2013年、オックスフォード大学の2人の研究者が衝撃的な予測を発表した。向こう10~20年以内に、アメリカの労働者の47%がAIやロボットに職を奪われるというのである(彼らによる日本に関する調査では49%)。それまでAI脅威論は一部の識者たちに限られてきたが、この予測によって議論が一気に広がった。
 これと並行して、シスコシステムズのジョン・チェンバース、ソフトバンクの孫正義氏など、IT業界のビジョナリーたちは、世界中のビジネスパーソンたちに向けて、次のようなメッセージを投げかけた。
 デジタル・オア・ダイ──。デジタル・トランスフォーメーション(DX)に取り組まなければ衰退は免れない、というのだ。日本の場合、雇用や就労の形態が他国と大きく異なるため、これら2つの課題には適度なバランスが求められる。とはいえ、のんびりしてもいられない。
 クリスチャン・ラスト氏は、IT黎明期から現在まで、デジタル分野のコンサルティングに従事しているプロフェッショナルである。日本と産業構造が似ているだけでなく、日本以上に労働者の権利に敏感なドイツにおいて、さまざまな経験を重ねてきたラスト氏に、DXに関する知見と日本企業へのアドバイスを聞いた。

AI脅威論は
もはや幻想でしかない

編集部(以下青文字):ITとインターネットが世界的に進展した1990年代、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、「歴史的に見て、新しい技術は短期的には一部の労働力を代替するが、やがて新たな雇用を創造する」と、IT脅威論を一蹴しました。この説に倣えば、昨今のAI脅威論も杞憂にすぎないのでしょうか。

CHRISTIAN RAST
KPMGインターナショナルのテクノロジー&ナレッジ統括グローバルヘッド。また、KPMGグローバルマネジメントチームのメンバー、ならびにアドバイザリーヘッドとしてKPMGドイツのマネジメントボードのメンバーを兼ねる。ケルン大学にてMBAを取得。ベルテルスマン、ローランド・ベルガー、マッキンゼー・アンド・カンパニーからスピンオフしたディッケ・ウント・ヴィチェルツェなどを経て、1995年にサプライチェーンマネジメントのコンサルティングサービスを提供するブレインネットを共同で設立。2012年、KPMGが同社を買収したことで、KPMGに入社。2014年よりグローバル・ストラテジック・イニシアティブとデータ&アナリティクスのヘッドの後、2017年10月より現職。

ラスト(以下略):AIやロボティクスなどの新しいデジタル技術が、雇用に影響を及ぼすことは間違いありません。オックスフォード大学のマイケル・オズボーン氏らの予測のように、定型業務の多くはAIに取って代わられ、早晩消失していくでしょう。しかし、ご指摘のように、こうしたデジタル技術に関する業務が増え、新たな雇用が創造されることでしょう。
 イノベーションが起こるたびに、それまで人間の手で行われていた仕事が機械に代替されてきました。しかしながら、クルーグマン教授が言うように、それ以上に新しい雇用が生まれることが歴史的に証明されています。
 たとえばドイツでは、炭鉱産業が盛んで、エネルギーは石炭による火力発電に依存していました。19世紀後半から20世紀にかけて、数百万人の労働者が直接的ないしは間接的に炭鉱関連の職に就いていました。ですが、いまやその数は約7000人にまで減り、それに代わって45万人が風力発電の仕事に従事しています。
 実際、我々が実施した11カ国1300人のCEOへの調査でも、6割以上が同じ見解を示しており、また9割以上が、破壊的技術は脅威ではなくチャンスである、と認識しています。
 こうして今後新たに生み出される仕事は、たとえばイノベーションを生み出す、顧客との接点をより密にする、社会の非効率を解消する、これまで解決策のなかった難問を解決する、といった付加価値の創造に貢献するものでしょう。
 忘れてならないのは、価値創造の源泉が大きく転換する時期には、教育面の改革が不可欠なことです。これから新しい価値を創造するのは、AIやロボットではなく、やはり人間なのです。したがって、人材開発がよりいっそう重要になります。ただし、従来の研修の延長線上で考えてはいけません。新しい思考法、新しい技術の活用法、従来とは異なる学習環境などを用意すべきです。
 実は、少々懸念していることがあります。AI脅威論ならぬAI万能論です。我々の業界を例に引くと、AIを導入すれば会計監査の仕事は必要なくなるだろう、と若い世代の興味が失われつつあることです。
 たしかにAIによって、さまざまな定型業務が効率化・代替されていくことが予想されます。しかしその一方で、AIのおかげで監査への新たなニーズや期待が生まれてくるだけでなく、AIのアウトプットについて説明したり、あるいはその質を保証したりする必要が生じるはずです。以上のようなことは、プロフェッショナルでなければ対応できない類いのものです。やはり、会計監査において人間の知恵と能力は不可欠なのです。

