『道徳感情論』のキーワード⑥
フェアプレーの精神

  うかがっていると、『国富論』にまつわる一般的な解釈とは、ずいぶん違っているように聞こえます。

 それこそ、スミスへの誤解やステレオタイプがあるという証拠です(笑)。 

 話を戻しますと、スミスは富を否定していたかというと、そういうわけではありません。経済が停滞している社会では、最低水準を示すCに至らない、AからBの間で生活せざるをえない人が増えていきます。逆に経済が発展すると、そうした貧困者の数を減らすことができます。それは幸福な人を増やすことですから、富の増大はやはり社会に不可欠なのです。

 人間の生存はもとより、人々の生活を便利で豊かなものにするのが、一般的にいわれる富の機能ですが、スミスは、それ以上の機能を富の中に見出していました。すなわち、「人と人をつなぐ」機能です。

 彼は、市場を、富を媒介にして見知らぬ者同士がつながり、世話を交換する場と考えていました。人々は市場を通じて、みずからが欲する商品やサービスとお金を交換することを通じて、見知らぬ人とつながることが可能になるのです。

 市場を通じた交換は、共感に基づいて成立します。取引を行う人は、相手のものを強奪したり、金額を偽ったりした場合に相手が抱く憤慨を想像し、「そうした対象になりたくない。相手もそう思っているはずだ」と考えます。だからこそ、円満な交換が成り立つわけです。

 要するに、共感という前提条件の下に、見知らぬ者同士が富の交換を通じてつながるのが市場なのです。

 市場では、売り手の間、買い手の間で競争が起こります。それによって、皆が欲する財やサービスが適正な価格で行き渡ります。

 スミスは、競争に関して「フェアプレーの精神」の重要性を訴えています。それぞれが胸中の公平な観察者の声に従った競争でなければならず、ルール無用は言うまでもなく、法に触れなければ問題ない、といった考え方は許されません。冒頭、スミスには自由放任主義者という間違ったラベルが貼られてきたと申し上げましたが、彼は自分に都合よくルールを変えようとする事業家を嫌悪していました。

『道徳感情論』のキーワード⑦
財産への道、徳への道

 ストア哲学を信じていただけあって、不正や不道徳には厳しかったのですね。ですが、人間の欲や野心は際限なく、ビジネスで成功を収めた人や社会的地位を獲得した人は、さらなる富や名声を求めて、より活動的に行動するものです。

 世間からの尊敬や称賛は野心と競争心の大きな目標だが、それらを得るには2つの異なる道がある、とスミスは述べています。それは、富や地位を獲得して世間から称賛を受ける「財産への道」と、徳と英知を獲得して胸中の公平な観察者からも称賛される「徳への道」です。

 世の中の人たちは、徳と英知のある人を尊敬し、愚かで悪徳に満ちた人を軽蔑します。その一方で、裕福な人、社会的地位の高い人も尊敬します。他方で、貧しい人、社会的地位の低い人を軽蔑したり無視したりします。また、徳や英知は見えにくく、富や地位は見えやすい。それゆえ、世間の尊敬や称賛は後者に向けられやすいのです。

 財産への道は弱い人が選ぶ道であり、徳への道は賢人が選ぶ道です。我々は通常、弱さと賢さの両方を持ち合わせているため、これら2つの道を同時に進もうとします。ですが、スミスは、「人類のうち大半は、富と地位の感嘆者であり崇拝者」と考えました。大半の人が自分の中にある虚栄心を払拭することができません。そのため、徳への道の重要性を認めつつも、結局のところ、財産への道を進んでしまうのです。