『道徳感情論』のキーワード③
賢人と弱い人

 では、この第1審と第2審のどちらを優先すべきでしょうか。スミスは、当人が「賢人」である場合は第2審に従い、「弱い人」の場合は第1審を重視すると考えました。

 自分の振る舞いが、公平な観察者からすれば、およそ称賛に値しないにもかかわらず、世間が称賛した場合、賢人は喜んだりしませんが、弱い人は舞い上がって喜びます。逆に、公平な観察者の目には称賛に値する振る舞いでも、世間から称賛を得られない場合、賢人はそれを残念だとは思いません。他方、弱い人は悔しがることでしょう。

 スミスによれば、公平な観察者の判断に従う人が賢人であり、世間の評価を気にする人は弱い人なのです。ただし現実には、我々は、程度の違いこそあれ、賢人の部分と弱い人の部分の両方を持ち合わせています。ある時は良心に従って行動するものの、ある時は世間の評判を気にして浮き足立ってしまう。これが、スミスがとらえた普通の人間の姿です。

『道徳感情論』のキーワード④
一般的諸規則

 我々は、何を拠り所にして道徳を判断するのでしょう。

 我々は、賢明さによって公平な観察者が常に肯定する行動を選ぶよう、自己規制を働かせます。逆に、弱さゆえに公平な観察者を無視しようとするかもしれません。それは、もう一人の自分である胸中の公平な観察者を欺くことになりますから、言い換えれば自己欺瞞です。

 一方は自己規制、片方は自己欺瞞。この葛藤において、自己規制を有利に働かせるため、その人の中に「一般的諸規則」というものが形成されます。

 それは、自分の主義や信条、価値観といった、いわゆるマイルールの意味でしょうか。

 そのような個別性の高いものではなく、もっと普遍的でシンプルなものです。具体的には、次の2つです。

・公平な観察者が非難に値すると判断する行為は回避されなければならない。
・公平な観察者が称賛に値すると判断する行為は推進しなければならない。

 第1は「他人の生命や身体、財産、名誉などを傷つける行為」を戒める正義のルールであり、第2は「他人の利益を増進する行為」を促す慈恵のルールです。これら2つによって、社会秩序は成り立っています。こうしたルールが広く浸透している社会は、人々にとって安全で住みやすい社会と考えられます。

 通常、この一般的諸規則は遵守されなければならないと、誰もが感覚的に理解しています。スミスは、それを「義務の感覚」と言い、「人間生活において最大の重要性を持つ原理」だと考えます。そして、本性の一つである利己心や自己愛が度を過ぎることのないよう、この義務の感覚を働かせなければならないと説きます。

 一般的諸規則も義務の感覚も、弱い人のためのものですね。

 そこがスミスの興味深いところで、人間の弱さを否定することなく、不可避のものとして受け止めています。さらには、経済を発展させる原動力は人々の中にある弱さなのだ、とも主張します。

 弱い人は、生きていくことができる最低水準の富を持っていても、もっと多くの富を獲得し、世間の称賛を集め、より豊かな人生を送りたいと考えます。こうした欲望は、自己規制ではなく虚栄から生まれます。スミスによれば、この虚栄があるからこそ、富や地位への野心が芽生えるというのです。

 無人島で孤独に生活していたらけっして抱くことのない野心を原動力として、人間は勤勉に働いたり、みずからの技能や能力を磨いたり、支出を管理したりするようになる。こうした人類の努力によって、土地の開墾や海洋開発が進み、道路が築かれ、都市が建設されていく。生活必需品だけでなく奢侈品も生産されるようになり、科学技術も発達していく。これらが相まって経済が発展し、より多くの人を養うことができる。その結果、貧困がなくなり、人々の健康が増進し、寿命が伸び、豊かで快適な文明社会が形成される。人々は社会の発展に寄与したいという崇高な思いに突き動かされているわけではなく、自分のために富と地位を求めたにすぎない。にもかかわらず、そうした利益の追求によって、結果的に社会の繁栄が導かれる――。

 これが「見えざる手」の意味するところだと思います。

*つづき(後編)はこちらです