「銀行・証券断末魔」特集(全5回)の番外編を上・下に分けてお届けする。テーマは、銀行業界においてその存在感が増す一方となっている、金融とITを融合させたフィンテック。今回の番外編(下)で取り上げるのは、銀行員の転職物語だ。銀行員がエリートだった時代も今は昔。大リストラ時代に突入したことで、銀行から脱出して異業界へと転じる銀行員が急増しているという。どんな業界が人気なのだろうか。メガバンク・地銀出身者の転職事情に迫った。(ダイヤモンド編集部 田上貴大)
鳥取から単身上京、都内ベンチャーへ
メガ・地銀出身者の転職事情
「せっかく銀行から出ていくなら、どんどん外部からのインプットが欲しい」
2017年10月、佐藤顕範さん(35歳)は地方銀行を辞めてクラウド会計ソフトのfreeeに転職した。辞めると伝えたときに古巣からもらった激励を、今でも重要な使命だと心に刻んでいる。
佐藤さんの古巣は鳥取銀行。転職後は大阪の関西支社に所属し、その後に東京・五反田の本社に転勤したが、今も家族を地元の鳥取に残したままだ。
地銀は地元志向型の人材が多く、家庭を持ったりマイホームを買ったりした30代以降になると転勤を伴う転職はハードルが高い。この状況を踏まえると、佐藤さんのキャリアチェンジは珍しい例だ。
家族からは「心配はされたが応援してもらっている」と語る佐藤さん。そもそも銀行に就職した当初、「転職は全然考えていませんでした」。
転機が訪れたのは、16年8月。鳥取銀の本部で営業企画を担当していたとき、地元の企業に会計ソフトを広めるためにfreeeと仕事をし始めたのがきっかけとなった。
当時、佐藤さんは“大企業病”にかかっていたという。誰でも陥りがちな、仕事をやらされている感覚。それを刺激したのは「本質的に価値があることにこだわる」という企業理念を体現して生き生きと働くfreeeの社員の姿だった。
同時に、もともと持っていた「地元の中小企業を支える」という理想が、freeeのサービスを通して実現できるのではないかとも感じた。だが、地銀にいる限りは「全国に広めるのは難しい」。
こうした事情から、自分の手でサービスを広めようとfreeeに飛び込んだ。そして激励の言葉通り、転職後には「freeeの佐藤」として古巣に出向く。その結果、地元企業のIT導入支援を本格的に進めるコンサルティングチームが鳥取銀で立ち上げられたときに、最初の支援ツールとしてfreeeが選ばれたという。
佐藤さんは今、freee finance labという子会社の取締役に就いている。freeeの金融事業を取りまとめる立場だ。
「銀行は新卒入社がほとんどで、どこの支店で誰と誰がつながっているかなど、人間関係は分かりやすいですね。でもfreeeの人は中途入社やエンジニアなど多種多様。それぞれどんな人物か知る場をつくるなど、気を使っていますよ(笑)」
銀行時代にはなかった新しい苦労を感じつつ、「同質ではない人の意見を聞けるのが、良い頭の体操になります」と、今でも刺激を受け続けている。