国内の結束を固めようという集団主義的な行動に走るのです。
  こうした傾向は、人間集団に普遍的なものです。ですから、戦時下で日本人が集団主義的な行動を見せたからといって、日本人は集団主義的であることを裏付ける証拠とはいえないでしょう。
 同様に、コンピュータや自動車、あるいは新幹線やダムなど、とうてい一人の力では開発できない類のものも、やはり集団的に取り組まれるわけです。つまり、こうした集団主義的な振る舞いは、「置かれた“状況”の中で選択された行動」であり、日本人固有の性質によるものではないのです。
 ところが、人間の思考には、「対応バイアス」という普遍性の高いバイアスがあります。つまり、なぜそのように行動したのか、その理由を考える時、状況の影響力を無視し、性格や能力、国民性や精神性といった人間の内部要因によって説明しようとするのです。
 このバイアスのため、戦時中の日本人の集団主義的な行動は、戦争という状況によって十分説明できるにもかかわらず、たとえば『菊と刀』などの主張に頼って、日本人の国民性や精神文化に原因を求めてしまった、といえるでしょう。
 日本人イコール集団主義論が一度広まってしまうと、今度は「確証バイアス」という、これまた非常に強力なバイアスが働き始めます。確証バイアスとは、自分が信じるところに合致する事例、強化する事例ばかりに目が向く、というものです。ですから、日本人は集団主義的であるという先入観があると、そのような事例ばかりが目につき、「やっぱり日本人は集団主義的なんだ」とますます納得してしまう。