働きたい子育てママを支援する施設として開園した「オフイク仙川」。綜合キャリアトラストが運営する企業主導型保育所である。ここでセンター長兼保育士として活躍するのは、子どもにも人気が高い小林義幸。グループの新規事業として期待を背負っている小林だが、初めから順調に保育の道を目指してきたわけではなかった。

「やりたいことが見つからない」そんな中で見つけた保育士という光明

▲保育士の枠を越え、ダイバーシティマネジメントの事業に挑戦する小林義幸(左から2人目)。

小林が課題に突き当たったのは高校3年のときのこと。進路指導で担任の先生から「小林は何がしたいんだ?」という質問に答えられなかったのである。

正直言ってやりたいことが見つからない──。

勉強は嫌いだし働くのもいやだ。とはいっても直面したこの問題に、早くに回答を出さなければならないという焦りはある。そんな状況に、小林は頭を抱えた。

このまま何も考えずに流れに沿って大学に進学するのか、何か職を手につけるために専門学校に進むべきなのか。答えはなかなか出なかった。

それに対する答えが出たのは、あることに気付いたから。両親が共働きの小林は、普段からふたりいる弟たちの面倒をよく見ていた。その日も、下の弟とボールを投げたりサッカーをしたり遊んだりしていたのだが、その最中に小林は思ったのだ。

小林 「あ、これ仕事にしたらいいんじゃないかと思ったんです。子どもの世話や、一緒に遊んだりするのを仕事にすれば最高だって。これがやりたいことなのではないか? そう気づいたんですね。現役の保育士が聞いたら、そんな楽な仕事じゃないと怒るでしょうけど。
でもそのときは、時間的にも精神的にも追いつめられてギリギリで。やりたいことが見つかった嬉しさで有頂天になっていました。天職と思えてきて、資格が取れる学校を探したりして。両親に話したら、自分の好きにしていいと言われたので、翌日には先生に伝えていました」

昔から幼い弟や近所の子どもたちの世話をするのが好きだったという小林。子どもたちと一緒に遊んで過ごす職業はどんなに楽しいだろうと、心に将来の自分の姿を思い描いたのだ。そこから小林は、保育士の資格が取れる石川県の学校へ進学を目指す。好きなことをするための勉強は楽しいもので、ほかの人よりずっとタイトな受験期間だったにも関わらず試験に合格した。

初めての金沢での一人暮らし。無事に引越しを済ませ、期待に胸を膨らませていざ学校に通ってみると、当然ながら授業の内容は小林が想像していたような楽しくエキサイティングなものではなかった。

理想と現実とのギャップを前に、大きな挫折──失意の中での方向転換

▲苦悩に満ちた学生時代。出口のない迷路で立ち往生した

保育を仕事とする以上、保育士は自分が楽しく子どもと遊べればいい、自分ができるときに世話をしてあげればいい、自分が見える範囲で気にかけてあげればいい、というわけにはいかないのだ。

小林 「保育は子どもの命を預かるということだから、常に子どもが危険なことをしないか見張っていなければなりません。
子供と一緒にボールやおもちゃで遊んだり、歌を歌ったり踊ったりしていますが、実はあれ、保育士は歌や踊りに集中していないんです。
自分が預かった子どもが今何をしているか、危険なことをしていないか、視界の届かないところに行っていないか、いつも神経を尖らせて見ています。子どもの状態を常に把握しておかなければならないんです」

保育士として必要な知識や実技を学んだ今、小林の心は大いに揺れていた。子どもが好きだから保育士になりたいと勇んで入学してきたが、ただ好きだからといって仕事にできるわけじゃない。小林は、その事実を理解したのである。

小林 「挫折しました。正直、心が折れてしまったんです。保育士は子どもと遊ぶのが仕事だと思っていたわけですから、いきなり子どもの命を預かる重要な仕事だと言われても困惑するばかりで。
結局、子どもに何かあったら保育士の責任だという呪縛フレーズから逃れることはできませんでした。好きな仕事に就けると期待していた分、そのときには相当な挫折感を感じましたね」

小林は失意のまま進路変更をした。そのころすでに保育士の資格を取っていたが、保育の道に進むことはないと思った。安易な気持ちで保育士になろうとした自分の考えが未熟で情けなく、悔しい──後悔と自戒を繰り返した。

保育士を目指して2年経とうという時期の急な決断。しかし両親は小林の急な進路変更について、何も言わなかった。

一応は学校を卒業し、小林はほかの業界に就職。しかしどの業界でも、保育で挫折した過去を引きずって、仕事が続かず職を転々とした。ふと周りを見ると同級生の友人が、新卒で入社した会社にずっと勤務しているという現実が。

焦りを感じた。そろそろしっかり職場を定めなければという焦りと、危機感ばかりが募っていった。

流石にこのままではマズい──。

地元長野での再出発を決意し、佐久市の実家に戻った小林は、久々に交わした母親との会話の中で意外なことを耳にする。

小林 「母に『あんたにずいぶん助けられたのよー』と言われたんです。自分には母を助けた覚えはまったくなくて驚きました。
どちらかといえば、あれだけ豪語していた保育士にならなかったり、仕事を転々としたりで迷惑をかけたかと……。でも母が言うには、僕の一言が母を救ったそうです!」

小林の母には3人の子どもがいる。3人目の子どもができたとき、さすがに仕事は続けられないと思った。それまでは子どもがふたりいても、時間のやりくりをして働いてきた小林の母。しかし3人となれば手のかかり具合もこれまでのようにはいかない。今ほど産休育休の制度が整っていなかった時代だ。小林や上の弟も当時まだ小学生である。

