2017年8月、KDDIは、「ソラコム」という設立2年半足らずのスタートアップ企業を買収することを発表した。その買収価格は200億円(推定)といわれているが、大手企業がこのような破格の金額でベンチャー企業を買収するのは、日本では珍しい。
 この一件で一躍脚光を浴びることになったソラコムは、「世界中のヒトとモノをつなげ、共鳴する社会へ」というビジョンの下、IoT向け通信プラットフォーム「SORACOM」をグローバルに提供しており、同社の格安SIMカードを購入すれば、誰でもIoTビジネスを立ち上げることができる。
 創業者の玉川憲氏いわく、「イノベーションを起こしたいという人に、翼を与えるビジネスがしたかった。そのために、IoTにおける通信のコンピューティング・デモクラシー(民主化)に挑戦したのです」。
 実は、ソラコムの魅力や可能性(ポテンシャル)は、そのビジネスモデルに限らない。人間の知識や創造性が新たな価値を生み出すポスト資本主義社会において、その適応に遅れてしまった日本にとっては、ソラコムのマネジメントスタイル、組織文化や組織構造に学ぶところが少なくない。また、企業内ベンチャーやオープンイノベーション、さらにはコーポレート・ベンチャー・キャピタルのあり方を考えるうえでも、大いに参考になることだろう。

IoTのインパクトは
インターネットの登場に匹敵する

編集部(以下青文字):ソラコムはグローバルなIoTプラットフォーマーですが、そのビジネスモデルについて教えてください。
 

玉川 憲 KEN TAMAGAWA
1976年生まれ。東京大学工学系大学院機械情報工学科修了。カーネギーメロン大学でMBA(経営学修士号)、同大学MSE(ソフトウェア工学修士)を取得。日本アイ・ビー・エムでウェアラブルのR&Dをはじめ、ソフトウェア事業部において技術営業、コンサルティングを経験。2010年、アマゾン データ サービス ジャパン(現アマゾン ウェブ サービス ジャパン)にエバンジェリストとして入社し、日本でのアマゾン ウェブ サービス(AWS)事業の立ち上げを指揮。2012年より技術部長としてアーキテクト、トレーニング、コンサル部隊を統括。2015年、ソラコムを創業。

玉川(以下略):IoTは、ご承知の通り、あらゆるモノが通信機能を備え、人間が介在することなくネットワークでつながることです。最近では、「IoE」(Internet of Every­thing)といわれることもありますね。
 このように、ありとあらゆるものがインターネットにつながれば、言うまでもなく、これまで以上に便利になり、新しい製品やサービスが生まれてくるはずです。これを支えるのがIoTです。そのインパクトはインターネットの登場に匹敵するもので、将来性も同じく無限大といえるのではないでしょうか。
 1994年――私が大学に入った年です――にインターネット技術が標準化され、誰でもインターネットに情報を発信したり閲覧したりできるネットワーク環境が整いました。それから20余年経ちましたが、振り返ってみると、その後に小さなコンピュータであるスマホが開発され、動画を投稿できるユーチューブが生まれ、ツイッターやフェイスブックといったSNSが普及し、6人たどれば世界中の人とつながることができる――そんな世界に変わりました。インターネットはグローバルに広がり、さまざまな技術やビジネスを生み出してきました。誰も予測できなかったことです。
 そして、これまでつながっていなかったモノとモノの間、そしてモノとインターネットの間がつながるIoTが登場したわけです。身近な例で言えば、スマホを使って家電を遠隔操作するスマートハウスや、世界各地で実証実験が進んでいる自動運転もIoTの一つです。また、農業では施肥や灌水の自動化、建設現場では建機をGPSとつなげることで省エネや工期の短縮などが実現しています。

 IoTの活用例はまだまだたくさんありますが、インターネットと同様に、今後のビジネスにIoTは不可欠な存在になっていくことは間違いありません(図表1「さまざまな産業に広がるソラコムユーザーのIoT事例」を参照)。

