陸上自衛隊は
カスタマイズして導入

三原:実は、日本の陸上自衛隊も、OODAの導入を試みました。そのプロセスに、私も深く関わっていましたが、実際の導入を検討するに当たり、やはり暗黙知に相当するビッグO(状況の判断)が具体的に定義できませんでした。

 侃々諤々の議論の末、最終的に最初のO(観察)と合わせて「I」(information)として大きく括り、OODAを「IDA」というものにつくり変えました。すなわち、敵に関する情報をいち早く把握し、その分析に基づいて対応を考え、次の行動を決定し、実践する、というサイクルです。このIDAは、迅速な意思決定に向けた行動指針として、いまでも陸上自衛隊の戦術作戦・戦闘教範『野外令』に記載されています。

 陸上自衛隊では、なぜOODAを、いやIDAを導入したのですか。

三原:その最大の理由は、戦闘の性格が大きく変わったこと、より具体的に申し上げれば、市街戦が避けられなくなったことにあります。そこでは、狭くて入り組んだ市街地に敵と味方が混在し、どれが敵なのか味方なのか、市民なのか暴徒なのか、正しく見分けるのが極めて難しい。しかも、ベトナム戦争のようなゲリラ戦同様、市街地は規模が相対的に小さいとはいえ、死角が多く複雑です。そこでは、隊員一人ひとりが適宜、適切な判断を下せなければなりません。ですから、OODAを学ぶ必要があるのです。

 陸自時代の私の経験をお話しすると、東京の練馬駐屯地で連隊長を務めていたことがあります。連隊では演習が付き物です。演習にはいくつかの種類があり、大まかに言えば、実技とコンピュータ・シミュレーションに分かれます。後者のシミュレーションにも3種類あるのですが、その一つに「コンストラクティブ・シミュレーション」という、連隊と連隊を地図上で戦わせる「兵棋演習」があります。

 戦うといっても隊員相互の戦いではなくて、連隊を率いる司令部と司令部の頭脳戦です。その際、作戦を地図に落とした「作戦図」と、戦況を表す「状況図」をつくります。またこれら2つの図のほかに、私が連隊長の時には、陸上自衛隊では通常つくらない、自分たちはこうなるべきだという未来を描く、未来図を独自に作成しました。

 こうした対抗兵棋演習では、隊を動かすと、状況図が刻々と変わっていきます。どちらが優勢かは本部にあるコンピュータが判断します。『信長の野望』など戦国時代を舞台にしたシミュレーションゲームを思い浮かべていただければよろしいかと思います。

 ある時、この演習でIDAサイクルを意識的に試してみました。それまでは、未来図にたどり着くまでの計画をつくり、それに従って隊員を動かし、相手の動きを確認しながら、次の打ち手を考えるという戦い方をしてきました。おわかりのようにPDCAです。

 この時は、計画の部分を飛ばして、未来図に近づくための行動だけを次々に実施してみました。言い換えると、IDAサイクルを回転させ、敵を我々のIDAサイクルに陥れることを企てたのです。効果はてきめんでした。敵を混乱させ、引っかき回すことに難なく成功しました。言い換えれば、我々の思うように敵を動かすことができたのです。

 また、敵もIDAを使ってきた場合でも、こちらが敵よりもIDAサイクルを多く回せれば、敵がいくら必死に食らいついてきても、我々はさらにその先を行っているわけですから、結局のところ、敵は引きずられ、首尾よく勝利を収めることができました。このIDAサイクルは、陸上自衛隊では、指揮官だけではなく、それこそ最下層の2等陸士にも教え込まれています。

 では、OODAの特長とは何か。私の理解では、O・O・D・Aという個々の動作を一連のループとして回転させるところです。このループを何度も何度も回すことで相手をこの回転に巻き込み撹乱しマヒさせる、というのが何より重要なメッセージだと思います。

 この回転の中で、たしかに「機を見るに敏」という能力が涵養されていくでしょう。ただし、そのような能力を備えた個人を多数揃えたからといって、それが戦闘や競争に勝利することを保証するわけではありません。

 私の経験で申し上げると、OODAがうまく機能するのは、どんなに頑張っても20人程度の小隊まででしょう。100~200人規模の中隊では難しい。1万人を超える師団ではまず無理です。このような大部隊に瞬時の対応は難しく、OODAはやはり個人が戦う戦闘機パイロットのためのフレームワークなのです。

 ボイドはOODAを考案するに当たり、無敗の剣術家、宮本武蔵の『五輪書』を研究したといわれています。剣士もパイロットも「1人で戦う」という意味で同じですから、ボイドにすれば得るところがたくさんあったことでしょう。そういえば、無敵の武蔵も、兵を率いて臨んだ島原の乱では手痛い敗北を食らっています。組織を指揮して勝つ武将ではなかったのです。