ご指摘のように、ビジネスの世界では、単純な時系列の予測にしろ、高等数学を用いたシミュレーションにしろ、また人材育成やキャリアプランニングにしろ、線形モデルになっています。

 こうした線形思考や線形モデルは、利用できる範囲をしっかり把握していれば、正確性や論理性が担保された、便利で効率的なツールであり、けっして悪ではありません。そもそも技術に罪はありません。実際、そのおかげで人類は進歩・進化してきました。

 もともとは動物の知能に注目するAI研究者であった私が申し上げたいのは、こうした便利なツールを使うことに限らず、一般に人々の思考をパターン化・効率化するという便利は、浅い思考を習い性にしてはいまいか、深く考えることはまさしく人間ならではの営みであり、他に代えがたい強みではないのか、ということです。

 たとえば、どこの組織にも「たいていの問いに即答できる」人がいて、「仕事ができる」「優秀な人だ」などと呼ばれます。さまざまな経験を重ねた老練の人物ならば、その答えは自問自答や試行錯誤を経た深い思考の産物かもしれません。しかし、多くの場合、「得点主義」や「スピード重視」「便利さの追求」によって選ばれたテンプレートである可能性が高いように思います。

 深く考えるとは、プロセスを省略せず、むしろ存分に踏み締め、その中で大小さまざまな発見を重ね、「自分なりの答え」を導き出すという知的営みです。ですから、「即答できることは優秀さの証」とか「あれこれ考えるのは時間の無駄」「ネットで調べればすぐわかる」といった理由で、深く考えることを省略してしまうのは、人間ならではの個性と強みを手放していると思えてなりません。その結果、本当の意味での「頭のよさ」からも遠ざかってしまっている。とても残念です。

 流行り言葉やテンプレートのような無味乾燥な言葉のやり取りから、共感とかひらめきとか、心を動かすものは生まれてきません。たしかに情報伝達には都合がいいでしょうが、知の創造には発展しにくいでしょう。

 ですから、「仕事が速い」「優秀だ」とよくいわれる人たちには、そうした評価を鵜呑みにして喜ぶのではなく、本当に「考え抜いたといえるのか」と内省する機会を増やすことをお勧めします。

 確たる信念や考えもなく、たとえば「あの本に書いてあった」「セミナーで聞いた」という理由で、多数の人たちに支持されている方向へと進んでしまう人が少なくありません。ですが、いずれも「自分らしさ」を放棄していることにほかなりません。

 私が専門としているデザインの分野では、ずいぶん前から「製品開発にはラピッド・プロトタイピングが重要」とさかんにいわれています。これを、あれこれ考えず、とにかくサクッと試作すればいい、と解釈する人がいますが、私は釈然としません。あれは、考えるために試作しているのだと思うのです。

 もしあなたが、昨今よくいわれる「すぐやる人になる」「考えなくてよいから行動に移すことが大切」といった行動主義に囚われているならば、考え抜くことをないがしろにして、自分を置いてきぼりにしていないか、省みてみるべきです。行動は、考えるために起こすものなのです。

 深い思考にたどり着くには、そのように意識し、実践することも重要ですが、「深く考えることで独自性を発揮しよう」という意思が必要なのですね。

 通常「考える」という行為は、目の前の事象や出来事は自分が承知している概念と同一のものである、と無意識のうちに認識・確認することです。つまり、目の前の事象や出来事を自分の知識に照らして答え合わせをしているわけです。

 私がイメージする「深く考える、思考を深めること」は、たとえば未知なるものと遭遇した時、それは何なのかを考えて、考えて、考え抜いた末に、まったく新しい概念を自分の中に形づくることにほかなりません。

 それが既知のものであっても、新たな面を探し求め、発見する道筋そのものが深い思考となって発想の転換や再発見が促されることもあるでしょう。また、一見関係がなさそうなこともあえて関連付けて考えてみることは、深い思考への入り口となるでしょう。

 ここ何年か、想像力(イマジネーション)や創造力(クリエイティビティ)、イノベーションといった非線形の思考が大切だといわれますが、既存を超えて「想定される水準以上の成果」を生み出すには、やはり深く考えるというプロセスを途中に挟んで、自分らしさを強みに転換してほしい。