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自動車産業の近未来

編集部(以下青文字):他業種への影響も大きい自動車産業でも、デジタル・トランスフォーメーションが加速し、業界地図が大きく書き換えられるという見方があります。

藤本(以下略):自動車産業の未来を考えるうえでも、先ほど申し上げたように、変わる部分と変わらない部分、進化のスピードが速い部分とゆっくりしている部分を見極め、両者のバランスを図る必要があります。どちらか一方だけに偏ると判断を見誤ります。

 たとえば、電気自動車や自動走行といった新しいテーマを議論する際も、「自動車は公共空間を高速で移動する重量物である」という根本的な事実は変わりませんから、それを常に意識する必要があります。このような重量物であるがゆえに、自動車産業に従事する企業は、交通事故、地球環境への負荷、エネルギー消費といった課題を解決していく努力を未来永劫続けていかなければならない。これは、自動車という製品が誕生した時から背負っている、言わば「原罪」です。だからこそ、自動車産業は、絶えざる改善とイノベーションが要求されるのです。

 電気自動車の未来を考える場合も、重量物であるという制約を常に考慮しなければなりません。蓄電池の技術が進歩しているとはいえ、現在の先端的な二次電池(充電ができて繰り返し使える電池。乾電池のように充電できない使い切りの電池は一次電池という)のエネルギー密度が、まだ低すぎるという根本的な問題は、今後20年単位で見ても、そう簡単には解決できません。

 もちろん、いまより飛躍的にエネルギー密度の高い二次電池が開発されれば、状況は大きく変わりますが、このような画期的な電池技術がいつ実現するのか、実のところ、本当に実現するのかさえ、わかっていません。それでも、2020年までにエネルギー密度が2倍ぐらいにはなるだろうという見通しは立っており、実際、充電一回当たりの航続距離も着実に伸びています。ですが、エアコンをつける、山道でふかすとか、使い方や走行環境によっては公表値の半分くらいになってしまう、という現実もあります。

 数年前「早晩、電気自動車が自動車市場を支配する時代が訪れる」と視聴者に思わせるようなセンセーショナルなテレビ番組がありましたが、これなどは、進化のスピードが速い部分とゆっくりしている部分の見極めをなおざりにした例と言わざるをえません。実際に、電気自動車時代は、そこで主張されたようなスピードでは実現していないのです。おそらくは、私の10数年前の予想、つまりしばらくは「エンジン多様化」の時代が続くというほうが当を得ていると思います。

 また、環境問題に対して自動車が不断に進化しなければならないことはまさにその通りですが、自動車の年間生産台数が全世界で1億台――2015年の四輪車生産台数は全世界で9080万台です――を超えるという将来、たとえばその半分が電気自動車になるのは、ここしばらくは無理でしょう。各種のハイブリッド車はともかく、純粋な電気自動車は、しばらくは短距離・地域限定のニッチな交通手段に留まるでしょう。

 ちなみに、一般の利用に耐える高性能な電気自動車は、多くの人が考えているほど「モジュラー型」(機能完結部品の組み合わせによるPCのような製品)ではなく、意外にも「インテグラル型」(機能群と部品群の関係が錯綜しており、すり合わせを要する自動車のような製品)に近いという見解が、専門家の間では有力です。

 たとえば、カリフォルニア発のテスラという電気自動車のベンチャー企業がありますが、ここなどは、シリコンバレーに多いデジタル系ベンチャーとは異なり、かなりの技術を内製化したインテグラル型企業だといわれています。むしろ、レンジエクステンダー(航続距離を伸ばす発電用エンジン)を搭載したシリーズハイブリッド車のほうがよりモジュラー型です。

 私が最近、さまざまなタイプの次世代車について、ざっとアーキテクチャ計算をしてみた結果では、次世代の低燃費車は、モジュラー型からインテグラル型の順に、レンジエクステンダー、燃料電池車、二次電池電気自動車、プラグイン・ハイブリッド、低燃費ガソリン車、ディーゼル車、パラレル・ハイブリッド(プリウス型)の順に並びます。

