2018年6月に創立100周年を迎える帝人。かつて構造不況業種といわれた繊維産業は、その後多角化の優等生となったが、繊維の名門、帝人もまた多角化を進め、リーマンショックの前には過去最高の営業利益を上げていた。だが、リーマンショックの後は赤字と黒字を繰り返す不本意な状況が続く。
 2014年4月、その帝人の社長に就任し、グループ全体の舵取りを託されたのが鈴木純氏だ。虫好き、動物好きで、学生時代には動物学を専攻し、ミミズの研究に没頭した。入社後は医薬品の研究に長く携わり、理学部出身ながら医学博士号も取得している。10歳でサッカーを始め、スペインのFCバルセロナのファンでもある鈴木氏は、サッカーと企業経営の共通点を指摘する。
 勝つためには、個々のメンバーの能力が高いことと、全員がチームの目標と戦術を理解していることが不可欠であること。サッカーはキーパーを除いた10人の選手がどこにいてもいい自由な環境の中で、チーム力、得点力をどのように発揮させるかが焦点となるが、会社経営も同様である。
 異色の経営者が率いる帝人は、これからビジネスモデルをどのように変革しようとしているのか。イノべーションをどのように生み出そうとしているのか。本人を直撃し、本音を探ってみた。

構造改革が徹底せず
赤字と黒字を繰り返す

編集部(以下青文字):繊維産業は、人間が直立歩行をして衣服を身にまとうようになって以来、長い歴史を持っています。1918年に創立した帝人は、レーヨン(パルプが原料の再生繊維、人造絹糸)を日本で初めて生産するなど、100年の歴史があります。構造不況業種といわれるなど、繊維業界は辛酸を舐めてきました。その中で、帝人は化成品、医薬医療、ITなどへと多角化していますが、どういう要素技術によって今日に至っているのですか。

鈴木 純 JUN SUZUKI
1958年2月19日生まれ、東京都出身。東京大学理学部を卒業し、同大学院理学系研究科動物学専攻修士課程修了。1983年4月に帝人に入社。1994年6月から3年間、イギリスの帝人MRC研究所に勤務。1996年大阪大学で医学博士号を取得。2003年10月帝人ファーマの創薬推進部長に就任するなど医薬部門を歩く。2012年4月帝人グループ執行役員(マーケティング最高責任者兼BRICs担当)、2013年4月帝人グループ常務執行役員(高機能繊維・複合材料事業グループ長)などを経て、2014年4月代表取締役社長執行役員CEOに就任した。自然の中を散策するのがストレス解消法で、信条は「明るく、楽しく、真面目に、一所懸命」で、人との出会いを大切にしている。

鈴木(以下略):技術面から言うと、大正(1912 〜 1926年)から昭和にかけて、高分子ポリマーにより繊維産業が大きく開花しました。高分子化学をもとにした化学産業です。天然繊維からレーヨンに。レーヨンだけでは立ち行かないということで、1950年代に今度はポリエステルに取り組みました。
 ポリエステルは高分子化学の化学製品で、ノズルから糸状に引っ張り出すと繊維、平面にすればフィルムになります。ポリエステル繊維はしわになりにくく、乾きが速いなどの特色があって大成功し、その後、フィルムや樹脂といった化成品分野に進出しました。
 1970年代からは積極的に多角化を図り、いろいろ挑戦した中にあって、うまく成長したのがヘルスケアです。医薬品事業に加え、在宅医療事業も立ち上げました。現在は中核事業として、医薬品では高尿酸血症・痛風治療薬や骨粗鬆症治療薬などに強みを持ち、在宅医療事業としては在宅酸素療法や睡眠時無呼吸症候群の治療器などを活用したビジネスを展開しています。

 他の繊維メーカーも多角化を推進し、住宅やブレーキなど、まったく違う分野に進出しているケースもあります。
 帝人も、多角化を積極的に進めていた時代には、化粧品もやっていましたし、車の輸入販売、石油の掘削などもやっていましたが、結局うまくいかなかった。その中で事業として成功していったのがヘルスケアだったということです。
 しかし、いまでも創業からの基盤であった高分子化学の技術はしっかり生きており、これからもそれが新たな事業創出につながる可能性が広がっていると思っています。繊維業界は、各社とも苦しい時代を何度か経験していますので、逆境の中で生きていく術を学んできた産業ともいえるでしょう。

