軍事組織では、敗北は死を意味するので、何より戦闘や戦争に勝利することを考えます。本来、組織というものは、適応と革新の両方に取り組むべきなのですが、軍事組織では、適応が優先されがちです。

 しかし、適応と革新をみごと両立させたのが、第二次世界大戦で日本軍を打ち破ったアメリカ海兵隊の「水陸両用作戦」です。この作戦は、陸地に向けて水上や海上から軍事力を準備・輸送・展開して攻撃することで、日米開戦の20年も前に「日本は将来我々の敵になる」と見越したうえで考案・実施されたものでした。

 私が思うに、この水陸両用作戦のように状況適応的でありながら革新的な作戦が、はたしてOODAから生まれてくるでしょうか。まず無理でしょう。なぜならOODAでは、適応から革新や創造へと発展させる、また個人から組織へと拡大させるための方法や仕組みが理論化されていないからです。結局のところ、OODAは目の前の戦いで確実に勝利を収めるための状況適応モデルにほかならない、と。

三原:敵より素早く意思決定して行動に移し、戦況の支配権を握り、戦いを有利に進めていく。野中先生が喝破されたように、これはあくまで状況への適応であって、何か新しいものを創造するプロセスとはいえません。

 ただし、やるかやられるかという戦いの場では、これは至し方ないことでもあります。目の前の状況にとにかく適応し、相手を倒し、生き抜かなければならないからです。こうした有事においては、ユニークな何か、新しい何かといった創造性の発揮を求めるのはそもそも難しい。

 前例や前年度といった過去を起点に始まるPDCAでは、状況や環境変化への適応に遅れ、競争で後手に回りかねない、だからこそOODAが効果的である、という意見についてはいかがでしょう。

野中:置かれている状況や環境にもよりますが、昨今なおざりにされている人間の身体知や主観に基づく直接体験を前提としている点は評価できます。

 PDCAが分析や計画に基づく演繹的なモデルであるのに対して、OODAの場合、まず観察という直接体験から始まる帰納的な行動です。前者が「計画ありき」のアプローチとすれば、後者は人間の身体知を駆使する「実践ありき」のアプローチといえるでしょう。それゆえ、OODAはより実践的で機動的です。

 ただし、戦争が消耗戦と機動戦に区別されるように、ビジネスも変化の穏やかな市場と変化の激しい市場があります。前者にはPDCAが、後者にはOODAが適しています。あれかこれかの二元論では見誤ってしまうでしょう。

 アメリカ海兵隊も、ベトナム戦争の後にOODAを採用しました。しかし、組織の隅々まで浸透することはありませんでした。そして現在も、海兵隊が将校向けに発行している月刊誌『マリーン・コー・ガゼット』では、OODAへの疑問も含め、さまざまな議論が交わされています。海兵隊第29代総司令官アルフレッド・グレイも、最初はOODAを評価していましたが、その後「単純すぎる」と言って、考えを翻しています。

 結局のところ、海兵隊がボイドから学習したのは、OODAそのものではなく、機動戦に関する知見でした。それは、敵が予測できない行動を素早く取って混乱に陥れ、それに乗じて敵の最も脆弱な点に兵力を集中させて圧倒するという「賢い戦い方」です。

三原:OODAを語る際、PDCAの欠点をあげつらい、もはや時代遅れかのようにうそぶく論調がありますが、それは間違っていると思います。

 平時にあっては、PDCAが立派に使えます。たとえば、交戦状態に入った戦闘機パイロットにはOODAが有効でしょうが、戦場までたどり着くまでの運航計画等は、同じ戦闘機であってもPDCAで問題ないでしょう。ましてや、旅客機のパイロットには、限られた非常時以外、OODAが必要になるとは思えません。

 野中先生がおっしゃるように、OODAは消耗戦より機動戦との相性がいい。逆にPDCAは消耗戦に必須であることも容易に想像がつくでしょう。かと言って、これら2つを別物として扱うことはできません。なぜなら、完全な消耗戦も完全な機動戦も存在しないからです。

 現実としてはこれら2つが交互に続くことが大半です。ある戦局では武器・弾薬の量などで相手を圧倒する消耗戦、別の戦局では相手の裏をかいて撹乱する機動戦というわけです。ビジネスの世界も同じはずです。つまり、状況に応じて使い分ける必要があるのです。