すべては「共感」から始まる

野中:もう一つ指摘しておきたいことがあります。ボイドも「敵の身になって考えるべきだ」と言っていますが、OODAの最初のOである“observe”(観察)という表現では、相手の立場で考える必要性は伝わりません。たとえば、“encounter”(遭遇)と表現すれば、もう少し伝わるかもしれません。私ならば、さしずめ“empathy”(共感)という語彙を使います。

 敵に共感するとは、敵の立場になって考えるということですか。

野中:アメリカ海兵隊のドクトリン(哲学)を記した『ウォーファイティング』の「敵情判断」という項に、こんな一節があります。

「敵の思考プロセスに入り込み、敵が自分自身を見るように、敵を見る努力をすべきである。そうすることで敵を敗北に陥れることが可能になる。つまり、敵の立場に我が身を置いて敵を理解することが重要である。どの敵も我々と同じように考え、同じように戦い、あるいは同じ価値や目的を持っていると決めてかかるべきではない」

 加えて、現象学が教えるところでは、他者との出会いを通じて、相手と向き合い、そこで共感が生まれて、初めて人間は物事への意味付けや価値付けを行うことが可能になる。翻せば、完全に他者から孤立した個人から、新たな意味や価値は生まれてこないのです。

 敵であっても共感することがいかに重要かを物語る2つのエピソードをご紹介します。国防長官として、ジョン・F・ケネディとリンドン・ジョンソンの2人の大統領に仕え、キューバ危機への対応をはじめ、ベトナム戦争では政治面でも軍事面でも参謀であったロバート・マクナマラという人物はご記憶でしょうか。

 ハーバード・ビジネス・スクールに学び、フォード・モーターの社長を務めた人ですね。ピューリッツアー賞を受賞した『覇者の奢り』(日本放送出版協会)では、MBAホルダーで固められた「マクナマラの使徒たち」の分析主義が批判されました。

野中:そのマクナマラがみずからの過去を振り返った『フォッグ・オブ・ウォー:マクナマラ元米国防長官の告白』というドキュメンタリー映画があります。2003年のアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、日本では2004年に公開されました。

 1962年、ソ連のキューバへの弾道ミサイルの搬入をめぐって、アメリカとソ連が対立します。いわゆるキューバ危機です。この時、ケネディはソ連のニキータ・フルシチョフ首相と書簡をやり取りするなど、相手の真意がどこにあるのかを徹底的に探りました。その結果、フルシチョフにとって最高のシナリオは「フィデル・カストロの危機を救ったのは自分である」とソ連の国民に示すことだとわかったのです。

 キューバ海域を海上封鎖するという強行策に傾いていたケネディも、それを知ったことで態度を軟化させ、「アメリカがキューバに侵攻しないと約束すればミサイルを撤去する」というソ連の提案を受け入れ、これをソ連側に伝えました。こうして約束通り、キューバからミサイルが撤去され、あわや核戦争の勃発という最悪の事態を免れることができたのです。

 ところが、その後のベトナム戦争では、アメリカは対応を見誤ります。対ソ連のように、相手に共感し、その立場に立つという視点を、ベトナム戦争ではなおざりにしてしまった。ジョンソンやマクナマラをはじめ、アメリカの政治家や軍関係者の頭を支配していたのは、戦略上重要な国が共産主義化すれば、その周辺諸国も早晩共産主義化してしまうという「ドミノ理論」でした。

 なぜアジアの小国が何ら臆することなく世界一の強国に挑んでくるのか、疑問を抱くことができなかった。言い換えれば、ベトナム国民の身になって彼らの行動を考えることができなかったのです。

 ベトナムはアメリカを旧宗主国のフランスと同視していました。母国を植民地化し、支配しようとしていると見たのです。アメリカにすれば、ベトナム戦争はソ連との冷戦の一環だったわけですが、ベトナムにすれば、民族の誇りを賭けた独立戦争だったのです。マクナマラはベトナム戦争を振り返って、こう述べています。「敵に感情移入せよ」と。