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信越化学の長期成長を支える
リスクの見極め方と対応力

 編集部(以下青文字)御社が経済状況に左右されずに長期的な成長を続ける理由として、リスク対応力の高さもあるのではないかと思います。金川さんご自身、「好事でも常に最悪を考える。危ない芽をいかに摘むかに注力する」とおっしゃっていますね。とはいえリスクのないところに商機はありません。「踏まざるをえないリスク」と「踏んではいけないリスク」についてはどう考えていますか。

信越化学工業
代表取締役会長 金川千尋

CHIHIRO KANAGAWA
1926年、日本統治下の朝鮮・大邱(テグ)に生まれる。1950年3月東京大学法学部政治学科卒業後、極東物産(現三井物産)入社。1962年2月信越化学工業入社。1970年12月海外事業本部長、1975年1月取締役。1978年3月、みずから設立に関わったシンテック社長となり、アメリカで最後発の参入ながら、世界一の塩ビメーカーに育て上げた。1990年8月に信越化学工業の代表取締役社長に就任。2010年6月代表取締役会長。

金川(以下略):けっして踏んではいけないリスクはカントリーリスクです。

 これは私自身も過去に経験しています。

 当社が1967年に中米ニカラグアに設立した塩ビ会社は、かつて順調に成長していました。1972年のマグアナ大地震の際も耐震設計がしっかりしていたので、電気が復旧したら、すぐに再稼働できました。

 しかし、1979年7月、当時の独裁政権が革命で倒れて政権交代が起きると状況は一変しました。新政権が当社の工場を接収したために撤退を余儀なくされたのです。この経験により、カントリーリスクというものの怖さについて身をもって知りました。

 カントリーリスクは一企業の力でどうにかできるものではありません。したがって、人件費や原材料費などのコストがいくら低い国であっても、カントリーリスクがあるならば投資すべきではないでしょう。

 一方、それとは対極といえるのがコマーシャルリスクです。コマーシャルリスクで負けたのなら、それは単にその経営のやり方が悪いということですから。

 つまり、「踏まざるをえないリスク」はコマーシャルリスクということですか。

 はい。聖書の一文「狭き門より入れ」はビジネスにも当てはまります。

 シンテックは大手各社が競い合うアメリカ市場に、最後発で参入しました。しかし、コマーシャルリスクが高い事業ほど、成功したら大きな成果を得ることができます。事業で成功するための鉄則の一つは、あえて困難な道を選ぶことです。他社がやろうとしないような難しいことを実現すれば、利益はそれだけ大きくなります。

 コマーシャルリスクのない国や地域は、カントリーリスクが高いところが多いのです。カントリーリスクが高い国や地域は、事業が成功したとしても、その成功が長く続くとは限りません。ゆえに、カントリーリスクが高いところでの大規模な投資は難しいと言わざるをえません。たとえば、ビジネスが成功するかどうかは時の政権と親密か否か次第という国ですね。こういう場所に行ってはなりません。

 やはり日本や欧米などコマーシャルリスクは高くてもカントリーリスクが比較的低い国で事業を行い、そこで競争して相手に勝たなければいけません。
 逆に言えば、コマーシャルリスクの高い国で負けるような事業は、どこへ行っても勝てないということです。

 ではコマーシャルリスクの高い事業に踏み出す際、いかにしてそのリスクを低減することができるのでしょうか。

 まず大前提とすべきは、その製品の品質が市場で十分受け入れられる水準であるかということです。そして、コストにおいても世界で競争力のある水準を達成できるかということです。つまり、最も優れた品質の製品を最も競争力のある価格でつくることができるか否かが重要です。それができないならば、その事業はやるべきではありません。

 もう一つ重要なことは経営の迅速さです。私は常に意思決定、伝達、実行のすべてを時間をかけずに行うようにしています。提出された案件の良し悪しは30秒程度で判断し、案件の8、9割は即決します。残る1、2割は社内外の専門家の意見などが必要なこともあり決断を保留しますが、それについても誰といつ相談するかをすぐに決めてしまいます。

 8、9割の案件を30秒で決断するんですか。

 はい。いずれも私の知っている分野ですから、判断を誤ることはほとんどありません。一方、即断ではなく慎重に検討すべきと判断した案件については、専門家たちを交えた会議を開いています。

