突き付けられた
「大企業病」という厳しい現実

編集部(以下青文字):極めて模倣困難なビジネスモデルを武器に、世界スピードのものづくりを実践して飛躍的成長を遂げた貴社ですが、かつては大きな危機を迎えた時期もあったそうですね。振り返って、当時のことを教えてください。

TSUNEO MURATA
1951年生まれ。1974年同志社大学経済学部卒業後、村田製作所に入社。1983年出雲村田製作所の常務取締役、1988年ムラタ・ヨーロッパ・マネージメントのゲシェフツフューラー(ドイツ法人社長)等を歴任し、1989年に村田製作所の取締役に就任。その後、常務取締役、専務取締役営業本部長、代表取締役副社長を経て、2007年に兄の泰隆氏からバトンを引き継ぐ形で3代目の代表取締役社長に就任。その前年から始まった組織風土改革に粉骨砕身し、大企業病の兆候があった同社を、CSとESがドライブするイノベーション型組織へと生まれ変わらせた。主力製品「積層セラミックコンデンサ」をはじめとする電子部品はいまやスマートフォン等の電子機器に欠かせないキーデバイスとなっており、世界シェアトップの製品が多数。極めて模倣困難なビジネスモデルをつくり上げ、世界スピードでものづくりの最先端を走っている。趣味は蘭栽培と写真撮影。花や風景の写真集を多数自主制作している。

村田(以下略):いまから20年前、2001年のことでした。ITバブル崩壊で業績が大きく落ち込みました。その後、同業他社は次々とV字回復していく中で、当社の業績は4年近くずっと底ばいのまま、なかなか回復しなかったのです。従来の収益構造は崩れているのに社内の危機感は希薄で、「うちはいったいどうなっているんだ」と経営陣は悩みました。

 そこで2003年、経営層を中心としたメンバーにて、この状態を生み出したムラタの風土を認識し、革新の必要性や方向性を議論するための準備委員会を立ち上げました。その委員会で議論した結果、目指したい風土として、「顧客本位」「現場指向」「環境の変化にスピーディに対応できる」「自由闊達な議論により創造性・チャレンジ精神を発揮できる」という4つに行き着きました。そして、この実現に向けて2004年にスタートしたのが、「組織風土改革活動」です。最終的には、「現状をもっとよくしていこう」と常に意識する風土を目指すことにしました。 

 まずは外部のコンサルタントの力を借りて、経営品質に対するアセスメントを自分たちでやったり、改革ビジョンをつくってみたりといくつかやってみたのですが、どうも何かが違う。出来合いのものを外から持ってきた感じで、何だか上滑りで、しっくりこないのです。そこで社内の実態を調査するために、2005年に国内の全従業員1万4500人に組織サーベイを実施することにしました。

 

 そのサーベイの結果で浮き彫りになった会社の実態に大きく落胆されたとか。経営陣と従業員の間には、大きなギャップがあったわけですね。

 そうです。それまでも経営陣は会社の状況についてさんざん議論してきたので、ある程度は課題を把握しているつもりだったのですが、実際はそれをはるかに上回るひどさでした。「組織の風通しがよい」と感じていた従業員は3割程度にすぎず、「ムラタは大企業病に陥っている」という厳しい現実を突き付けられました。

 この診断は、タテ軸に戦略活性度、ヨコ軸に組織活性度を取ることで、企業風土を測るというものです。4象限のうち、右上が「いきいき」、左上が「金太郎アメ」、右下が「仲良しクラブ」、左下が「大企業病」となります。残念なことに、ムラタは左下の大企業病に属していました。ただしそれを職制別に見ていくと、おかしな現象もありました。役員や部門長の多くは右上の「いきいき」に属しているにもかかわらず、部下たちは「大企業病」に属していたのです。おそらくこれは、指示する側とされる側の違いでしょう。現場の従業員たちにはやらされ感ばかりが募り、社内に閉塞感が蔓延していました。

 こうした実態を知り、当時副社長だった私は「これどうやったら治るんかな……」と戸惑うばかりで、どこから手をつければいいのかさっぱり見当がつきませんでした。それまで「顧客本位の会社を目指す」と言ってきたにもかかわらず、新たな価値を創造し、それを顧客に提供するはずの従業員が疲弊していては、ムラタに未来はない。ES(従業員のやりがいと成長)の向上が急務で、この大企業病から脱するためには根っこから変わらなければダメだ、そう強く思いました。