あらゆる機器をネットワークで接続する「IoT」(モノのインターネット)や人工知能(AI)などの技術が進化し、従来のモノづくりを大きく変えようとしている。ドイツは「インダストリー4.0」、アメリカは「インダストリアル・インターネット」と称し、製品や生産設備などに取り付けたセンサーで集めたデータを使って生産効率を高めるスマート工場を目指す。

 一方、デンソーは、欧米のような技術や生産設備を軸としたモノづくりの変革に異論を唱え、人が中心のモノづくりを追求している。「どんなに技術が進化しても競争力の源泉は常に人にある」と言い切り、欧米とは真逆ともいえるアプローチで成長を目指す有馬浩二社長が、デンソーの目指す「人づくり経営」について語り尽くした。

社長就任で受け取った
デンソーの3つの“資産”

編集部(以下青文字):2015年6月に「14人抜き」という異例な社長就任となりました。有馬さんが前社長からバトンを受け取った際、バランスシートには載らない“デンソーの資産”は何だと考えましたか。

デンソー 代表取締役社長        有馬浩二 KOJI ARIMA
1958年2月、愛媛県新居浜市生まれ。1981年京都大学工学部卒業後、日本電装(現デンソー)入社。1989年デンソー・マニュファクチュアリング・テネシー出向。1996年電機製造2部生産技術室、2005年デンソー・マニュファクチュアリング・イタリア社長、2008年常務役員、2013年生産革新センター長、2014年専務役員。2015年6月に14人抜きで取締役社長に就任。生産畑が長く、現地・現物主義をモットーに、いまも頻繁に生産現場を訪れる。好きな言葉は「情熱」と「笑顔」。「情熱」を持って一歩前へ踏み出し、「笑顔」を絶やさぬことで相互信頼が育つ会社にしたいと熱く語る。

有馬(以下略):大きなものは3つあります。

 1つ目は先進的な技術を形にする「現場力」です。歴代の経営陣が、人づくりを経営の根幹に据え、長年にわたって培ってきた非常に大切な資産といえるでしょう。

 2つ目は「デンソースピリット」です。2005年に明文化したもので、創業から続く価値観や信念を「先進」「信頼」「総智・総力」という3つのキーワードで示しています。

 「先進」とは、変化を先取りする姿勢で日々挑戦し新しい価値の創出に努めること。「信頼」とは、品質、安全への徹底したこだわりや日々の改善を通じて、顧客や社会の期待を超える価値を提供すること。「総智・総力」とは、社員全員で目標を共有し、知恵と力を結集し、全社一丸となって高い目標に挑戦し続けることです。この「デンソースピリット」は当社の将来を切り開くための原動力だと考えています。

 そして3つ目は「多様性」です。当社の製品は自動車部品であり、1センチ四方の電子制御部品から、幅1メートルのエアコンユニットまで多岐にわたり、必然的に関わる人材も多様なスキルを有することになります。このように多種多様な製品を多種多様な人材でつくり上げるという「多様性」が、当社のモノづくり力を高めるうえで大きな役割を果たしてきました。

 

 一方で“デンソーの負債”は何だったのでしょうか。

 “負債”とは言いませんが、全社的にスピード感が不足していると思いました。IT技術の進化やスマートフォンの普及などで情報化社会が進展し、さらに自動運転や電気自動車の技術開発が進む中、車そのものの価値が大きく変わろうとしています。こうした時代に突入したにもかかわらず、従来の右肩上がり時代のやり方に固執していては、激しい変化に対応できません。チャールズ・ダーウィンの言葉にもある通り、生き残る者とは、強い者でも賢い者でもなく、環境変化に適応できる者なのです。

 したがって、先述の“デンソーの資産”のような「変えてはならないもの」をしっかりと守りつつ、過去の成功体験に囚われず、変えるべきものは変えていこうと思いました。たとえば、当社はこれまで自前主義を重んじてきましたが、他社や研究機関などと協業することでさまざまな知見を取り入れ、技術を磨き、革新的製品やサービスを提供するスピードを速めることも必要でしょう。また、社員のスピードに対する意識も変えるため、社内に健全な危機感を醸成することも必要だと考えました。

