スミスやセンに関する学術的な研究を踏まえて、「持続可能な共生社会」というテーマに取り組まれていると聞きました。

 スミスは、これまでお話ししてきた通り、共感に基づいたフェアな競争を通じて物質的な豊かさを追求する社会を思い描いていました。センは、さらに進んで、個人、とりわけ不利な状態にある個人の「ケイパビリティ」(選択の幅)を広げることを優先する社会の重要性を説いています。

 機会が消極的に開かれているだけでなく、何らかの理由で開かれた機会を十分に利用できない立場にいる人、たとえば女性、貧困者、障がい者などに対して、たとえ経済成長につながらなかったとしても、阻害要因を取り除き、他の人と同様に能力の開発ができるようにする、そのように資源配分を社会全体で推し進めようという考え方です。この意味で、センの主張は、成長から分配、自由から平等へとウエイトを移すものだといえるでしょう。

 この考え方は、社会的強者が社会的弱者を積極的に助けるべきだという、ヒューマニティにあふれたものです。そこには、人間というものは与えられた能力をみずからの力で伸ばし、開発しなくてはならない、という信念があります。

 しかし、本当にそうでしょうか。人間は能力を伸ばさなければ、生きる意味はないのでしょうか。いかなる支援を受けても能力を伸ばすことのできない人は、生きていても仕方がないのでしょうか。あるいは、能力が衰えていくと、生きる意味も減じていくのでしょうか。このように問いかけ、新たな実践を試みたのが、カナダ人哲学者のジャン・バニエです。

 おそらくバニエについてご存じの方は多くないと思いますが、障がいを持たない人たちが知的障がいを持っている人たちと共同生活する場、「ラルシュ」(L’Arche:箱舟)をつくった人です。

 ラルシュとは、障がいを持たない人が知的障がいを持っている人を一方的に助けるのではなく、障がいを持たない人が知的障がいを持っている人と一緒に生活し、彼ら彼女らの心の傷や友情の求めに向き合い、心を開くことによって自分自身の心の壁を取り払う場なのです。

 バニエによれば、人間は誰もが過去に受けた心の傷や恐れを封じ込めようと、心に壁をつくって自分を守るとともに、傷や恐れを思い起こさせる他人を嫌い、遠ざけ、排除しようとします。差別や暴力の根源は、こうした個人の心の壁にあるのです。

 人類が差別や暴力のない平和な社会に向かって進むには、世の中から排除された人々に目を向け、接し、ともに生き、友情を取り結んでいくことが求められます。そこでバニエは、心の壁を取り払い助けてもらわなくてはならないのは、排除された人々よりも、むしろ排除する人々だと考えました。

 バニエは、ラルシュを世界各地(2019年9月現在、38カ国153施設)に広げ、その功績で、2015年には、マザー・テレサやダライ・ラマも授与された宗教分野のノーベル賞ともいわれる「テンプルトン賞」を受賞しています。大変残念なことに、今年(2019年)の5月、惜しまれつつ他界しました。

 バニエの世界では、「優れた人」と「弱者」という区別は意味を成しません。皆等しく不完全で、他者を必要としているという考え方だからです。優れた人が財とサービスを生産し弱者に分け与える、弱者を少しでも優れた人に近づけるというセンの考え方とは、まったく逆の発想です。

 いま私は、スミス、そしてセンが構想した社会に、バニエの発想を取り入れ、持続可能な共生社会を構想するために、さまざまな方策を提案する活動に取り組んでいます。そのような社会を矛盾なく構想することが可能なのか、さらには実現させることが可能なのか、いまはわかりません。

 しかし、持続可能な共生社会を構想し実現するための輪を広げていくために、2018年1月、大阪大学の人文社会科学系の研究者を中心に、シンクタンク「社会ソリューションイニシアティブ」(SSI)を立ち上げました。そこでは、命を「まもる」「はぐくむ」「つなぐ」という視点から、学際的に集まった研究者と現場の実践者がサロンを開催したり、プロジェクトを立ち上げたりと、協働しながら未来社会を構想しています。

 私にとって、この取り組みは、スミスの言う共感を世界のどこまで拡げられるのか、人類の危機にどのように役立てられるのかを意味しており、これまでの30年にわたる学術活動を実践の場に移す試みなのです。【完】


  1. ●聞き手|岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部)  ●構成・まとめ|荻野進介、岩崎卓也 
    ●撮影|松井 崇
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