 これに「設計の比較優位説」――設計調整能力に優れた現場の多い国・地域・産業・企業は、 設計調整を多く要する製品を得意とし、それを輸出する傾向があるという考え方です――を当てはめるなら、それぞれの技術タイプごとに、次世代車のアーキテクチャも異なり、それに応じて、各タイプを得意とする企業や国も異なる可能性があります。

 進化した内燃機関自動車や、複雑な切り替えを必要とするパラレル・ハイブリッド車などは、インテグラル型アーキテクチャに近い製品であり、トヨタやホンダといった統合的組織能力に優れた企業が開発や生産の主役であり続ける可能性が高いでしょう。

 一方、比較的単純な設計のモジュラー型アーキテクチャに近いハイブリッド車や電気自動車は、統合よりも分業を得意とするゼネラルモーターズ、あるいはビジネスモデルで勝負するベンチャー企業によって牽引されていくことが予想されます。

 やはり大きな飛躍は、そう簡単には起こらないようですね。

 21世紀前半は、さまざまな次世代車が並立する「技術多様化の時代」であろう、と私は予想しています。具体的には、燃費のさらなる改善を重ねるガソリン自動車やディーゼル自動車の進化型、次世代ハイブリッド車が主流を占める一方、タクシーやカーシェアリングなど限られた地域での短距離走行には電気自動車、高速バスや路線トラックなど規則的なルートの長距離走行には燃料電池車といった具合に、地域や用途に応じた使い分けが行われるのではないか、と。

 とはいえ、画期的な電池技術が開発される可能性、ガソリン自動車やディーゼル自動車との比較など、いくつかの前提条件付きで申し上げれば、電気自動車の分野では、設計の単純化やモジュラー化がある程度進んでいくでしょう。ただし、この場合のモジュラー化は、PCのように標準部品を組み合わせたオープン・モジュラー型製品のそれとは異なることを忘れてはなりません。

 以前から、電気自動車を「自動車のPC化」と例える類の論説が後を絶ちません。なるほど素人にもわかりやすい比喩(アナロジー)ですが、自動車とPCとの本質的な違いを理解していない、見当外れの議論と言わざるをえません。

 自動車産業の未来というと、「自動走行」も忘れてはならないトピックの一つです。

 自動走行については、日本も含め、各国がその定義を発表していますが、いわゆるレベル4の完全自動化が、世界中のあらゆる道路で実現可能かどうかは、まったくもって予測不可能です。

 たとえばグーグルは、ビッグデータやAIの幾何級数的な進歩をもってすれば、レベル4の自動走行も可能であると主張していますが、地上の世界、つまり人間による総合的な判断が決定的に重要な領域を無視することはできません。

 もしも完全自動走行の車が普通に街の中を走れるようになっても、人間が運転する車と混在する状態はかなり長期間続くことでしょう。また、そうした混在した交通体系の中で、円滑な完全自動走行がはたして実現しうるのかどうか。たしかにデジタル技術やAIの能力は幾何級数的に拡大していくでしょうが、複雑化のペースも同じく幾何級数的に高まっていくのです。

 自動走行に関する最近の論説を聞くと、「そもそも何のためなのか」という社会ニーズの意識がやや希薄で、技術の新規性そのものを強調するケースが多いようですが、このことには違和感を覚えます。過去を振り返ってみると、画期的な製品というものは、それこそ19世紀の自動車しかり、電話しかり、テレビしかり、携帯電話やスマートフォンしかり、人々の人生を変える顧客ニーズや、切実な社会ニーズを解決した時、初めて爆発的に普及しています。

 たとえば、レベル4の完全自動走行への切実なニーズを抱えているのは、運転免許のない、あるいは返上した後期高齢者、要介護の人たちが相対的に多い地域でしょう。過疎地に至ってはバスが一日数本といった状況ですから、切実さはいっそうです。

 こうした地域では、たとえば自動走行車専用のルートや道路を整備するなど、交通インフラの見直しがなされてしかるべきです。

 また、日本は、65歳以上の人口が全体の21%を超える超高齢社会に世界で最初に突入した国であり、そこから必然的に生じうる社会課題や社会ニーズを解決するという目的において、完全自動走行の実現に取り組むべきではないでしょうか。