グローバル化で薄れる
日本の産業構造の厚み

 そもそもいまの日本の自動車業界は、どのような状況に直面しているのでしょうか。

  これまで日本のモノづくりを支えてきた強みの一つは、中小企業を中心とした産業構造の厚みです。特に自動車産業は裾野が広く、多くの企業が相互研鑽に励むことで、競争力を高めてきました。しかし、国内空洞化やグローバル化が進展し、日本のモノづくりの厚みが失われつつあります。

 さらに新興国の技術力向上で製品の低価格化が進んでおり、加えて、電機業界やIT業界などの異業種参入も増え、自動車業界におけるグローバル競争の動きは日本で想像している以上のスピード感でダイナミックに変化しています。顧客に選ばれる価値を提供する企業になるためには「多様性×スピード」の値をどこまで高められるかが、カギになるでしょう。

 そうした厳しい環境でデンソーが勝ち抜くためには、何が必要なのでしょうか。

 1つ目は、モノづくり力の向上です。これから先、車の機能や動力源などが変わったとしても、人の命を乗せた移動手段であることに変わりはありません。その意味では家電製品と比較し、桁違いの信頼性と品質が要求されている製品です。当社は長年にわたり、時間とエネルギーをかけて品質をつくり込んできた歴史があり、その文化が染み付いています。このモノづくり力こそが当社の強みだと思います。競争が激しくなる中、モノづくり力を確実に伝承するとともにさらに鍛錬する必要があります。

 2つ目は、技術開発力の向上です。自動車業界は現在、異業種の参入によってカーシェアリングなどの新しいモビリティサービスが誕生し、さらに技術開発のスピードも劇的に速くなるなど、激しい変化の時代にあります。こうした中、当社の顧客である自動車メーカーから選ばれる企業となるためには、顕在化している課題のみならず潜在的な課題を掘り起こし、魅力ある商品の企画とそれを具現化する開発力の向上が不可欠です。これまで培ってきた車部品メーカーとしての知見をフルに活かし、顧客の期待を超える新しい価値の提案、および、車のユーザーの笑顔や幸せにつながる商品の企画を、これまで以上のスピードで具現化することがとても重要だと考えています。

 当社はこれまで自社の中ですべてをやり切る前提で仕事を進めてきたところがありました。しかし今後は、たとえば自動運転や車と車、社会がつながるコネクテッドカーのような新しい分野の技術開発については、志をともにできる他社と積極的に仲間づくりを行い、よりよい製品・サービスを提供していきたいと思っています。

 3つ目は、グローバル化です。当社は日本生まれの会社ですから、欧米のスタンダードを追うのではなく、日本で鍛錬してきたデンソーのモノづくりのよさを大事にし、それを海外の社員たちにも徹底的に学んでもらいたい。当社は世界38の国と地域に130の工場があります。生産している製品は工場によって異なりますが、「デンソーのモノづくりは世界のどこでも同じだ」といわれるようにしたいのです。そのためには、単に生産拠点を海外に増やすだけではなく、働く人たちのモノづくりに対する高い志を一つにすることも、グローバル展開においては大事なことだと考えています。

モノづくり力を研磨し
目に見えぬ「気」をまとう

 1つ目として挙げられたモノづくり力に関連して伺います。デンソーでは生産性の向上を目指した「ダントツ工場」という取り組みをしていますね。これは具体的にどういうものなのでしょうか。

 2011年からグローバルで始めた取り組みなのですが、この「ダントツ」という言葉を外国人に伝えるのは難しいんです。英語の「アウトスタンディング」とも少しニュアンスが違うので、海外でも「ダントツ」という言葉をそのまま使っています。そして、この「ダントツ工場」とは何かということなのですが、これを言葉で説明するのがさらに難しいんです(笑)。あえて言葉にするならば「気」なんですよ。

