たとえ法的に問題がなくとも、暗黙的に認められている以上、使ってもかまわないというのは、社会に開かれた存在である上場企業としていかがなものでしょうか。

 権利の行使において最後に問われるのは、「何のためになされたのか」でしょう。経営執行を監督する役割の独立社外取締役がいらないというならば、その合理的な理由が説明されなければなりません。

法律やルールが未整備だったために、今回のようなことが起こったわけですが、非上場企業ならばともかく、株式を公開している以上、不特定多数の投資家や株主をないがしろにするようなやり方を選ぶべきではなかったと思います。

 民主主義は、辛うじて過半を握った多数者でも、自分の考えを100だと主張できる制度です。しかし、それはあまりほめられた態度とはいえません。多数派の支配を絶対的なものとする「多数者による専制」は民主主義の欠点ですが、克服する方法はあります。少数者の声に真摯に耳を傾けることです。

 100のうち51を獲得した場合、残り49の意見を尊重し、こちらの意見は少し抑えて、双方の間を取る。こうすれば致命的な対立は避けられるはずです。少数者の権利にも配慮するのが、多数者の責任ではないでしょうか。

ガバナンス改革で
置き去りにされた本質論

 第2次安倍内閣の下、成長戦略の一環としてコーポレートガバナンスに関する制度や施策が矢継ぎ早に打ち出されてきました。しかし、肝心の「稼ぐ力」につながっているのかといえば、疑問が残ります。

 コーポレートガバナンスとは、企業の目標を効果的に達成するために必要な組織のあり方に関わるものです。では、企業にとって最大の目標は何か。それは中長期的な成長を実現することでしょう。つまりコーポレートガバナンスは、この最大の目標に寄与するものでなければなりません。その意味で、ガバナンス改革を通じて日本企業の稼ぐ力を強化する、という考え方そのものは間違っていないと思います。

 ただし、20年以上前から、日本の企業統治システムを変えなければだめだ、コーポレートガバナンスを強化しようと言い続けてきた身としては、昨今のガバナンス改革は形式を整えることばかりで、本質が見失われている気がしてなりません。

 たとえば、2人以上の独立社外取締役を置き、これをもってコーポレートガバナンス・コードをクリアした、と胸をなで下ろしている経営者が少なくありません。社外取締役を選任するにしても、会社として何を期待するのか、その責務をまっとうするにはどのような能力や考え方の人が求められるのかを理解していないと、単に名の知れた人や華々しい経歴の持ち主を選んでしまうといったことが起こりがちです。頼まれたほうも、引き受けたのはいいけれど、何をすればいいのかよくわかっていない状態です。

 これらガバナンス改革が「官主導」である点については、いかがでしょうか。

 国がやるべきことと民間がやるべきことは違っているべき、というのが私の持論です。

 企業のコーポレートガバナンスを整えるのは、本来ならば市場がそれを求め、当事者である経営者が積極的に取り組むべきことです。しかし、経営者の大半が「あまり嬉しくない話が出てきた」という様子で、いっこうに腰を上げようとしませんでした。また、投資家、特に機関投資家も同様でした。

 投資家がコーポレートガバナンスをしっかりしている企業を見極め、そこに投資すれば、経営者は中長期の成長に向けて腰を据えて取り組めるというものです。「ならば、当社もコーポレートガバナンスにしっかり取り組もう」という認識が広がっていくのではないでしょうか。

 私たち協会ではそれを期待して、あらゆる機会においてコーポレートガバナンスの重要性を訴えてきたのですが、やはり足元の業績が大事という経営者や投資家が多いのでしょうか、あまり聞く耳を持ってくれませんでした(笑)。ところが、政府がガバナンス改革だと言い、東証がコーポレートガバナンス・コードを策定したら、あっという間に右へ倣えとなってしまいました。

 一方、その内容に目を向けてみると、「攻めのコーポレートガバナンス」を標榜していますが、実際には攻めではなく、むしろブレーキ機能に焦点が当てられているように見えます。

 たとえば、2014年の会社法改正で新たに導入された監査等委員会は、業務執行への監督機能を持っており、取締役会の意思決定プロセスや、経営陣の職務執行の状況をチェックすることになっています。しかし、CEOや社長が常に意思決定の合理性を説明できるとは限りません。そもそも国が納得するような意思決定プロセスでは、リスクを取って新しいことに挑戦するよりは、静観するほうが楽なのです。

 なぜ社会の数ある組織の中で、企業ばかりにこうした不正監視体制を課すのでしょうか。ガバナンス改革にまつわる議論は、過剰なコンプライアンス体制や内部統制も含め、どうやら「企業性悪説」が前提になっており、「だからブレーキを強化する必要がある」という理屈に思えてなりません。