 帝人の苦しい時代は、いつだったのですか。
 大きく言うと、苦境を2度経験しています。1度目は第二次大戦後、レーヨン事業だけでは立ち行かなくなった時で、やむにやまれず激変の渦に投げ込まれました。その後、ポリエステルを導入してうまくいったのは1950年代です。2度目はオイルショックの時です。私が帝人に入社した1983年は、繊維産業がまだ構造不況業種という指定を受けており、株価も200円を切っていた、そのような時代でした。

 2008年のリーマンショック後も、苦しい時代だったのでしょうか。
 リーマンショック前、帝人では素材系の事業の調子がよかった。CDやDVDの素材であるポリカーボネート樹脂、液晶テレビなどに使われるポリエステルフィルムが絶好調で、2007年3月期には過去最高の751億円の営業利益を上げていました。
 それが、当初アメリカでの住宅ローンの焦げ付きだろうと軽く受け止めていたところから、結局多くの製造業が止まったような状態になったのです。未曽有と言うと大げさですが、厳しい時代でしたね。予測していなかったことでもあり、当時の経営陣は怖かっただろうなと思います。
 リーマンショック後には、需要の停滞と新興国の台頭というダブルのショックに直面しました。見誤ったと反省しているのは新興国のキャッチアップのスピードで、まだまだだろうと思っていました。需要が落ちたところに、設備投資を積極的に進めていた新興国の工場が稼働し始め、我々の市場を奪っていきました。

 2009年3月期から、最終損益が赤字と黒字を繰り返し、下方修正も相次ぎました。そんな中、2014年4月に社長に就任されたわけですが、どのような心境でしたか。
 2009年、2010年がリーマンショックによる赤字。その後、いったん黒字に回復しましたが、2013年には減損処理で落ち込み、少し戻ったところで、引き継いだということになります。私は、社長に就任する前年から、もう一段大きい構造改革をきちんとやらなければ、我々は生きていけないという危機感を持っていました。その時は取締役でしたから、ほとんどすべての経営会議に参加していました。
 たとえば、ポリエステル繊維事業は不振でしたが、国内工場の生産を一部残すなど中途半端な対応をしていました。ポリエステル繊維とポリエステルフィルムは原料が同じで、一つの事業として考えないといけないのに、バラバラに事業を展開し、部分最適に陥っていました。こうした状況を打開すべく、ポリエステル繊維の生産体制を抜本的に改革するなどの決断をしました。

写真を拡大 【図表1】ジェットコースターのようにアップダウンを繰り返した帝人の純利益

 2017年4月から「ALWAYS EVOLVING」という中期経営計画がスタートしましたが、その狙いは何ですか。発展戦略と成長戦略を掲げておられますが、その違いについてもお聞かせください。
 長期ビジョンとして「未来の社会を支える会社」を目指しており、軽量化素材により環境性能向上に貢献する「環境価値ソリューション」、災害対策や社会インフラ整備に関わる安全性向上に貢献する「安心・安全・防災ソリューション」、少子高齢化時代の健康の維持・向上を支援する「少子高齢化・健康志向ソリューション」を重点領域として注力しています。
 こうした中で、既存事業の成長を加速し強化するのが成長戦略で、将来の柱となる新規のコアビジネスの確立やビジネスモデルの変革を目指すのが発展戦略です。10年後も伸び続ける分野に積極的に経営資源を投じ、重点的にやっていくと言っています。会社は急に変わってはいけないので、この3年間は既存の事業で稼ぎ、それを原資として、将来の柱となる新事業に先行投資をしていく。次の中期経営計画からは形が整い、先行投資したビジネスがグングン伸びていくイメージを描いています。

写真を拡大 【図表2】長期ビジョンに基づいて中期経営計画を策定

自主活動を促さないと
イノベーションは起きない

 3年間で3000億円の先行投資、これまでの3年間は1000億円ぐらいですから、投資額を3倍に増やすわけですね。
 それぐらいかけないといけないと思っています。発展戦略分野は、まだ利益に貢献していない、もしくは貢献が極めて小さい。しかし、ただ投資をして、マーケティングを行っていれば伸びていけるというほど世の中は甘くない。先行投資をせず、成長戦略にだけ投入していれば利益はそれなりに伸ばせる。でも、それでは10年後に何も楽しみがない。刈り尽くした会社になってしまいます。
 一方、「これをやりたい」という気持ちを持った社員に「いまはお金がないから、チャレンジできない」と言うのは悲しいことです。きちんとした事業計画であれば、1000万円、1億円、場合によっては10億円の投資案件であっても、「やってみたら」と言いますよ。お金は出るし、一緒にやってくれる仲間もいます。帝人の経営資源、メリットを使わない手はありません。