  『機械との競争』(日経BP社)の筆者である、マサチューセッツ工科大学のエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーは、「新しい機械の時代(セカンド・マシン・エイジ)」という世界観を提示し、これからは機械との競争ではなく、機械と一緒になって競争していく時代であると主張しています。
  「機械との競争」という表現は一種の比喩なのかもしれませんが、人間は機械と競争したりはしません。我々は常にライバルと競い合っており、ライバルを凌駕するために機械を利用するのです。機械は、あくまで人間のQOLや働き方の質を上げるために発明されるのです。
 現場の人たちが「AIが導入されると、自分の仕事がなくなるのではないか」と心配しているならば、こうした新技術を使うことでより大きな利益を生み出せること、仕事をより生産的に進められること、一人ひとりの能力が拡張されることをていねいに説明することが、経営者に求められる役割です。加えて、新しい技術の使い方を覚えるだけでなく、それをより活用するための知識やスキルを継続的に学んでいくことの重要性も伝えるべきでしょう。

日本企業のDXが
遅れているのはなぜか

 先ほどのサーベイの結果(図表「世界のCEOのデジタル観」を参照)では、多くのCEOが新技術への好奇心も旺盛で、投資意欲も旺盛で、DXにもすこぶる前向きです。にもかかわらず、DXの推進に苦慮しているようです。
 デジタル技術そのものが障害になることはありません。先進的な技術を導入し、積極的に利用しようという風土やマインドセットを育むことが、DXの要件の一つです。これがうまくいかなければ、障害となって立ちはだかります。そのためには、やはり相応の時間と労力を傾けなければなりません。
 また、DXを進めるうえで、新しい製品やサービスの開発を目標に掲げるよりも、まず従来のビジネスプロセスや業務を変えることが肝要です。昔からいわれてきたように、小さく始めてだんだんと広げていくやり方が賢明でしょう。
 もう一つ、既存事業が障害になることも少なくありません。DXを成功させるには、どこかで既存事業を破壊しなくてはならない。それがどこまでできるか。ここが試金石となります。
 我々は、さまざまな業種のグローバル企業をクライアントに抱えていますが、ここ数年、どこも好業績を収めています。ですから、「うまくいっている事業をなぜ破壊しなくてはならないのか。放っておいても成長しているし、キャッシュも生まれている」。経営者の皆さんはこう思っているのです。
 つまり、DXの必要性を認識しつつも、好調な既存事業を大事にしたい。とはいえ、この二律背反をそのままにしてDXに取り組むのには無理があります。翻せば、障害は経営陣の心の中にあるともいえるのです。

 日本企業の回答を見ると、変革への覚悟ができているCEOが半数以下です。
 一つは、日本経済が1950年以降大きな成長を遂げたことの影響がいまだ残っているのではないでしょうか。既存事業のみならず、その成功に貢献してきた社員、顧客、サプライヤーを無視できないわけです。
 グローバルで成功を収めている企業でも当然、各業界で破壊的(ディスラプティブ)な動きがあるのは承知のうえで、成功事業を維持しながら、一方で破壊もするというバランスの取り方に頭を悩ませているはずです。
 もう一つは、これはあくまでも個人的な見解ですが、日本のこれまでの強みが弱さに転じているのではないかでしょうか。
 日本に限らず、文化というものは伝統の産物です。ちなみに、“tradition”(伝統)という言葉は、ラテン語の“tra”(人から人へ)「引き渡されたもの」と“dare”(与える)を組み合わせたもので、すなわち「次世代に引き継ぐ」が語源です。より具体的には「古い世代から若い世代に引き継ぐ」ことです。
 日本企業は、これを得意としてきました。しかし現在、それと反対のことが起こっています。ことデジタル技術については、若い世代が古い世代に教えるという逆転現象が起こっている。しかも、デジタル技術は進化のスピードが極めて速いですから、たえずキャッチアップしていく必要があるということも忘れてはなりません。