 さらに近い将来、個人に〝搭載(エンベッディド)〟されたIoTアプリケーションが一般化してくるはずです。実際、それに近いサービスがすでに始まっています。
 たとえばその一つが、2017年11月にファッション通販サイトのZOZOTOWNが無料配布を始めた「ZOZOSUIT」という、伸縮センサー内蔵のボディスーツです。これを着用してスマホをかざすだけで、瞬時に採寸することが可能となります。
 いまやアパレルのオンライン販売は珍しくありませんが、このビジネスには「商品を購入してくれているお客様のサイズがわからない」という、極めて基本的な問題を抱えています。それゆえ、各サイズについて多めに在庫を持っておく必要があります。また、返品や交換への対応もあるでしょう。
 しかし、ZOZOSUITを使えば、これらの問題が解決できるだけでなく、体型に関するビッグデータを活用することで、新商品の開発や顧客リレーションシップの深耕はもとより、他分野への応用や異業種とのコラボレーションなど、新たな展開も生まれてくるはずです。
 また、ソラコムのユーザー事例では、トリプル・ダブリュー・ジャパンの排泄予測サービス「DFree(ディーフリー)」があります。要介護者の排泄をサポートするウェアラブル端末と専用アプリケーションを開発し、主に介護施設や病院に提供。要介護者にDFreeを装着してもらい、超音波センサーによって膀胱の状況を把握・分析することで、排泄のタイミングを予測できるようになりました。これを介護者に送ることで、失禁を未然に防ぐことができます。
 このように、IoTは新しいビジネスを起こし、既存のビジネスを飛躍させる大きなチャンスをもたらすものですが、実際に取り組むと、たいていどの事業者も同じ壁に突き当たります。「どうやってネットワークにつなげるのか」「データはどこに蓄積すればよいのか」「どうすればデータを安全に守れるのか」など、新しい分野ならではの課題が立ちはだかるからです。
 そうした課題を解決するために、私たちは2015年に「SORACOM Air(ソラコム エアー)」という、IoTに特化したSIMカードを開発しました。
ちなみにSIMカードというのは、スマホなどの携帯端末で通信する際に必要な、約1センチ四方のカードのことです。それぞれに固有のIDが割り振られており、言わば「端末の身分証明書」のようなもの。スマートフォンと同じ通信をモノでも使うわけです。このモノ向けのSIMカードを、1枚単位からリーズナブルに使えるようにしました。
 もちろん私たちが提供するのは、このSIMカードだけではありません。IoTシステム構築で直面する課題を先回りしたサービスも提供しています。たとえば、大量につながるモノの管理。「SORACOM」のプラットフォーム上で、どのSIMから上がってきたデータなのかをID判別したり、システム連携に必要なパスワードなどの認証を管理したりすることができます。専門知識の必要なIoT通信が使いやすくなれば、大企業からスタートアップまで、誰もがIoTプレーヤーになれる可能性が拡がるのです。

 のちほど詳しく伺いますが、ソラコムを立ち上げる前は、アマゾンのクラウドプラットフォームである「アマゾン ウェブ サービス」(AWS)を担当されていました。フリー、フェア、フラット、そしてグローバルなのがインターネットの真骨頂であり、AWSはまさしくインターネットの世界にふさわしい民主的なサービスですが、ソラコムのビジネスモデルには同じような思想が垣間見られます。
 おっしゃるように、個人であろうと大企業であろうと、オープンに等しくサービスを提供するという点で、AWSのことが心底気に入っていました。ソラコムのビジョンは「世界中のヒトとモノをつなげ、共鳴する社会へ」というものですが、ここにはAWSと同様、「IoTのデモクラシー」という考え方が込められています。
 ですから私たちのサービスは、資金力に乏しい個人でもIoTを利用できる価格体系になっています。たとえば、一番基本的なサービスである「SORACOM Air forセルラー」では、初期費用として契約事務手数料を、1回線当たり、つまりSIMカード1枚当たり954円――これに税金とカードの送料が加わります――を、そして基本使用料を1日10円と、データ通信量は使った分だけ従量課金でいただいています。