 近未来においては、むしろレベル3の半自動運転車へのニーズのほうが大きいでしょう。日本は長年にわたるさまざまな努力により、交通事故の死亡者を大幅に減らしてきましたが、それでもまだ年間3904人(2016年)の死亡者がいます。しかも、いまやその半数以上(2138人)が65歳以上の高齢者です(注2)

注2)警察庁交通局交通企画課「平成28年中の交通事故死者数について」(2017年1月4日)より。

 さらに、高齢者ドライバーによる交通事故が社会問題化しつつあります。しかし、高齢者全員に免許を返上させよといった提案は、大都市内はともかく、過疎地こそが高齢化社会であるという実態を考えれば、現実的ではありません。これでは問題は解決しません。

 また、団塊の世代がほどなく後期高齢者になります。その際、彼ら自身が運転していても、実は自動走行システムが「影のドライバー」としてサポートしているという、高度な半自動走行車が求められるのではないでしょうか。これは、いざという時にはドライバーが運転するという、いま警察などが言っている「レベル3」よりも、たとえばドライバーが急病やパニックを起こした時や突然運転不能になった時、すぐさまそれを感知して自動走行に切り替わる、言わば「逆レベル3」というものです。

 道路やドライバーの状況などの変数を考えると、この逆レベル3のほうがよほど技術的に難しいかもしれませんが、社会ニーズは高いのではないでしょうか。いずれにせよ、技術のための技術を誇る、あるいは社会ニーズより技術進歩を優先させる議論はあまり健全とはいえないでしょう。

極論や
ステレオタイプを疑う

 ビッグデータの収集・分析能力に長けたプレーヤー、グローバルなプラットフォームを構築し、ビジネス・エコシステムを形成・支配できるプレーヤーこそ高収益と持続的成長を享受し、最終的な勝者になれる、といった主張があります。

 重さのない上空の世界では、この四半世紀の間で、オープン・アーキテクチャ化が全世界に広がったことはご承知の通りです。そして現在、上空のICT層を制したアメリカのプラットフォーム・リーダーたちが圧倒的な存在感を誇っています。

 彼らのビジネスモデルは、こんな具合です。クローズド・アーキテクチャのコア技術を開発し、それを不断に強化すると同時に、その分野の世界標準を設計・提案し、その技術情報を積極的に開示することでオープン・アーキテクチャの産業システムを用意し、ここに多種多様な補完財企業を集めてビジネス・エコシステムを形成し、ネットワーク外部性(補完財企業やユーザーの集積によって副次的に収益がもたらされること)を享受する、というものです。これを、我々は「内クローズド・外オープン」と呼んでいます。

 アメリカの経営学は、こうしたプラットフォーム・リーダーやビジネス・エコシステムの研究に没頭し、そのビジネスモデルの魅力を世界に喧伝してきました。これは、これからの経営戦略を考えるうえで、日本企業はもとより、他国企業にとっても貴重な洞察となりました。

 その半面、こうした一人勝ちの物語は一方的に、しかも誇張されて伝えられたせいで、経営層やそのスタッフたちに、「あらゆる業界がオープン・アーキテクチャの世界になる。そこでは、プラットフォーム・リーダーになるしか繁栄の道はない」といった、一種の強迫観念を植え付ける結果となりました。

 しかし、特にアメリカの研究は、一握りのプラットフォーム企業の成功譚に集中しており、プラットフォーム企業になれなかった大多数の企業がどうすればオープン・アーキテクチャの世界で生きていけるのかに関する議論は、意外に少なかったように思います。ですから、現場から見上げる実証社会科学者の立場からすると、ややアメリカ好みの英雄談に偏った研究だったように思います。