インダストリー4・0に
学ぶべきこと

 あなたの祖国であるドイツでは、「インダストリー4・0」を掲げ、国を挙げてDXに取り組んでいます。
 労働組合の影響力、中小企業の存在感、ものづくりを大切にする文化など、日本とドイツは類似しているところが少なくありません。そしてもう一つ、クラウド産業が弱いことも共通しています。実は、このことがDXを進めるうえで不利に働いています。
 世界でシェアを獲得しているクラウドプロバイダーは、アメリカや中国の企業です。クラウドはDXに不可欠です。そして正直に申し上げれば、経済全体をクラウドに移行すべきなのです。しかし、日本やドイツがこれをやろうとしても、もはや遅すぎます。
 ならば、どうするか。ドイツは、日本同様、伝統的に自動車、エレクトロニクス、機械に強い。また、製造プロセスの生産性を高める能力にも長けている。そこでインダストリー4・0の下、エンジニアリングや生産プロセスに焦点を当てて、製造業全体のDXを推進しています。
 具体的には、いままで培ってきた知見や経験を活かしつつ、新しい技術と組み合わせ、サプライチェーンの最適化を図る。その結果として、この分野に関してドイツがリーダーになりうる可能性があります。ですから、ドイツの主要企業が先頭に立って推進しているわけです。
 ただし、DXはある意味、終わりのない旅(ジャーニー)です。インダストリー4・0は有益な取り組みですが、それも一時的なものにすぎないのも、また事実なのです。
 もう一つ、日独の共通点として、製造業が優れていたからこそ経済的繁栄を享受できたことが挙げられます。多くのビジネスリーダーが認識しているように、今後の課題は、製品やサービスを中心としたビジネスモデルをプラットフォーム型に転換させることです。もちろん、言うほどに簡単ではありません。ですが、どうすればプラットフォーマーになれるのかを頭に置きながら、DXに取り組んでいくことが大切です。

 日本もドイツも、中小企業が産業全体の99%を占めており、大企業のサプライチェーンを支えています。インダストリー4・0では、中小企業もDXに取り組んでいますか。
 2~3年前ならば、DXを成功できるのは巨大な多国籍企業で、中小企業はうまくいかないだろうと考えられていました。いまやドイツでは、DXは中小企業でも着々と進んでおり、部分的には、大企業を凌駕しています。やはり、中小の場合、大胆な意思決定をスピーディに下せるのが大きい。また、起業家精神あふれるスタートアップは存在そのものがDXです。

 これまでは大企業を支えることが主たる役割でしたが、いまやみずから海外展開に打って出ています。
 中小企業もDXに取り組むことで、サプライチェーンもより効率化し、ひいては社会全体の生産性が向上します。インダストリー4・0の究極の目標は、こうした好循環が形成されることにほかなりません。
 積極的かつスピード感を持ってDXに取り組んでいくことの重要性は、これ以上お話しする必要はないでしょう。ただし一言申し上げると、その際、サイバーセキュリティと顧客データ保護をけっしてなおざりにしてはいけません。
 DXが必須の時代にあって、デジタル関連のリスクマネジメントは、経営者の重要な仕事の一つになっています。なぜなら、SNSや仮想通貨の例が示しているように、サイバー攻撃がもたらすダメージは、データの流出のみならず、顧客の離反、社会的信用の失墜、集団訴訟など、従来とは比較にならないからです。
 データのプライバシーやサイバーセキュリティは、技術的な問題であること以上に、国ごとの法制度や社会的慣習に関わる問題であり、また世界のどこから攻撃を受けるかわからないなど、極めてやっかいな問題なのです。

 DXに成功しているアメリカ企業は、こうしたデジタル技術のキャッチアップ、さらにはそのリーダーシップを握るため、アメリカのみならず、インドや東欧など、優秀なデジタル人材が育っている国や地域にも目を配り、彼らに大胆な投資を傾けています。これは、第2の「ウォー・フォー・タレント」(人材獲得競争)の始まりでしょうか。
 ウォー・フォー・タレントは、第1次とか第2次といったものはなく、以前からずっと続いています。私はプロフェッショナルの世界に身を置いて30年ほどになりますが、この業界では、優秀な人材の採用について常に頭を悩ませています。
 ご承知の通り、最近の若い人たちの価値観や仕事観は、我々の時代とは大きく変わっています。たとえば、お金のため、あるいは組織のために働くといったことはありません。また、社会課題への関心も高く、世のため人のために働きたいという気持ちを持っている。旧世代の人たちとはまったく違うのです。
 才能ある有意な人材を獲得するには、彼らに選ばれる魅力的で刺激的な会社になることです。そのためにも、DXを加速していく必要があるわけです。そして、そのリーダーはCEOでなければなりません。


  1. ●聞き手|岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部) ●構成・まとめ|奥田由意、岩崎卓也 
  2. ●撮影|朝倉祐三子