太田省吾、大橋也寸、平田オリザ、柄本明。役者として、演出家として演劇の道を歩み続けてきた佐藤萬之介は、これまで名だたる演劇人に師事し、その才能を認められてきました。役者としてのキャリアの先に、なぜ裏方であるタレントマネジメントを選び、エイベックスを選んだのか?演劇人としての佐藤の半生をご紹介します。

演劇を通し、自分と向き合った学生時代

演劇の道を歩むことは佐藤にとっていわば『自分探しの旅』でした。自分の存在意義について毎日自問自答を繰り返していた高校時代、人一倍繊細な感性を持っていた佐藤には、演劇を学ぶということが、目指すべき自分探しの近道に思えたのでした。

佐藤 「私の実家は香川県の田舎町で山の中にある村みたいなところでした。小学 6年生の途中で高松市内に引っ越してから、中学・高校時代までを過ごし、ときおり高校をさぼっては原付バイクで屋島あたりの海に行って、絵を書いたり文字を書いたりしながら過ごしていました。その頃から、「自分」とか「自分らしさ」とは何だろうなと悩むことが多くなっていました。

例えば目の前の水平線に沈む夕日を見て、『きれい』とか『美しい』と表現することは果たして自分の本当の言葉なのだろうか、世間一般の人の言葉を真似しているだけなんじゃないか、みたいな。どう感じ、どう言葉にしたら自分らしいんだろうと悶々と考える高校生活でした。若さですよね(笑)。 

そんなあるとき、何気なく大学名鑑を見ていると、演劇を教える大学があることを知りました。役者って、自分以外の人間を演じるわけだから、自分自身を分かってないとできないことなのではないだろうか、だったら演劇を学ぶことが、自分を見つける助けになるかもしれないと思いました」

佐藤は、高校卒業後、近畿大学の文芸学部芸術学科演劇芸能専攻に進学します。

佐藤「今思えば当時の近大の先生方は本当に素晴らしかった。東京の演劇界で大活躍されていたような人ばかりです。
大橋也寸という当時 60歳くらいの女性の教授が、新入生の私たちに出会って最初の授業で開口一番におっしゃった言葉を今でも覚えています」

──私はあんたらをプロの俳優にさせる気なんて、毛頭あらへん。
この国の長い義務教育のあいだに、体中、垢まみれのロボットになってる
あんたらの垢を落として、人間らしくするだけよ

多くの演劇学校では滑舌や発声、姿勢に歩き方など、いわゆる『外見(そとみ )』から教えはじめます。しかし、いきなりの大橋氏の言葉に佐藤や同級生たちは衝撃を受けました。

佐藤「人間とは何か?自分とは何か?先生はシンプルな問いを生徒にぶつけてくるんです。それが、僕が17歳くらいから悩んでいたことに、まさにピッタリはまった感じがしました。瀬戸内海の夕日を眺め、自分と向き合っていたときの重苦しい言葉や感情が、逆に少しづつ自分を助け始めてくれだしたような」

演劇を学ぶ傍ら自分と向き合い続けた佐藤。大学4年時の卒業公演では太田省吾氏の演出にも直に触れ、芝居の面白さ、やりがいを学び、役者として生きていくことを決意します。


役者だけでなく演出も担い演劇人として頭角を現す

卒業後は、太田省吾氏の勧めで、劇団東京乾電池の研究生となりました。一方で平田オリザ氏の舞台に参加するなど、一つの枠に収まらない活躍を見せます。


佐藤 「平田オリザさんが、一般公募でキャストオーディションをしていたんです。700~800人くらいが参加したオーディションに合格し、青年団の劇団員やキャストに合格した方々と一緒に富山県の利賀村という演劇村で数カ月稽古に明け暮れました。
演劇というものも、音楽とか絵とかと一緒で芸術の分野に属します。だから他人に教えられるものではないと言う方もいらっしゃいますが、そんななかでオリザさんは演劇の根本とその作り方を教えてくれました。日中の稽古とは別に、夜には食堂に希望者だけを集めて、オリザさんがホワイトボードで講義してくれたりもして。それをノートに取りながらこっそりカセットテープレコーダーに録音もしてました(笑)」 

この経験が、佐藤に演出家という顔を持たせるきっかけにもなりました。

佐藤 「平田オリザさんの全国公演から東京乾電池の研究生に戻ってきたときは、ちょうどアトリエ公演の時期でした。劇団の先輩や社長が見に来るなかで、稽古場公演をやらなきゃいけない。誰かが本を書いて演出をしなきゃいけないという状況。みんな役者になりたくて来ているから、本を書くことなんて想定が無いわけですし。じゃあエチュードから作っていこうというのも至難の業です。自信はなかったのですが、大学の教授陣や平田オリザさんに学んだ経験から『わかんないけど、俺、書いてみるわ』って書いたら、それが大うけだったんです…...」

以後、佐藤は研究生から劇団員に昇格し、劇団内で若手脚本家、演出家として作品を手掛けながら、研究生の講師も担い、さらに外部への客演など俳優としても活躍していきました。

劇団の座長は、映画やテレビなどでも活躍する柄本明氏で、随分可愛がってもらいました。


佐藤 「柄本さんがひとりで自主稽古をするときに相手役として呼んでくれたり、仕事の役づくりの勉強だと言って社会見学として“おかまバー”などに行くときには一緒に連れていってくれたり(笑)。僕が作る舞台は必ず見に来てくれて、『面白い本書いたな』ってよく褒めてくださったのを覚えています。劇団の25周年記念公演で、『夏の夜の夢』というシェイクスピア原作で柄本さんが演出をした舞台に、柄本さんと舞台上で共演できたときは感激でした。稽古はとても大変でしたけど(笑)