 ソラコムのビジネスモデルの特徴について、もう少し詳しく教えてください。
 大きく3つあります。1つ目が先ほど申し上げた「モノ向けの通信に特化」していることですが、2つ目が「セルフサービス型モデル」であること、そして3つ目が「基盤型プラットフォームビジネス」であることです。
 私たちは、「あらゆる製品やサービスがウェブで販売可能である」という前提を置いており、これを「セルフサービス」と呼んでいます。いまの時代、特に若い世代がそうですが、何かを買う時、店員の話を聞くのではなく、たいていネットで調べて、購入するかどうかの意思決定を下します。
 ならば、通信の仕組みもネット上で売れないはずがありません。「このSIMカードよさそうだな。1枚買ってみよう」と。まずは試してもらって、気に入ってもらえれば、また追加購入していただく。これが、セルフサービス型モデルです。
 そして、基盤型プラットフォームビジネスとは、その基盤を使った製品・サービスが提供されていくようなビジネスを指します。
 たとえば椅子をつくって売るには、まず木材や金属などの材料を買いますよね。私たちの通信プラットフォームは、同じく材料の一つです。PCになぞらえれば、インテルのチップであり、マイクロソフトのウインドウズです。ソラコムユーザーの多くは、購入したSIMカードを組み込んで製品やサービスをつくり、それをエンドユーザーに提供しています。

 プラットフォームビジネスの研究者であるMITスローンスクール・オブ・マネジメントのアンドレイ・ハジウは、プラットフォームとは「さまざまな企業や人々が、特定の技術、製品やサービス、システム、空間を共通基盤として利用することで、さまざまな価値を創出できる仕組み」であると定義していますが、ソラコムのビジネスモデルはまさにそれに当たります。しかも、「無料(フリー)経済」とか「限界費用ゼロ社会」といった社会トレンドにもマッチしていますね。

「民主的」なビジネスモデルには
大きな広がりと可能性がある

 IoTのプラットフォームというアイデアが創発し、起業へと結実するには、さまざまな経験や気づきがあったと思いますが、いま振り返ってみていかがですか。
 2006年から2008年までの2年間でしたが、シリコンバレーのベンチャーキャピタルでのインターンシップが大きかったです。当時は20代後半でした。
 ご存じの通り、シリコンバレーではさまざまなスタートアップが誕生し、次々にユニコーン(時価総額1000億円以上のスタートアップ)が輩出されていますが、2006年はビッグイヤーだったといわれています。それは、AWSが開始されたからです。とりわけ起業家たちにとって、大きな転換点になりました。
 たとえば、日本でも話題になっているUber(ウーバー)やAirbnb(エアビーアンドビー)、インスタグラム、ネットフリックスなどもそうですが、2006年以前では、個人のレベルでこうしたインターネットサービスを立ち上げるには、かなりのハードルをクリアしなければなりませんでした。まず、サーバーを準備し、システムを構築するには、少なくとも約6000万円の資金が必要といわれています。その調達のためにビジネスプランを用意し、あちこち奔走し、運よく金主が見つかって、初めてスタートラインに立つことができます。
 しかし、AWSの登場によって一変しました。このサーバーの時間貸しサービスを利用すれば、インフラシステム構築の手間がかからず、小さく始めれば初期費用もほとんどかかりません。まさしく「コンピューティングのデモクラシー」です。起業家にとって必要なリソースを、誰でもオープンかつフェアに使えるようになったのです。
 また、裏を返せば、投資家にとっては1社当たりの投資額が少なくなり、その結果、より多くのスタートアップと付き合うことができるわけです。こうして、スタートップの数が一気に増え、イノベーションが生まれることになりました。
 その様子を目の当たりにして、AWSという民主的なプラットフォームに魅了されると同時に、このビジネスに身を投じてみたいと強く思うようになりました。それは、まるで「イノベーターに翼を与える」ように見えたのです。

