スミスは、生涯において2つの書物しか上梓していません。その一つが有名な『国富論』であり、もう一つが『道徳感情論』です。前者の内容が経済学だとすれば、後者は倫理学でしょう。

 『国富論』の刊行が1776年であるのに対して、『道徳感情論』は1759年で、『国富論』より17年も前のことです。しかも、処女作である『道徳感情論』にスミスは何度も手を加えて改訂版を著し、最終版となった第6版が発行されたのは、彼が亡くなった年のことでした。スミスがいかにこの著作に思い入れがあったのかがうかがわれます。

  最近のスミス研究では、『道徳感情論』を『国富論』の思想的基盤と見なす考え方が主流になっており、私もその立場を取っています。実際『道徳感情論』には、後の『国富論』で展開される経済論の萌芽的な内容があちこちに散見され、これを読まずして、スミスの思想や主張を正しく理解することはできません。

『道徳感情論』のキーワード①
共感

  実のところ、多くのビジネスパーソンが『国富論』を知っていても、読んだことのある人は少数派でしょう。ましてや『道徳感情論』となると、その存在すら知らない人が大半だと思います。初学者のために解説をお願いします。

  スミスは、まず人間の「感情」に注目します。道徳が社会秩序の基盤であり、そこには人間の感情が大きく影響する。言うまでもなく、人間の感情は単一ではなく、喜び、怒り、悲しみ、哀れみなどさまざまであり、それらが作用し合うことによって社会秩序が形成されていく。スミスはそう考えました。

  では、この感情への共鳴、すなわち共感がどのように社会秩序につながっていくのか。スミスの思考をたどってみましょう。

  共感は同感と訳されることもありますが、スミスの思想を理解するうえで非常に重要なキーワードです。それは、他人の感情を自分の心に写し取り、それと同じ感情を引き起こそうとする心の働きといえます。

  共感は「他人への関心」から芽生えます。そもそも人間の本性には、「自分の利益を考える」だけでなく、「他人に関心を抱く」ことが備わっている。自分の利害と直接関係しなくても、他人の運不運に興味を抱き、それを観察・認識することで共感が湧き起こる。

  共感を湧き起こす次のステップが、もしも自分がその人と同じ境遇に置かれたならば、どのような感情を味わうだろうか、どのように振る舞うだろうか、という「想像」です。そして、実際に観察された他人の感情や行為と、その観察から想像される自分の感情や行為とを比較し、それらが一致した場合には、その人の感情や行為を適切なものとして是認します。一致しない場合には、不適切なものとして否認します。以上が、共感です。

  まず共感ありきである、と。脳神経学者のアントニオ・ダマシオによると、感情の働きがあるからこそ理性的な判断や効果的な意思決定を下せるのだそうです。スミスはまさしく慧眼の持ち主でしたが、共感は、利他と一緒に語られることが少なくありません。

  利他は、みずからを犠牲にして他人のために尽くすことを意味します。時折、スミスは『道徳感情論』で利他の大切さを訴えたといわれることがありますが、そうではありません。共感は、相手のために自分を犠牲にすることを意味しません。「他人のため」という利他と「自分のため」という利己を一致させる心の働きが共感なのです。

 共感は、脳科学の分野でも研究されています。たとえば、他人の行動を自分の行動であるかのように感じ取る「ミラーニューロン」という神経細胞が発見されたり、他人の行動からその人の心中を推測する「セオリー・オブ・マインド」という能力があることが認められたりしています。

『道徳感情論』のキーワード②
公平な観察者

 スミスは、共感から道徳的判断がどのように生まれると説明したのですか。

 他人の感情や振る舞いを観察し、判断することを繰り返すうち、相手もまた、こちらの感情や振る舞いに関心を抱き、同じように是認したり、否認したりしていることに気づきます。そして、自分の感情や振る舞いが他人の目にはどのように映っているのかを知りたくなり、そこからさらに発展して「他人から是認されたい、否認されたくない」と願うようになります。

 スミスによれば、こうした過程の中で、我々の胸中には「公平な観察者」が生まれます。それは、極めて公平かつ公正な〝人物”で、自分を含めたすべての人々との利害関係を免れた立場から判断する存在です。そして我々は、胸中の公平な観察者から常に見張られていることをいつも意識しています。

 スミスは、世間による評判を、裁判に例えて「第1審」、各人の胸中にある公平な観察者による判断を「第2審」と呼んでいます。我々は、自分の考え方や振る舞いについて、まず世間という第1審の判決を仰ぎますが、同時に、特にそれに違和感や不条理を覚えた場合、第2審へと持ち込み、より確かな判決を求めます。