柄本さんは誰よりも映画や演劇を勉強しているし、浅はかな思いで、役者をやりたいという劇団員に対して、『そんな甘い世界じゃないんだ』と身をもって教える厳しさがありました。そんな柄本さんに自分の演劇を多少なりとも評価していただけることが本当にありがたかったですね」

マネージャーとして歩みだした第二の演劇人生

俳優・脚本・演出・演技講師と、着実に歩み始めていた佐藤ですが、演劇人として生きていくことは簡単ではありませんでした。

佐藤 「CMやドラマにも時折出ていたんですが、アルバイトをしなくては生活できない状況でした。劇団内を見ても、創立メンバーである柄本さんやベンガルさん以外はテレビ、映画でバリバリ活躍している人はいなかったけど、みんな貧しいながらも夢を見ていたんです。と同時に、乾電池とはまた別の劇団の公演に参加したり、自分のツテで映画に呼んでもらったりして、より外へと目を向けるようになっていきました」

そんな矢先、佐藤に大きな転機が訪れます。28歳のとき、父親が亡くなったのです。

佐藤の父と母は佐藤が小学生の時に離婚しており、父親と長く離れて暮らしてきた佐藤ですが、大学の学費や仕送りなどで父親にも多大な恩を受けてきました。

佐藤「ろくな親孝行も出来ませんでした。テレビのドラマで端役をもらっても、こまめにテレビをチェックしてくれるような父親じゃありませんでしたから、見てもらえたかどうかも分かりません。
父親の葬儀で喪主を務めたのですが、とてもとても打ちのめされました。
これまで孝行できなかったことにすごく後悔して、自分の身の回りを振り返ったんです。本当に貧乏で、実家へ帰省するお金もなかった。父の葬儀でさえも、バイト先から前借りして、新幹線代と喪服を慌てて工面したような始末です。姉がふたりいてそれぞれふたりずつ子供がいましたが、かわいい甥や姪にお年玉もあげられなかった。このままいつ役者の花が咲くかも分からずに母や姉たちに心配をかけ続けるのなら、演劇を離れようと思ったんです。自分が勝手に広げた風呂敷を、いま自分で畳むときなんじゃないかなと。それからはバイト先で社員にしてもらえないかと聞いてみたり、求人雑誌を見たりしてました」

しかし、佐藤の才能は周囲からも惜しまれました。所属していた劇団事務所の社長から社員として働くよう声がかかったのです。

佐藤 「『社員として若い役者たちを指導してくれ』といわれ、ありがたいことにこの世界に引き留めてくれたんです。


若い子たちのお芝居の稽古を、週に何回かレッスンしながら、現場で働くマネージャーの世話役としてもサポートをしました。だんだん現場も手伝ってくれと言われて、小日向文世さんの車を運転したり、蛭子能収さんと海外ロケに行ったり。そうこうしているうちにいつしか自分もすっかりマネージャーになっていましたね(笑)」


演劇人としてのノウハウが、マネジメント力の下支えとなり、主に六平直政氏のマネージャーとして業界でも知られていった佐藤。およそ10年のあいだ俳優のマネジメント業務に勤しみ、キャリアと人望を積んだ佐藤が出会ったのがエイベックスでした。

佐藤 「勤めていた芸能事務所をのっぴきならない理由で離れなきゃいけないことになり、当時は、いくつかの事務所から、うちに来ませんかと声をかけていただきました。どこも数多の俳優やタレントを抱える芸能事務所です。そんななかにあって、エイベックスは音楽レーベルのイメージは大きいものの、役者を抱える芸能事務所としては、まだ5~ 6年程の歴史しかありませんでした。

エイベックスなら自分がやるべきこと、挑戦できることが多い。それにマネージャーの組織も、20代~30代の社員がとても多くて役者のマネジメントというのを教える一端を担えるかもしれないなと思ったんです」

演劇人生から学んだ人と人との向き合い方

佐藤は現在、エイベックス・マネジメントの芸能マネジメントグループ女優ユニットに所属し、シニアプロデューサーという立場で6名の女優のチーフマネージャーであるとともに、俳優女優の営業活動も担います。また自らの経験を生かし、舞台公演をプロデュースするなど、エイベックス所属の役者が活躍する土壌づくりにも精力的です。

佐藤 「いつも心がけているのは、性別、年齢関係なく、担当する俳優と夫婦のような感覚でいることです。人生の中で奇跡的にパートナーとして結びつき、お互い仕事をしていくわけです。役者は、今この瞬間も現場で頑張っています。そのあいだに僕がするべきことは、彼女たちの未来の仕事をとってくること、そして現場が円滑に進むようサポートすること。互いに補い合う夫婦の関係に似ています」

互いにリスペクトしあえなくては、夫婦の関係にはなれない。そう考える佐藤が、役者や後輩のマネージャーに伝えているのは、プロとして環境を作ってくれるスタッフや共演者に感謝し、敬意を払うこと。

佐藤 「謙虚に丁寧に。どんな仕事にも上下はないと思っています。作品の規模やバジェットに関係なく、作っているスタッフは家族や生活や夢のために一生懸命働いている。すぐ身近にいるスタッフに親しまれる人間でいて欲しいと思います。その先に、ファンやお客さまからの応援があるのだと。一番大切なのは、人としてどう人と交わっていくかだと思います」

そもそも佐藤が演劇の道に惹かれた理由は、自分自身を含め、人と向き合うことに生きがいを見出したからかもしれません。長い旅路を経て、今では役者たちと向き合い、ともに未来へと歩んでいく存在となっています。