これと並行して、思い出しやすいことを過大評価するという種類のバイアスもあります。人間の記憶は、何かの手がかりから芋づる式に引き出されるものなのですが、「日本人は集団主義」という先入観があると、それが手がかりになって、実際には個人主義的に振る舞う例がたくさんあっても、集団主義的に振る舞う例ばかり思い出すということになってしまいます。すると、日本人は集団主義的であると容易に結論付けてしまう。
 こうしたバイアスに陥ると、みんながそう言っているのだから正しいと考えることが強化されます。繰り返しますが、みんながそう言っているからといって、それが正しいことを証明しているわけではありません。

 「置かれた状況の中で選択された行動」について、もう少し教えてください。
 心理学の世界では、人間の行動は状況に応じて変化することが繰り返し証明されてきました。置かれた状況が似ていれば、日本人だろうとアメリカ人だろうと、同じような行動を取る可能性が高い。
 もちろん、人間が状況の奴隷などと申し上げているのではなく、人間は他の動物にない高度な情報処理能力を持っており、現在置かれている状況を分析し、それに適応しようとします。そして、自分が不利益を被らないよう、また有利になるように行動する。ですから、状況に応じて行動が変わるのは当然のことなのです。こうした「状況に適応する」能力は、元来の性格や精神文化以上に大きな影響力を持っています。

文化ステレオタイプの
危うさ

 日本人にしろ、アメリカ人にしろ、ある状況では集団主義的に、また別の状況では個人主義的に振る舞う。したがって、言動に一貫性がないのは、むしろ当たり前なのですね。
 私は、日本人が集団主義的ではないからといって、個人主義的であると申し上げているわけではありません。アメリカ人についても同様です。
 日本人であろうとアメリカ人であろうと、集団主義的な行動が利益になる時には集団主義的な行動を、また個人主義的な行動が利益になる時には個人主義的な行動を選択するのです。それは国民性や精神文化ではなく、あくまでも状況に応じて、つまりケースバイケースなのです。ただし、その選択が論理的に正しい、倫理的・良識的であるかどうかは、また別問題です。
 バイアスの話でいえば、日本人は集団主義的である、アメリカ人は個人主義的であるといった通説は「文化ステレオタイプ」の典型例です。
 文化ステレオタイプとは、イギリス人は紳士的である、ドイツ人は規律正しいなど、ある文化圏やカテゴリーに属する人たちは、総じて同じような内面性を備えているという固定観念です。
 文字通りステレオタイプですから、人々の心の中にすんなり入りやすく、だからこそ非常に危険なバイアスを招きやすい。文化が異なれば、習慣や価値観、行動が異なるのは当然なのですが、こうした違い、すなわち異質性を理由に、いじめたり、虐待したり、時には殺人すら正当化されたりします。
 たとえば、日米貿易摩擦の時に、日本の異質性や特殊性の根拠として、日本人イコール集団主義論が利用されました。ベトナム戦争でアメリカ軍は、兵士がベトナム人を殺すことにためらわないよう、ベトナム人は人間以下の存在であると教育しました。文化ステレオタイプは、このように洗脳に使われやすいのです。
 旧ユーゴスラビアの分裂時、民族浄化運動が起こり、一説には20万人が殺されました。実のところ、旧ユーゴスラビアの人々は、民族的には同じ南スラブ民族に属しており、言語的にはセルビア語も、クロアチア語も、ボスニア語も、方言程度の違いしかありません。ただし、宗教が違います。クロアチア人はカトリック、セルビア人は東方正教、ボシュニャク人はイスラム教です。
 同じ民族で、ほとんど同じような言語を使っていながら、宗教やそれに基づく価値観が違うというだけで、互いを異質視するプロパガンダが繰り広げられました。ついには、最悪の結果が招かれます。第二次世界大戦中には、クロアチア人はナチスと結託し、セルビア人を虐殺しました。旧ユーゴスラビアが分裂した時には、軍事力で頭一つ抜け出たセルビア人によって、クロアチア人やボシュニャク人の大量殺戮が起こります。
 歴史を遡れば、こうした文化ステレオタイプによって引き起こされた悲劇は、枚挙に暇がありません。現在、グローバル化が当たり前になり、異質な文化同士が接触する機会が増えている中、文化ステレオタイプにはよりいっそう警戒が必要です。
 少々横道に逸れますが、心理学の世界では、言語能力は女性のほうが高く、空間能力は男性のほうが高いという傾向が、さまざまな実験によって確認されています。ただし、個人差が極めて大きい。ですから、女性だから、男性だからと決め付けるのは大きな間違いです。こういうこともステレオタイプの弊害の一つです。

 こうしたバイアスに基づくステレオタイプが増幅・拡張していくのも、またバイアスによるものであり、こうした悪循環を断ち切る、歯止めをかける術はないのでしょうか。
 残念ながら、そのような魔法の杖はなく、文化ステレオタイプは偏った解釈であり、危険なものであることを理解してもらえるよう、辛抱強く繰り返し説明し、理解の輪を広げていく努力を重ねるほかないでしょう。
一筋縄ではいかないかもしれませんが、専門家に納得してもらうことが重要です。また、権力の持ち主や権威のある人の言葉は広まりやすいですから、インフルエンサーも無視できない存在です。

  日本の場合、不正行為はよく組織ぐるみで行われるといわれますが、これも状況の中で選択された行動なのですか。
  そうです。ただし、エンロンやワールドコムの粉飾決算など、アメリカでも組織ぐるみの犯罪は存在します。
 組織ぐるみとは、つまるところ、権力構造という「状況の産物」です。その行為は犯罪であり、発覚すれば刑務所に入れられるとわかっていても、経営陣や上司が喜ぶことを行う、上の人間には逆らってはならない、そうすればめぐりめぐって自分の利益になる、という理屈です。
 集団主義がいいのか悪いのかという二元論は無意味です。当然ながら、いい場合もあれば、悪い場合もある。実際、集団主義的、すなわち組織的あるいは集合的に行動することで大きな成果に結実することもあれば、かえって不利益を招く場合もあります。
 一般的な認識とは異なっていると思いますが、創造性に関する心理学の研究では、集団よりも個人で問題を解いたほうが高いパフォーマンスが得られることが何度も示されています。「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、みんなで協力したほうが効果的だと思われるかもしれませんが、必ずしもそうではない。
 いずれにしても、日本的経営の長所と信じられてきた集団主義の強制とそれによる個の抑圧は問題です。リーダーの皆さんは、集団として一つにまとめることに努めながら、他方では、個々人を尊重し、やる気や能力を引き出すように努めることが大切なのではないでしょうか。
 そのためには、状況を正しく見極め、個人主義と集団主義を使い分ける能力が重要です。結局のところ、どちらが適しているかは状況次第であり、リーダーには臨機応変で的確な判断力が求められます。


  1. ●聞き手|岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部) ●構成・まとめ|奥田由意、岩崎卓也
  2. ●撮影|朝倉祐三子 ●イラスト|CloudyStock/Shutterstock.com