 しかしながら、デジタル財などオープン・アーキテクチャの世界でも、高い製品技術力や生産技術力を備えた日本のものづくり企業が、もう一工夫して、自社の主力製品に対して自社発の業界標準インターフェースを設定し、それによって業界支配的なプラットフォーム企業とつながることにより、高い付加価値や利益率を確保することは不可能ではないと思います。それは、広大な砂漠の中に小さなオアシスをつくるといったイメージで、そうした企業が増えてくれば、徐々に砂漠を“緑化”していくことにもなるでしょう。

 おそらく日本から、一人勝ちのプラットフォーム・リーダー企業は当分現れないでしょうが、ものづくりの能力構築力とアーキテクチャ構築力を組み合わせることによって「強い補完財企業」として高収益を上げることは可能かもしれません。

 過去の例で言えば、日本のセラミックコンデンサー企業、たとえば村田製作所は、卓越した生産技術力、自前の生産設備、すり合わせ技術による差別化、高い品質管理能力といった伝統的なものづくり企業の強みに加え、たとえば「0306」「0204」といった製品の世界標準をみずから提案して世界に認めさせるなど、オープン・アーキテクチャの世界でも相応の高収益を上げる、中クローズド・外オープン型アーキテクチャ企業として君臨しています。

 一方、日本の半導体メーカーは、工程アーキテクチャが「中オープン」化してしまったために国際競争力を失い、ほぼ消滅してしまいましたが、これとは対照的です。戦略構想力に差があったと言わざるをえません。

 よく探せば、日本にも、けっして巨大ではないですが、オープン・アーキテクチャ領域でしたたかに戦う優良企業が存在します。新興国との賃金差が縮小した現在、そうした企業が堅実なグローバル企業として繁栄し、その企業の国内ものづくり現場が利益と雇用を両立できるチャンスは、1990年代に比べて格段に高まっているといえるでしょう。

 そのためのアドバイスはありませんか。

 グローバル能力構築競争という新しい局面を迎えて、まず自社の周りのアーキテクチャの状況を把握してみることから始めてみては、どうでしょう。私は以前から、「インテグラル・モジュラー・マトリックス(注3)」を使ったアーキテクチャの戦略分析を各所で使ってきましたが、それなどが一つのやり方です。

注3)詳細は、藤本隆宏『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞社)を参照。

 クローズド・アーキテクチャが続くと予想される業界であれば、そこでは能力構築能力の真剣勝負になりますから、トヨタのように組織能力の徹底的な強化、生産性や技術力の向上に愚直に取り組むことが必要です。

 一方、日本企業が不得手とするオープン・アーキテクチャの世界では、アメリカ経営学が礼賛してきたプラットフォーム・リーダーになれるのはごく一握りの企業にすぎないという現実を認識すべきです。そのうえで、こうしたオープンな世界でもしたたかに生きていく強い補完財企業、たとえば比較的小規模だが強力な、中クローズド・外オープンの事業を多数育てていく。

 結果として、まさしくプラットフォーム・リーダーになれれば、それはそれで素晴らしいことですが、初めからそれを狙っていくのは風呂敷を広げすぎというものです。まずは、日本のものづくり現場ならではの高い技術力と組織能力を最大限活用し、大規模ではなくてよいので、そこそこのサイズの高収益事業を確立していくのが現実的な戦略ではないでしょうか。

 言い換えれば、アメリカのオープン・アーキテクチャ業界でのプラットフォーム企業の成功譚から学ぶことは少なからずあるとはいえ、それはあくまでも参考に留め、自国の企業、産業、現場が背負ってきた歴史を踏まえつつ、自社の強みと弱みを把握したうえで、身の丈に合ったアーキテクチャ戦略と能力構築の地道な努力の組み合わせで勝負すべきでしょう。

 より具体的には、オープン・アーキテクチャでもポジショニングがよく、比較的コンパクトな高付加価値事業を増やし、それを「戦うマザー工場」が支える。そこから組織能力を移転し、海外にも強い現場をつくり、グローバルに付加価値と利益と雇用のバランスを図るのです。それが、オープン・アーキテクチャ世界でそれなりに繁栄し、日本企業の「グローバル長期全体最適」の経営にもつながっていくことでしょう。

*つづき(第3回)はこちらです


  1. ●聞き手・構成・まとめ|岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部)