 その議論の際に大事なことは、知らないことを知っているふりはいっさいしないということです。わからないことは恥でも何でもありません。仕事は結果が大事です。その過程でわからないことがあれば、どんどん聞けばいいのです。一方、知らないことを知っているふりをしていても、結果を出すうえで何の利点もなく、恥ずべきことです。

 また、会議では全役員が必ずしも揃う必要はありません。案件ごとに専門知識を持った少数の役員や社員などと徹底的に議論し、その結論の責任を経営トップが負えばいいのです。こうすることで意思決定は格段に早くなるでしょう。

 実際、私が社長になって以降、会議にかける時間は大幅に短縮しました。従来は毎月2回だった取締役会を1回にし、さらに1回当たりの時間も半分にしました。また、取締役会のみならず、全社における会議時間も3分の1にまで短縮しました。

 決定事項の伝達についても、それぞれのキーマンにすぐに伝えることで時間を省くようにしています。

 意思決定においては情報収集も重要です。

 私は毎朝、自宅から会社までの車の中からシンテックの担当者に電話して、直接、製品の営業状況と市況の変化を確認しています。状況は毎日変わっているので、必ず確かめなければなりません。

 私は海外事業本部長時代から毎朝7時に出社し、9時までは現地と電話して市況などを聞いて指示を出していました。いまでも毎日、30分から1時間ぐらいは担当者と電話をしています。そうやって情報収集していると、アメリカにいなくても、市況の動向をほとんど把握できます。

 さまざまな情報がある中で、価値ある情報とそうでない雑音をどう見極めているのでしょうか。

 価値ある情報の一つは、発注が取り消されたり、納期を変更されたりすることや、それとは逆に顧客から急いで製品を納入してほしいと言われることです。こうした動きは市況変化の兆候であることが少なくありません。前日までなかった顧客の新たな動きを察知したら、すぐに販売や製造などの対応に動き出します。
 このような状況の変化には、なるべく早く対応するよう心がけています。私たちは常に市場の中にいて市況を注視して仕事をしています。

学ぶだけでは身につかない
経営者に必要な5つの資質

 話は変わりますが、金川さんは「ボスは株主」だと発言されていますね。そのボス(株主)に報いるためには株価や配当を高めることに加えて、ROE(自己資本利益率)を高めるために経営資源の効率投資が求められます。しかし一方で、金川さんは低収益な事業でも利益が出ている限りは撤退しない方針を貫いています。

 当社は塩ビやシリコンウェハーなどさまざまな事業を行っていますが、事業の新しさ古さに関係なく、利益が出ている限り、撤退は考えません。

 かつて肥料事業を行っていた当時、数億円しか利益が出ていないから止めるべきとの声が上がりました。しかし、新規事業を立ち上げて数億円の利益が出るまでには、早くても10年はかかるだろうし、利益が出ずに撤退を迫られる可能性もあります。ゼロから事業を立ち上げることの大変さを知っている経営者であれば、簡単に「止めよう」とは言えないはずです。

 大事なことは、製品に寿命があるのと同じく、「事業も需要がなくなった時が寿命だ」ということです。逆に言えば、どんなに古い事業であっても、需要があり、利益が出ている限りは、まだ寿命を終えてはいないわけですから継続すべきです。事業が生きているかどうかを測る指標は利益の有無なのです。

 このような当社の経営方針はおそらくアメリカの多くの経営者とは考えを異にするでしょう。アメリカでは古くて利益が小さい事業をどんどん切り捨て、より高収益の分野に経営資源を集中します。

 しかし、私はそれが正しいとは思いません。塩ビに代表されるように、古い事業でも経営のやり方次第で大きな利益を上げることができるのです。

 そうすると、金川さんご自身が経営者として重視している経営指標は何になるのでしょうか。

 私の経験則で言えば、まず借金が少ないことです。「会社が潰れる時は借金で潰れる」と考えています。したがって、自己資本比率は非常に重要な指標です。私が社長就任した際の当社の自己資本比率は約38%でしたが、2016年3月末では80.8%となり、無借金経営となっています。