 社内のイノベーターよ、立ち上がれ、ということですね。
 全員がベンチャー志向というのも困りますが。帝人の社員はみんな真面目で、わりと堅い人が多い。ここ数年、投資を抑えてきましたので、これからは「抑えるところは抑えるが、いい話、期待が持てるビジネスにはどんどん行く」と言わなくてはいけませんね。
 それと、働き方に多様性があることが重要ですね。やりたいことを実現するため、個々人がいろいろなビジネスにおいて、違う志向で突き進みながらも、それでも大きなベクトルは合っているというのが望ましい姿だと考えています。

 イノベーションを起こすために、若手有志のネットワークのようなものが、社内にあるのですか。
 いろいろな仕掛けをつくってくれています。2012年頃から「One Teijin」を実現・強化する運動に取り組んできましたが、その中で人事部を主体に「One Teijin Award」という仕組みをつくり、自由なアイデアや失敗を恐れないアクションを募集し、みんなで讃えて実現を後押ししてきました。所期の目的を達成し、2016年度をもってこの取り組みはいったん終了しましたが、また、若干形を変えてスタートすることになっています。このような仕組み、仕掛けは必要ですね。
 もう一つの仕掛けとしては教育の場があります。若手管理職向けとしてはSLP(ストラテジック・リーダー・デベロップメント・プログラム)という人財育成プログラムがあり、その中で、グループで何か新しいビジネスやサービスなどを発表するのですが、これが意外と自主的な活動を促しています。
 そのほかにも「One Teijin」の一環としてスタートしたFLM(フロント・ライン・マネジャー)研修という営業教育があります。それまで分社化していたため、それぞれの事業が別会社だったのですが、お客様から「帝人の社員が別々に3人も来たよ」という話が頻繁に聞かれました。そういう状況から脱却し、事業や組織を超えた「One Teijin」としての強みを最大化する、FLM研修はそのための基盤となっています。

 分社化、事業部制を採っている会社では、よくあることですね。
 恥ずかしいことですし、お客様の迷惑にもなりますね。それぞれの営業が、他部門の事業内容も知らない、製品も知らないという実態が明らかになり、まずは教育から始めようと。それでMBA(マテリアル・ビジネス・アカデミー)という組織を立ち上げ、最初は新入社員の営業職に3カ月間の合宿教育を行い、そこで帝人グループのマテリアルを全部叩き込む。マテリアルのことだけでなく、マーケティング教育なども取り入れています。
 そもそも新入社員教育としては、2週間程度の座学研修の後、アジア諸国での1週間程度の研修を行います。現地学生とのディスカッションなどでは、だいたい新入社員はみずからの考えを主張できず、カルチャーショックを受けて帰ってきます。その帰国後に、営業系はすぐに現場配属せず、合宿研修に入るのです。その効果は大きく、2年目、3年目の社員にも広げました。すると今度は「上司が他部門の事業、製品を理解していない」という話になり、部長クラスまで含むFLM研修につながっていったのです。
 事業管理や事業企画の担当者だけが投資回収性などと言っていても、前線の社員たちが「この事業の利益率はどれくらいか」などをわかっていないと、新事業の提案に進んでいきませんし、イノベーションも起こせません。
外部環境や内部環境を、強み、弱み、機会、脅威の4つのカテゴリーで考える「SWOT分析」や、収益性を左右する5つの競争要因から業界の構造分析を行う「ファイブフォース分析」などを当たり前のように駆使し、どこで差別化するかを同じ言葉で議論する。こういうことが普通にできないようでは、個人も会社も強くなれません。
 こうした取り組みをやり続けて5年が経ちましたが、「10年続けると強くなるぞ」と社内で発破をかけているんです。

 別会社だった事業を一堂に集め、社員を交流させたことで、変化は見られますか。
 研修や、さまざまな場面での人との交流により、自主的な行動や有志的なつながりが見られるようになっています。こうした状況を見ていると楽しいですね。ただ、10年ぐらいはやり続けないと共通言語にはなりません。部門間のコミュニケーションがさらに深まり、アイデア、ノウハウ、技術を出し合って共同開発をしたり、新たなイノベーションが社内で生まれることを期待しています。

*第2回はこちらです


●聞き手|前原利行/岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部)
●構成・まとめ|前原利行(ダイヤモンドクォータリー編集部) ●撮影|和田佳久