そんなときに言った小林の一言がその時の母を救い、さらにはこれからの小林をも救うことになろうとは──。

母を支えた言葉が、今度は自分の誇りに

▲あのころを振り返り、懐かしむ小林。母の言葉は今も心の支えになっている。

小林の母の会社は、子どもふたりを育てるときも協力体制を取ってくれた。その会社にこれ以上迷惑はかけられない。会社を辞めなければならない……と悩んでいた母に、小学生だった小林は──

小林 「弟の面倒は僕が見る。だからお母さんはしっかり稼いできてよ、って言ったんですよね。
本当のところ、子どもたちだけで遊びたいだけだったのかもしれませんが、母にとっては自分の子どもにそう言われて何よりうれしかったんだと思います」

小林の母は家の中にいるよりも、外に出て働きたいという人だった。3人も子どもがいれば仕事と育児は両立できないだろう、会社を辞めればせっかく積み上げてきたキャリアも失ってしまう、専業主婦になれば社会の中で孤立してしまうんじゃないかと、ずいぶん悩んだという。

小林 「しっかり稼いできてくれ、と子どもに言われたことが母の心に刺さったようです。 3人も子どもがいるのに、自分が働かなきゃ誰が生活費を稼ぐのかって。
親父の給料だけ当てにしていたら、子どもたちに行きたい学校にも行かせてやれないし、やりたいこともできないし。僕のその一言で、母は本気になって仕事を続ける決心をしたんです。
でも本当に母が働いてくれたから、僕らは 3人とも学校に行けたんですよ。仕事を続けてくれた母に感謝しています。もちろん僕も約束通り弟たちの面倒はちゃんと見ましたよ」

小林の母親は仕事を続け、生き生きと働いた。母が生き生きしていると子どもも喜び、子どもの笑顔を見てまた親も笑顔になる。働くことは生活を豊かにするだけではなく、家族の関係や人生も豊かにするんですね、と小林は言う。近所でも、よく子どもの世話や面倒を見てくれると、子どもたちの親からお礼を言われて、照れくさかったがうれしかった。そうした人間関係の温かみや深みは積み重なって、今も小林の人付き合いの基軸になっている。

小林 「母は僕に助けられたと言いましたけど、実は僕もその言葉に助けられていて。なんだ、子どもが好きで面倒を見ていたことは、働きたいと思っていた母のためになってたんだって。
なんだか誇らしくなって、それでもう一度、保育も視野に入れて真剣に仕事と向き合ってみようと思ったんです」

それから小林は、真剣に仕事を探した。その中で、これまでの自分の考えがいかに甘かったのかを自覚する。働きたい人が真面目に働けばいいと思っていた小林は、本当に働きたくてもさまざまな理由で働けない人がいることに気づいたのである。どんな時間帯でも、どんな仕事でもできる自分が、あれやこれやと条件を付けて仕事がないとばかりに働かないでいることや、仕事をする目的を見失ったままとりあえず時間を切り売りして稼ぐことが、どんなに傲慢で贅沢なことなのか気付いたのだ。

いい加減な気持ちで楽な仕事、適当な仕事に流れるのは、働きたいけれど働けない人に対して悪い気がした。そしてそれとともに、労働の意義についても考えるように。

仕事をするということは何もお金を稼ぐためだけでない。もちろん、お金を稼ぐことは重要ではあるが、仕事をすることに意味や喜びを見いだすことが、自信と誇りを持ち継続して仕事を続けられる理由になるのではないだろうか──という視点を持つようになったのである。

「女性が子育てしながら、仕事で活躍できるフィールドを」小林の挑戦

▲保育を通じて、ダイバーシティの事業に挑戦。
小林 「意識が変わったのを自分でも感じました。そして新しく仕事を探すとき、自分に都合がいい条件はつけないようにしたんです。
とにかく、どんな立場の人でも働きたい人がちゃんと働けるような、働く仕事をつくり出せるような、そんな仕事に携わりたいと思いました」

身をもって知った、仕事をする意味と働き続ける理由。挫折を繰り返したことで人生で大切なことを学ぶことができた小林。新たな就職に対する自分の軸に沿って、求める環境を探し続けた。それから少しして、綜合キャリアトラストと出会う。

綜合キャリアトラストは綜合キャリアグループの特例子会社である。扱うのは障がい者支援ではあるが、単なる福祉という概念を脱却し、働きたい障がい者と企業を結びつけるための支援コンサルティング、職場の創造を行っている。仕事に目的を持って働くことができる、まさにうってつけの会社だ──小林はそう思った。

その後、問題なく選考を通過し、小林は綜合キャリアトラストの入社の機会を得る。そして、コンサルティング事業に携わることになった。業務では戦略企画チームのメンバーに加わり、戦略の立案やサービスの企画開発を担当。

そんな中新規事業として保育への展開、ダイバーマネジメント事業が検討された際に、真っ先に立ち上げメンバーとして挙手した。

小林 「一保育士としての仕事ではなくて、ダイバーマネジメント事業全体に携わりたいと思いました。
女性が子供を産んだ後も今までと同じように働ける仕組みがあれば、世の中の女性がもっと気軽に働けるのでは、と。
働きたいと思っている女性が、子育てのために働くことを諦めるのは本当にもったいないです」

女性が子育てしながら、仕事で活躍できるフィールドをつくりたい。そのためには女性、企業、地域社会を結びつけた事業モデルが必要だ。ダイバーマネジメント事業の立ち上げメンバーに加わることができ、想いを巡らせる中で、小林に高校生のころのワクワクした楽しい気持ちがよみがえってくる。

小林 「挫折したからこそ、働くことの大切さを学びました。このダイバーマネジメント事業を通じて、子育てする女性が当たり前に働ける新しい世の中を実現します」

自分の母親だけでなく、これからは全国の母親を支える事業として──。

やりたいことを見つけた小林の挑戦は、まだ始まったばかりだ。