 また、私がしばしば「ボスは株主」とお話ししていることから、ROEを高めることを最優先にしていると思われるかもしれません。しかし、私は「ROEを○○%以上にする」などと数値目標を設けているわけではありません。ROEを一時的に上げるのであれば、自社株を買って消却することで分母を減らせばよいのですが、それがはたして本当に株主へ報いることなのか疑問です。

 経営者の務めは企業価値の最大化にあることは間違いありません。

 しかし、それは一時的、短期的に株主へ報いることではなく、利益の絶対額を増やし長期安定的な成長をし続けることだろうと思います。したがって、私が最も重視しているのは、当期純利益です。毎年、当期純利益を増やしていくことこそが、最も明瞭かつ重要な経営指標だと考えています。

 最後に、リーダーシップについてお伺いします。金川さんが考える「経営者に必要な資質」とは何でしょうか。

 まず大事なのは「執行能力」「決断力」「判断力」「先見性」の4つです。

 これらはすべてが学んで身につけられるものなのでしょうか。

 いえ、半分は先天的な要素が大きいと思います。

 執行能力や決断力というものは、実際に事業をやってみなければ会得できません。裏返せば、経験と勉強と努力によって高めることができるでしょう。

 一方、判断力と先見性は、先ほど申し上げましたように経験や勉強によるのではなく、その人の生まれ持った素質によるところが大きいと思います。いかに経験を積んでも、先見性などの"ひらめき"を要する経営判断力を磨くことは難しいと思います。したがって、こうした人の資質を見極めて、社員各自に仕事を与えなければなりません。

 経営者に必要な資質はこれら4つだけではありません。

 5つ目の欠かせない資質は「誠実さと温かさ」という人格だと思います。

 どれだけ仕事ができる人でも、誠実で人から信頼される人柄でなければ、社員たちはついてこないでしょう。私自身を振り返ってみても、社員を厳しく注意することはありますが、それは仕事のやり方に問題がある場合に限っています。けっして冷たい人間ではないと思いますよ(笑)。

 経営者には先天的な資質が求められるとなると、後継者を育成するのは難しいですね。

 「経営者の最大の仕事は後継者を育てること」とよくいわれますが、私はそうは考えていません。

 経営者とは、私自身もそうですが、誰かに育てられてできるものではありません。みずからがチャンスを活かして切り開いていくものだと思います。したがって、経営者育成のための特別な取り組みは行っておりません。

 金川会長はリーダーの心構えについて、山本五十六連合艦隊司令長官の言葉をよく引用されています。ご自身が経営者として学んだことはどんなことでしょうか。

 山本長官から学んだ最大の教訓は、先を見ながら短中長期の計画を立てつつ、刻々と変わる情勢を見極めながらみずからの考えを修正し、必要ならば前言を修正する勇気を持つことです。多くの人は、いったん計画を立てるとそれにこだわる人が多いですが、計画の前提となる状況が変われば、計画自体も常に変えていかなければなりません。

 ちなみに、私の執務室には山本長官と小田切元社長の写真が飾ってあります。私が心から尊敬するお二人に恥じる行動はけっしてできません。常に正道を歩みながら成長し続ける会社を目指していきたいと思っています。

 山本長官が座右の銘とした言葉の一つに「常在戦場」がありますね。文字通り、「常に戦場にいるつもりでいなさい」という意味だと思いますが。

 「常在戦場」は私も経営に取り組むうえでの心構えとしています。経営は戦いです。そして戦場では一瞬の油断が命取りとなります。経営者は常にこの心構えを持つことで、不測の事態が起きた際にも迅速に対応できるのではないでしょうか。

 一瞬の油断もできないとなると週末もゆっくり休めませんね。経営者であることに疲れたりすることはないのですか。

 経営の課題で悩んでいる時など、夜なかなか寝つけないこともあります。しかし睡眠をしっかり取らないと正しい経営判断はできません。このため、眠る前に新聞を読むなど、自然に眠るための私なりの工夫もしています。

 健康管理も企業経営も、「変化をいち早く読み取り、いち早く対処する」という点では共通しています。幸いなことに体は健康ですし、ほかに趣味もないですから、経営者であることに疲れるということはまったくありません(笑)。【完】


●聞き手・構成・まとめ|松本裕樹(ダイヤモンドクォータリー編集部) ●撮影|中川道夫