「気」ですか。

  はい。たとえば、有名な神社とか立派な教会に行った時、その中に入った瞬間、ちょっと背筋が伸びるような独特の緊張を感じますよね。荘厳な建物や静寂な環境といった物理的な理由だけではなく、そこの施設にいる人たちからも、ある種のオーラのようなものが出ていて、それらの要素が集合して、独特の気を醸し出しているのだと思います。当社の工場も、入り口を入った瞬間、他社の工場とは違う独特な「気」を感じる人がいると思うのです。モノづくりを徹底的に研ぎ澄ませることで、そうした「気」をさらに高めていきたいと考えています。

 先日、デンソーの工場を見学した際、ある社員が「デンソーのラインには独特の“匂いのようなもの”がある」と言っていたのが印象的でした。工場内では生産機械が入った同じ高さの透明なケースが整然と並び、完成した製品が入った箱もすべて同じ高さで積まれていて、工場全体が徹底的に整理整頓されている印象がありました。これが「気」や「匂い」につながっているということでしょうか。

 そうした物理的なことも「気」を生む一つの要素ではあります。生産する製品によりますが、ご覧になった工場では生産設備が入った約150センチの透明のケースがずらりと並んで独特の雰囲気を醸し出していたと思います。ちなみに、なぜ150センチかというと、その高さに抑えることで、工場内の人の動きが見えるからなのです。見通しがよくなることで工場内は明るくなりますし、人にスポットが当たる空間にすることで、人が主役の工場となるのです。

 ではなぜ人を主役にしているのかというと、「気」というのは、現場の社員たちから醸し出されるものだと思っているからです。「絶対に一つの不良品も出さないぞ」とか「絶対に安全を守り災害を起こさないぞ」といったピーンと引き締まった緊張感や気迫とか、そうしたものが集まって生まれるのではないでしょうか。こうした「気」は現場が研ぎ澄まされていくプロセスでこそ生じるものであり、単純に「設備を置いてスイッチを入れました」という生産ラインではまったく感じることができないと思いますね。

 つまり「ダントツ工場」というのは、チャレンジングな目標を課すことによって、独特の「気」を生む活動ということでしょうか。

 その通りです。もちろん、ダントツ工場の取り組みにはKPI(重要業績評価指標)もあります。生産性や品質などにおいて、かなり厳しい数値目標が設定されています。しかし、それらの数値を達成したからダントツ工場になるかというと、必ずしもそうではありません。

 無駄がないって美しいですよね。工場の設備、物流、人の動きなどの無駄を徹底的に削ぎ落とし、美しい工場をつくることにこだわり続ける。そうすることで美しい製品が生まれてくるのです。そのために高い数値目標を設定し、切磋琢磨し、考え抜く。こうした取り組みを経てこそ、当社が目指す「気」が生まれるのだろうと思います。

 しかし数値化できない「気」が目標となると、ダントツ工場の取り組みにゴールはありませんよね。

  ないですね(笑)。

 ところで「ダントツ工場」という名称ですが、コマツは「ダントツ経営」、ブリヂストンは「全てにおいて『断トツ』」を掲げていますが、デンソーは「経営」や「全てにおいて」ではなく、「工場」をダントツにするとしていますね。

 他社のことはわかりませんが、工場とはさまざまな作業をしている社員たちの集合体です。ダントツ工場づくりとは経営陣だけではなく全員参加、一人ひとりが主役で成し遂げる目標なんです。社員それぞれの秘めた力を引き出し、弊社で働く人、家族、そして弊社の製品を受け取った人が皆幸せに感ずる究極のモノづくりを目指したいと思っています。

*つづき(第2回)はこちらです


●聞き手|松本裕樹(ダイヤモンドクォータリー編集部) ●構成・まとめ|松本裕樹 ●撮影|中川道夫