リクルートでは昔から退職を「卒業」と呼んだり、かつては30歳で退職すると退職金に1000万円が加算されるオプト制度や、定年を自由に選べて38歳で退職金が最も高くなるフレックス定年制度などもありました。こういった仕組みによって人材の新陳代謝を促しているのではないですか。

 それらの人事制度は退職を促すためにつくられたわけではけっしてありません。当社のビジネスモデルの特徴、企業文化、個人の価値観とニーズ、などに対応した結果、最適な制度としてつくられたというのが正しいと思います。それゆえ、今後もさまざまなニーズを踏まえて、常に制度を刷新していきたいと考えています。

 先ほど言ったように、当社はビジネスモデルの転換が比較的短期間であり、それに伴って求められるスキルも変わっていきます。そうしたビジネスモデルの特徴に加え、そもそも起業家精神旺盛な人材が入社してくる。そして入社後は「個の尊重」という理念に代表される価値観の下で、「圧倒的な当事者意識」を醸成していく企業文化が基盤となり、ますます「強い個」が登場する。

 一方、経営サイドで見れば、「強い個」を社内に閉じ込めたいモチベーションは生まれてきますが、それを推し進めることは結果として「個を弱めて組織を強くする」制度をつくることになっていきます。つまり、いいとこ取りはできない、ということです。当社における経営、事業執行の役割は、「挑戦できる機会の提供」に尽きます。そのためには、繰り返しになりますが、個人を組織に従属させる仕組みではなく、組織を個人に従属させる仕組みが最も重要なのです。

 社員のみならず、歴代社長も皆、50代で「卒業」していますよね。

 必ずしも何歳で辞めるべきとは決めていませんが、基本的には若くあるべきという意識はあります。

 経営トップという地位に恋々とする会社ではないんですね。そういえば、峰岸さんはリクルートに入社の際、3年以内に退職して起業するつもりだったそうですが、あの当時のリクルートは、起業家を目指す学生たちにとっての登竜門としても人気でしたね。大勢の同期が退職したにもかかわらず、峰岸さんはリクルートに留まり、社長となりました。なぜ退職しなかったんですか。

 学生時代、広告、プロデュース、放送、ミニコミなどメディア系サークルの団体をさらに包括する大きな団体のリーダーとしてさまざまな活動をしていました。その活動の集大成として、ある時、学生起業家やメディア系サークルの代表者など約5000人を一堂に集めた異業種交流会をホテルで開催しました。当時は大学生から成る「キャンパスマーケット」というのは、新たな消費市場として大変注目されており、協賛してくれるスポンサー企業も数多くありました。リクルートもその大口顧客の一社だったのです。

 スポンサー探しで各社を回っていた際、どの企業も年齢がかなり上の役員や部長が同席し、稟議などで判断までにすごく時間がかかったんですけど、唯一リクルートだけは20代半ばぐらいの若いお兄ちゃんが部長の名刺を持って出て来て、その場で即決するんです。そして、何よりも、すごく偉そうで、強烈な個性の人が多かった(笑)。

 たしかに当時のリクルート社員は個性的というか、面白い人が多いですよね。

 ええ。すごく不思議な会社だと思いましたよ。いったい、どういうシステムや仕組みの会社なのかを知りたいと思いました。それに、起業するためには、どんなよいサービスやビジネスモデルであっても、営業が強いことが絶対に大事だと思っていたので、当時から最強の営業として知られるリクルートで学びたいと思ったことも入社の理由です。

 それで、なぜいまに至るまで辞めなかったかの理由ですけれど、これも当社の人を育てる秘訣の一つだと思うんですが、自分の意志をしっかりと持ち、何かを実現したいという思いを持つ社員には、次から次へと挑戦する仕事のアサインが来るんです。その目標をクリアするために必死になったり、困難に直面し、顧客や同僚と話す中で光明が見えて喜んだり、そうした中で新たなアイデアが浮かび、それを実現しようと一生懸命になったり、そうしたいくつものことが途切れることなく続き、いつの間にか辞める機会を失っていました。

 それこそがリクルート流の後継者育成法なのかもしれませんね(笑)。【完】


●聞き手|松本裕樹(ダイヤモンドクォータリー編集部)
●構成・まとめ|松本裕樹 ●撮影|中川道夫