 なるほど、それでAWSのエバンジェリストになったわけですね。
 それはもう少し後の話です。私はいったん日本アイ・ビー・エムに戻り、新しいソフトウェア開発の手法を広める仕事をすることになりました。しかし、いっこうに広まらない。アメリカでは、次なる価値創造の源泉はソフトウェアであると、アップルやアマゾン、フェイスブック、グーグル、そしてIBMでもソフトウェア事業に軸足を移しているのに、日本ではさっぱりなのです。以前から、日本はIT分野では20年遅れていると感じていましたが、あらためてそれを痛感しました。


 そして2010年、私はAWSの日本事業の立ち上げに参画することになります。インターネット黎明期のブラウザー「ネットスケープ」を開発したマーク・アンドリーセン氏が“Software is eating the world”(ソフトウェアが世界を飲み込む)と言い出した2011年に、AWSは東京にデータセンターを開設したのです。
 これに対して、日本では2通りの反応がありました。一つは、「これはヤバイ」という危機感です。「このままでは日本の企業は駆逐されてしまうから、AWSに対抗する仕組みをつくろう」と。もう一つは、「アマゾンのAWSはすごいサービスだ。ならばこれを利用して、自分たちのビジネスの価値をもっと高めよう。AWSを使いこなせる人材を増やそう」という動きです。
 言うまでもなく、私は後者でしたし、日本でAWSを広げたいと純粋に思いました。AWSの素晴らしさは、先ほどお話ししたように、起業のハードルを大幅に下げただけでなく、ボーダレスにビジネスを標準化できる点にあります。ですから、AWSを使いこなせれば、日本という枠にこだわらず、自分が考えたサービスを世界に向けて提供できるはずだと確信していました。
 たとえば、何がしかのインターネットサービスを日本で開発するとしましょう。AWSが登場する前は、日本のデータセンターの中で、日本の電源規格に合わせて仕組みをつくります。この日本製の仕組みをアメリカに持っていこうとしたら、新たに現地のデータセンターと契約し、アメリカの電源規格に合わせてつくり直さなければなりません。要するに、グローバルに展開するには、国ごとの仕組みを用意する必要があるのです。
 しかし、いまは違います。このような面倒はすべてAWSが解決してくれます。そして利用者は、最初につくった仕組みをコピーするだけでいいのです。実際、ネットフリックスはAWSを利用して、アメリカのオンラインDVDレンタルやストリーミングの配信ビジネスを、簡単に日本で展開することができました。
 これはクラウドのデータベースビジネスだからこそ可能とはいえ、使いこなせる人とそうではない人とでは、競争力が圧倒的に違ってきます。にもかかわらず、日本のプレーヤーの多くが、日本でしか利用できない〝ガラパゴス式〟の製品やサービスを設計しがち。だからこそ、AWSを日本に広めるべく、アマゾンデータサービスジャパン(現アマゾンウェブサービスジャパン)の扉を叩き、AWSのエバンジェリストになったのです。
 幸い、たくさんの方々にAWSの魅力をわかってもらうことができ、日本でのAWSビジネスはうまくいきました。ただし、AWSを武器に世界に挑戦する、日本発のグローバル・スタートアップはなかなか出てきませんでした。というのも当時の日本では、クラウドサービスのユーザーは大半が大企業だったのです。大企業を飛び出して起業してみよう、グローバルに打って出てみよう、という人は稀でした。

*つづき(第2回)はこちらです


●聞き手|岩崎卓也、宮田和美(ダイヤモンドクォータリー編集部)
●構成・まとめ|木原洋美 ●撮影|佐藤元一